音楽の喜び フルートとともに

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天鼓

2016-08-26 20:56:42 | 名曲

一昨日、Kさんが来て、千人の月見の宴のポスターとチラシを置いていってくれました。
この写真は昨年の宴の「融」の時の写真だそうです。
美しい!
衣装や面も、長く伝わるものだそうです。

今年の演目は「天鼓」
王伯も王母夫婦に、子どもができた時、
天から鼓が降ってきました。
子どもは、「天鼓」と名付けられ成長します。
天鼓が鼓を打つと、それは美しい音がなるのでした。
それが噂になり、やがて皇帝の耳に入りました。
皇帝は、鼓を差し出すように命じますが、天鼓は、逃げて隠れてしまいました。
しかし、見つかりつかまえられて、殺されて呂水に沈められてしまいます。

さて、鼓を宮廷に持ち帰り、国中の名人に演奏させてみましたが、鼓は全くなりません。
ついに、王伯なら鳴らせるだろうと、宮廷に呼び出すように命じます。

王伯は死を覚悟して宮廷にやってきます。
鳴らないと殺されるからです。
王伯は、天鼓への思いを込めて鼓を打つと、鼓は、素晴らしい音を響かせます。
皇帝は、褒美を与えて王伯を帰し、天鼓の冥福を祈ることにします。

呂水の辺りに、皇帝が行幸すると天鼓の霊が現れ、鼓を打ちます。
天鼓は、一晩中、鼓を打ち舞います。
やがて、白々と夜が明けるにつれ、天鼓も消えてしまいます。

能は、時々の権力者に庇護され愛された芸能です。
子どもを殺された恨みも、理不尽な権力者の押しつけも、美しい音楽や、舞いに昇華されていきます。

しかし、それだけでは終わらず、同じ夜明けに、強者である皇帝も、やがて衰え死に行くという逃れられない儚い存在であることへの共感にたどり着く。

一方で、世阿弥は、武人は、人を殺した罪で、死んでも救われない。修羅道に落ちて苦しみ続けるとも書いています。

足利義満には、重用されましたが、義政、義教と、地位を追われ、最後には流刑になり、客死しました。
それも、残念ながらわかるような気がします。