1960年代、アメリカで、ミルグラムという人がしたこんな実験があります。
20歳から50歳代の男性を新聞広告で実験協力者として募集、偽のくじ引きで、教師と生徒に役割を分担させて、生徒が問題を間違えるたびに教師役は45Vから始め、15Vづつ電流を上げていくという実験です。
実は被験者は教師役だけで、生徒は役者です。
生徒は、75Vで、不快を訴え、120Vで大声で苦痛を訴え、270Vで苦悶の金切り声をあげ、300Vで大声で実験中止を求め、330Vで無反応になります。
また、実験を拒否しようとしたら、白衣を来た人物が出てきて、4度実験続行を促します。下記のように。
- 続行してください。
- この実験は、あなたに続行して いただかなくては。
- あなたに続行して いただく事が絶対に必要なのです。
- 迷うことはありません、あなたは続けるべき です。
四度目の通告がなされた後も、依然として被験者が実験の中止を求めた場合、実験は中止されます。
あらかじめ被験者には45Vは体験させておいて、さて実験開始。
演技をする生徒を前に、
135Vで一人が、実験を疑い、意見をぶつけました。
しかし、その後、疑問を感じると言いながら。誰も300Vまでやめませんでした。
40人中25人(65%)が最高電流の450Vまであげました。
1960年、ヒトラー政権下で数百万のユダヤ人を絶滅収容所に送ったアイヒマンが、妻の誕生日に花を贈ったことで、正体がばれ、捕らえられ裁判にかけられました。
そこで、アイヒマンは、一般に思われているような人格異常者ではなく、真摯に職務に励む、一介の平凡で善良で、小心な公務員。妻に花を贈り、家族に愛情を注ぐ普通の市民のように見えたそうです。
1961年、ナチスが特別なのか?普通の市民でも一定の条件下では誰でも残虐行為をするのか?を調べるためにこういった実験を行ったそうです。
ここからは、私見です。
白衣の男性、社会的権威の象徴。そして、実験は社会的正義と思われるものを象徴していると思います。
教師と生徒は、伝統的に生徒に対しての権威で、善を行い、教えるものとされています。
しかし、ここでは仮のものであって、現実には仕事を失ったり、路頭に迷ったりするものではありません。
それでも人に通電するという、紛れもない暴力行為を、普通の人々は、正当化する名目さえ与えれば、いや、正当化では無い。ちょっとした社会的権威からのプレッシャー。それも自分は殺されるというようなひどいものではなく、軽いプレッシャーで行ってしまう。そういうものだということを、しっかり自覚した方がいいと思うのです。
考えたら過半数以上が、通電を拒否する世の中だったら、とっくに国による暴力行為はなくなっているはずです。
しかし、一方で自分が殺されても、絶対に暴力を選ばなかった人もいます。
ガンジー、キング牧師、ネルソン・マンデラ。
彼らは特別だったのでしょうか?
でも、国を変えるようなことは、彼ら一人では成し得なかったはずです。
彼らを支えた無名の大勢の人々。傍観することをやめ、彼らの隣に立った人々。
銃や、国家権力の前に丸腰でたった人々。
私もボタンを押すかもしれない。今、押さずにすんだかもしれないけれど、次は押すかもしれない。
そう考えるのは、つらいけれど自覚しておかないと、無邪気、純粋、天真爛漫は、簡単に通電する。そう思うのです。