街の中に獣や鳥を住めないようにしておいて、やっぱり寂しくて、鳥や魚をどこかからひいてきて、餌をあげて愛でる。
本当に人間のすることって!
花鳥画のようでしょ。ウィリアム・モリスの文様にもなりそうな。
白鳥は 哀しからずや 海の青 空の青にも 染まず ただよふ
シベリウスのトウネラの白鳥、
フィンランドの叙事詩カレワラの中のレミンカイネンが白鳥を射ようとすると、盲目の老人がレミンカイネンを射て殺してしまう。川に沈んだレミンカイネン、何事もなかったように、白鳥たちが川の上で静かに漂っています。
その後、レミンカイネンの母が、息子の死を聞いてやってくると、川の中を探し息子のかけらを探し当て、繋いで再生させますが、シベリウスの白鳥はレミンカイネンの死、葬送曲のイメージです。
孤高の美しさを感じる写真ですが、実は5mもないこの川の岸辺には、観光客が多勢いて、記念写真を撮っています。
それでも、孤高の美を感じさせるこの佇まいは、私のようなミーハーな観光客の胸をも打ちます。
誰しも足をしばし留めて心静かに、我が身を振り返させる。
それが、文化の力。
Mさんから、頂いたカブ。
薄くスライスして、塩をして、少し置いて、こんぶとトウガラシと一緒に甘酢につけました。
おいしくて、ついつい食べてしまいます。
夕方雨の中、母に頼まれて平和堂へ行きました。
雨がすごすぎて、センターラインが見えません。
怖いので徐行運転。
平和堂デイで、全館割引。
父のズボン、父のセーター、父の靴下、父のパンツ。
母と2人で買うのは父のものばかり。
母がレジに並んでいる間に、近くをウロウロしていると、
「今からタイムサービス、この中央廊下全品半額!」の声。
行ってみると、レディスのボトムや、トップスがたくさんぶら下げてあります。
安いけれど、ちょっと今の時期にすれば薄手。
ダウンジャケットは、昨年の流行り。
「男性小物、スカーフ、帽子も半額!」
と、ワゴンが増えました。
見ると、いつも父がかぶっている帽子の定番品が。
「お母さん。」と母を呼んだら、「ああ。これこれ。」とやっぱりそうでした。
半額で買えました。
さて帰ろうと、車で外に出ると、やはりすごい雨。サーチライトで照らしてもそう明るくなりません。
怖いです。
平和堂の中にいるうちは少しも気づきませんでした。
決死の買い物の成果を持ち帰ると、父が帽子をとても気に入って、夕飯を作っていると、「どうしたん?これ、わしに買ってきてくれたんか。」
と見つけてかぶっています。
「お父さんに平和堂で買ってきた。」と母。
「へー!いいやんか。」と父はニコニコ笑ってかぶってみます。
その笑顔を見ると、「ほらね、買ってよかった。」と母。私も手伝ったのでうれしいです。
認知症がいいのは、忘れてしまうこと。
10分ほどしたら、また、同じ感動、同じテンションで「どうしたんやこれ?」と始まります。
なんども、感動を伝えてくれます。
かつては「ありがとう」も「うれしい」も一回言えば、それで良いと思っていたり、言わなくても伝わると思ったり。
「ごめんなさい」や「すみません」という言葉ですませてしまったり。
父もあまり言わない方でしたが、最近は何回も喜んでくれるので、喜びは何倍にも、何時間にもなります。
それで、私たちが調子に乗ったり、父を馬鹿にしたい気持ちになるか?というと、全く反対で、こういうことをすると、父が喜ぶのかということがはっきりわかり、また繰り返して喜んでもらいたい気持ちになるのです。
このことから、周りの人を喜ばせたり、感謝したりはどんどんやった方が、自分が楽しく生きられるようになる。ということがはっきりとわかります。
認知症になった父から学ぶことは多いです。