日曜日、実家に行くと大きな花が飾ってありました。
母に聞くと、父の生徒さんたちがくれたそうです。
24年前の卒業生、父の学校生活最後の年の生徒さんたちの同窓会が開かれました。
電話があった時、母が認知症だからと断ろうとしたら、構わないからとおっしゃって。
それでも、一人で電車に乗って行けないからと断ったら、奥さんとご一緒に来て下さい。と誘われたのでした。
母が言うには、父は同窓会の間中、上機嫌で、生徒さんが代わる代わる来る度に、「よおっ!」と、手を上げてニコニコ挨拶していたそうです。
「誰だかわかっていないのにね。」と母は付け足します。
しかし、たぶん、相手の方は悪い気はしなかったんじゃないかと思います。
私も前に付き添ったことがあるので、たとえ、誰だか忘れてしまっていても、父の人に対する愛が伝わることがわかるのです。
笑顔が、本当にうれしそうだから。
「会えてうれしいよ。」「元気でよかった。」「呼んでくれてありがとう。」という言葉にならない気持ち。
肩書きも、地位も、社会的成功も意味が無くなった分だけ、目の前の人としての存在そのものへの感謝。そんなものに接したら、みんな笑顔になるのです。
嫌なことを言われても、心配なことを話されても、5分後には忘れてしまう。それでいて、父はわからないものだから、また聞いてくる。
ただ不思議だから。なんでここにいるのか?なぜ、みんな集まっているのか?
「へーっ。」とその度に子どものように関心して。
自分たちのことに、関心を持って耳を澄まされたら、たとえ忘れてしまっても悪い気はしないのです。
だから、父の周りではみんな笑顔になってしまいます。
忘れるって悪いことばかりじゃないんだなぁ。と思います。