音楽の喜び フルートとともに

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97歳グランドマザーの死

2013-05-06 21:28:31 | 日記

連休が終わります。父が入院して、1ヶ月。兼ねて予約したあった沖縄に行っている間に、退院か?と思われた途端、具合が悪くなり、関西医大に転院。

妹と母に沖縄から電話で、連絡を取り合いながらの旅行になりました。次男にも様子を見てきてもらうように頼んだり。
4日の深夜帰宅、5日の朝、早速病院に行く準備をしていると、長いこと会っていなかった従兄から携帯に電話。私の携帯にかけてくるのは初めて。
『もしや…。』と嫌な予感。

「お元気ですか?」従兄と言っても、私が生まれた時にはもう大人で随分年長の方ですが、いつも丁寧な言葉使いです。

「4日の午後4時に、母が亡くなりました。」

多勢いた父の兄弟の、一人。父の姉ミサヲさんのことでした。
亡くなる前に父に会わせようと、実家に何度も電話をしてくださっていたのに、留守。母も転院してから、ずっと父の病室で寝泊りしていたので不在。やっと、今朝になって年賀状から私の携帯番号をしらべて連絡がついたのでした。

父は、近しかった兄が亡くなった時も、ショックを受けていたそうで、最後の兄弟だったので、母と相談して黙っていることにしました。

入院中だし、お通夜や、お葬式はたいへんだから、いいよという従兄に、しかし、ご焼香だけでもと、午後から出かけました。

会館の都合で、明日お通夜ということで、本当に身内の方だけで、ゆっくりとお別れをすることができました。

享年97歳。
頻繁にあっていたわけではありませんが、私の知る限り、ミサヲさんは母亡き後、弟たちを母親のように見守り、育て、結婚して、夫と死に別れ、3人の息子たちを働いて育てあげた暖かくたくましい人でした。

私も、3歳頃、母が骨折と、出産で入院した時に、何ヶ月か預けられ、ミサヲさんの暖かさをいまでもよく覚えています。

男の子3人は、成人していて働きにでていて、はんこやさんをしながら、私を見てくれていました。
「おかあさん。」と泣いてばかりの私を一生懸命みてくれ、食が細いのを心配して好物を聞いてくれました。「半熟卵。」と言うと、次の食事の時間、大皿に半分に切った半熟卵をずらっと並べてだしてくれました。
あんなにたくさんの半熟卵を見たのは初めて、おいしくていくつも食べたことを覚えています。

もう一つは、魚の目を両足の裏に10個以上作って、歩くと「痛い、痛い。」と泣いていた私を心配して、足にイボコロリを貼ってくれました。

しばらくすると、イボの周りの皮膚が盛り上がってきて、それを切っているとイボがなくなるのですが、そこは3歳の子ども。
カミソリを持った途端に、「イヤや~。怖い!」と泣き叫び、「はさみやったらいいか?」
「うん。」
でも、ハサミを当てようとしたら、やっぱり「怖い~。」

とうとうあきらめて、昼間は過ごしました。
深夜、気配を感じて、目が覚めたら、おばさんが、ハサミを手に、足の皮を切ろうとしているところ。
目は覚めて、少しむずかったけれど、結局ねむさに負けて寝てしまいました。

それから、「切ろうか?」と言われたら「眠ってるあいだにして。」とわがままを言って。
毎日切ってくれたようで、足は預けられている間に、綺麗に治ってしまいました。

わたしの結婚式の時にも、来てくれて、本当にうれしそうだった。
暖かく、優しい印象しかない。
長く働き、亡くなる前も、周りの人をユーモアで励まし、愛されていたそうです。
お寺で短期修行をして、法衣と、戒名をもらっていて、すっかり準備もされていたそうです。

お別れができてよかった。どうぞ、ゆっくりお眠りください。