実家の玄関にトルコ桔梗 クラリスピンク。
昨日の朝、レッスンのために実家に行くと、庭に父がたっていました。帽子をかぶって今にも出かける様子。
ちょっと、ドキッとしながら、
「お父さん、どうしたの?」とわざとゆっくり声をかけたら。
「畑に行こうと思ってな。でも、おかしいなぁ。鍵がどこにあるか、わからへん。」
「ふーん。」
畑って、市民の貸し農園のことで、お世話できなくなって返して一年以上経ってるよ。って思いましたが、「鍵ないの。」と、できるだけ落ち着いていうと、
「そうや、お母さんいてへんしなぁ。もう、やめとくわ。」
と、自分からドアをおして、家に入りました。
徘徊のはじまりかなぁ?
母から、最近は目を離しても父は家から出ることは無いので、「お昼だけ、一緒に食べて」と頼まれたのですが、また出かけたりしたら大変。帰り道がわからなくなって行方不明…なんてことが目に浮かびます。
結局、レッスンのあと、父を置いて帰れなくて夜まで一緒にいました。
途中で、父は「畑なぁ、どんどん狭くなって、あんなん殺生やで。」というので、
「見てきたん?」
「うん。」と言います。本当かなぁ?と思っても確かめる術はありません。
先生から、体が元気で、家にじっとしたりしていると、徘徊が起きることがある。と言われていたので、お昼を食べてから、公園に行ってみました。
しかし、駐車場から公園に行く、少しの間も「しんどい。ふらふらするわ。」と私の肩をもって歩き、公園に行ったもののベンチに座ってじっとしています。
これでは歩いて15分ほどある農園までは無理かも。
それでも、買い物をして、近所の公民館でやっている文化祭で、中学生ブラスバンドを見せてという母のミッションをこなして帰りましたが、全て車で目の前までいって、現地についたらベンチに座ってという感じで、とても畑までは歩いて行けそうには見えません。
半信半疑ですが、やっぱり誰かが見てないと無理かも。
こう書いていると、大変そうですが、父はどんどん幸せになっているみたい。
文化祭で、男性が二人「よっ」「元気でよかったよ。」と父に声をかけましたが、「よっ。」と手をあげてニコニコうれしそうに答えています。
でも後で「今の人誰?」と聞いても「わからへん。」
でも、声をかけてもらったことは、父は本当に嬉しいのだと思います。
忘れるから、何にもこだわらず、人間関係で悩むこともない。
父が幸せだから、一緒にいて私も幸せだし、前よりなんでもない日常のことがおかしくてよく笑います。これが老いるということなら、悪いことばかりでもありません。