フリードリヒ・ダニエル・ルドルフ・クーラウは1786年にユルツェンで生まれました。
11人兄弟の9番目。成長した息子3人、娘2人。貧乏の子だくさん。
7歳の時に転んで右目を失明。
1810年24歳の時にデンマークに偽名で旅行すると、そのまま亡命。コペンハーゲンで暮らしました。
なぜ亡命しなくてはいけなかったのか?
その年、ナポレオンがハンブルクを占拠しています。
ナポレオン侵攻による政情不安から、逃げること。
伯父のヨハン・ダニエルがコペンハーゲンで宮廷音楽家をしていたことからクーラウはコペンハーゲンに出国したのだと考えられます。
ただし、この叔父はその年に亡くなり、クーラウは一人でコペンハーゲンに足場を築くべく奮闘することになりました。
17歳で交響曲を書くなどして、ドイツでは作曲を認められ始めていましたが、その後10年ほどは、演奏をして、家族を養うことが主眼になり、思うように作曲はできなくなっていました。
1818年には、両親を呼び、妹の一人も呼び、クーラウは家族を養うために、宮廷楽士、指揮者、指導者、個人教師、注文を受けての作曲。
それでもまだ、食べるのに余裕がなく、何度も昇給を願い出ては拒否されています。
フルートはその頃流行りの楽器だったので、注文がたくさんあり、すぐお金になったので、クーラウはたくさんのフルート譜を書いています。
歴史や政治に翻弄された音楽家は多いですが、クーラウがドイツに留まっていたら、こんなにたくさんのフルートの曲を残せなかったかもしれません。
?年 3 DUO für 2 Fl op10a
1810年 12 Variations and Solos for Flute, Op.10b
1814年 3 Flute Trios, Op.13
1821年 3つのファンタジーfor Solo Flute, Op.38
1821年 3 DUOS für 2 Fl.op39
1823年 3 Fl. QUINTETTE op51
1823年 3 Grand Solos for Flute and Piano ad lib., Op.57
1825年 6つのディベルティスマンop68
1823年 3つのグランドソロop57
1824年 6つのヴァリエーション「オイリアンテ」op63
1825年 ソナタop64
1825年 ソナタop65
1825年 ソナタop69
1826年 ソナタop71
1826年 DUOS für 2 Fl op80
1826年 3 DUOS für 2 Fl op81
1826年 ソナタop83
1827年 SONATE in A Moll für Fl. und Kavier op85
1826-1827年 3 Flute Trios, Op.86
1828年 Flute Trio in B minor, Op.90
1829年 8つのヴァリエーション George Louis Onslow's 'For The Girls', Op.94
? 年 3つのファンタジーop95
1829年 前奏とロンド on 'Le Colporteur', Op.98a
1829年 8 VARIATIONEN für Fl. und Klavier über Onslow's "Le Colporteur op99
1830年 Introduction et variations brillantes, Op.101
1829年 13 DUOS für 2 Fl.op102
1829年 QUARTETT in E Moll für 4 Fl.op103
1829年 QUARTETT in E Moll für Fl. Vn. Va. Vc op103bis
1829年 5 Variations on a Scottish Folk Song, Op.104
1829年 7 Variations on an Irish Folksong, Op.105
1830年 3 Duos brillants, Op.110
1832年 TRIO in G Dur für 2 Fl. und KLAVIER op119