ホノラは、最近ピンク一色。確か、白とピンクの斑だったはずなのですが・・・。土のせいかな、それとも肥料のせいかしら?
でもまあ、春だけでなく、秋までもさいてくれました。ありがとう♡
ヒトラーチルドレン ~ナチスの罪を背負って~というドキュメンタリーを見ました。
NHKで、何度か再放送されているものですが、録画していて、見るのは3度目かな。
ナチス政権の中枢にいた将校たちの娘や、息子たちのその後を取材したドキュメンタリーです。
ゲーリングの娘は、結婚してアメリカに移住して新しいスタートを切った気がしました。しかし離婚した時、旧姓に戻すのはやめたそうです。
そして、彼女は兄と二人ゲーリング家の子孫を増やすわけには行かないと断種手術を受けたそうです。
収容所の記録映画を見るとき、祖母は「全部嘘よ、全部嘘よ。嘘よ。」と言い続けていたそうです。
今は、夫と二人アメリカで暮らしているそうです。ドイツ文化が恋しくなり、時々はパーティを開いてドイツの歌や食事を楽しんでいるそうです。
ヘスの孫
親たちは収容所の中に住んでいて、そこで子どもたちを殺害していたのに、門の中で普通の子育てをしていた。そこからは、何も見えない。恐ろしいことだと思うそうです。
父親は祖父と同じように冷酷な性格で、第三帝国の熱狂的な信者。親しみを感じたことがなく、父と母が離婚してから、連絡をとったことはないそうです。
顔が似ているし、名前をきかかれると気づかれるかもしれないといつも恐れています。
全て他人の犠牲の上に生きていたのに、何も起きなかった。と父は言い続けていたし、家族の中には答えられないことがたくさんあったそうです。
アウシュビッツに行き、ユダヤ人の団体に出会い、質問を受けて、ユダヤ人虐殺について、責任を感じる。と言い、祖父にあったらこの手で殺したいと思う。と言って、謝罪すると、「あなたは罪悪感を持たなくていい。」と言われハグされました。衝撃を受けたそうです。
しかし、そういわれても、罪の意識を持たずにはいられないと言います。
なぜあの人たちは殺されなくてはいけなかったのか?祖父はなぜ殺したのか?なぜ、私は生きているのか?
考えること、それが、私の存在する唯一の理由のようにも思います。祖父がしなかったことをやる。償いではなく祖父がしなかったことを私がやる。と言っていました。
ヒムラーの姪
この名前で、いいことは何もなかった。しかし、名前を変えようとは思いませんでした。それをすることは、全ては血筋で決まるというナチスの馬鹿げたイデオロギーを信じることになると思ったからです。
イスラエルでユダヤ人と結婚したそうです。一族の恥だと言われたそうです。
ヒムラーという名前でなくてもナチスに協力した人がいる、殺した人もいる。
どこで一線を引くのでしょう?罪を知ったとき親を愛することができるのでしょうか?
一線を引く人と、それでも親を愛すると決めた人がいます。何も見ない、何も聞かないで。と言います。
アーモン・ゲートの娘
母親は「あそこは労働収容所だったのよ。子どもも年寄りもいない。」
「ああ、よかったあれは絶滅収容所じゃなかった。」と子どもの時思いました。
「ユダヤ人を殺したの?」と聞くと「数人殺したことがあったかもしれない。」と母が言ったので、
「数人って何人なの?5人、7人、8にん。」すると、いきなり母がコードを持ってきて彼女の頭を叩きました。
母の感情を揺さぶらずには聴けないことがある。ということを知ったそうです。
ある日、年頃になって、気になる人が出来た時、お互いに好意を持っていると感じていた男性に、ブワショフにいたと言われ、「私の父もいたわ。所長のゲートよ。」と告げた時、彼の顔色が瞬時に変わり、「人殺し!豚野郎。」と去られたそうです。ショックだったそうです。
ハンス・フランク(収容所所長絞首刑になった。)の息子
親を愛せない人間がいる。非難すべきことは、たとえ自分の親でも非難しなければならないと伝えるために、子どもたちに語り続けているそうです。
彼は自分も含めドイツ人を信用していない、といいます。
経済状況が悪化すれば、ドイツ人の雇用を守ろうとするでしょう。そのためにあちこちで殺人が起きる、それを危惧しています。
兄弟姉妹では、ひとりの兄だけが支援してくれたそうです。
「お前は父さんの犯罪を証明してくれた。それでも私は父さんを愛している。」
もうひとりの兄は、彼が父のしたことを書いた本を出版したとき「弟の二クラスはおおうそつきです。何一つ真実ではありません。弟はいつも我が家のやっかいものでした。」という手紙を、出版社に送りました。
姉の一人は、「親と同じ年まで生きたくないわ。」と言い続け、父が処刑された同じ45歳で自殺したそうです。
その姉は、人種隔離政策を支持していて、南アフリカに移住したそうです。
電話した時「600万人のユダヤ人を焼却したとすれば、1人を焼く時間はどれくらいか計算してみたの。結果は、たった1.6秒。だから全部でっちあげだわ。」と言ったそうです。その姉は南アフリカで死んだそうです。
二クラスは妻や子ども、孫を愛しています。しかし幸せの中にいても「親を愛しなさい。」という教えに従えない自分がいるそうです。
しかし、ほかの子どもと同じように彼も両親の愛情を強く望んでいたのです。
30年経っても事実を探し続けるのは、父について少しでも肯定的な事実がでこないか、誰かユダヤ人かポーランド人の生命を救ったとか・・・それを知るためです。が、しかしまだみつからないそうです。
ここからは、見た感想です。
ドイツには、自国の中に石で建てた収容所があった。大勢の収容者の靴や、歯や、遺体など形のあるものが残り、連合国の兵士が入って世界中の人の目に逃れられない事実として写真や証言として残されました。
それでも、事実を受け止めることの難しさ。
親、国、血、伝統。自分を生み育んだものは、立派であってほしいし、少しの過ちも犯したと思いたくない。
その気持ちはわかります。私だって親のことで欲目に見ていることがあると、いやほとんど欲目だと思います。
しかし、完璧な人など世界のどこにいるのでしょう?
必然に駆られたにせよ、親や祖父の犯した罪を無かったことにせずに、事実を証言し、悔やみ、悩み、苦しむ彼らは、勇気があるし、人間らしいとも思います。
また、それをすることを支えるドイツ社会も、思慮深く進んでいると思います。
ドイツ人がと、ニクラスは言いましたが、そこを「自分」とか「人類」、「自分の親」や「自国の名前」をいれて読み替えることができれば、負の遺産は、生きる。そんなことを思いました。