母のラナンキュラス。
寒いのによく咲いています。蕾もたくさんついていました。
週一回の父の面会に行くと、熱が出てタンを吸引されていました。先週より弱った感じでした。
目ヤニをとろうと目を押さえると、それでも声をあげました。
帰ってイベールのフルート協奏曲を練習しました。
フルートの神様マルセル モイーズに献呈され、1932年~33年に作曲された曲です。
初演は1934年パリ音楽院管弦楽団。
独奏はもちろんモイーズ。
指揮はフィリップ ゴーベール。
フレンチスクールのドリームチームです。
ジャック フランソワ アントワーヌ イベール(1890年~1962年)
パリに生まれ、パリで亡くなりました。
母はピアニストで父は輸出業者でしたが趣味でピアノを弾いていました。
4歳からヴァイオリンを学んでいます。途中でピアノのレッスンを受け、伴奏の仕事を経て21歳で音楽院に入学しています。
ジェダルジェの対位法のクラスで後の「フランス6人組」と呼ばれるダリウス ミヨー、アルチュール オネゲル、ジェルメーヌ タイユフェールと親交を深めました。
イベール自身は1914年、第一次世界大戦に海軍士官として従軍。フランスを離れていた時期があったことや、1919年ローマ大賞を受賞してイタリアに3年滞在。
その間に作曲家としてのキャリアを初めたことなどから、6人組には入れられなかったと思われます。
実際に彼の代表作と言われている「寄港地」は1924年ローマ留学中に作曲されています。
1930年代は、オーケストラ作品、映画音楽、室内楽曲を作曲し、そのうちの一曲がフルート協奏曲です。
37年にはオネゲルと共作で喜歌劇「鷲の子」を作曲しています。
パリとローマを文化交流で繋ぐ仕事についていましたが、第二次世界大戦で難しい立場に追いやられます。
1940年にはフランスがナチスの傀儡ヴィシー政権になると、イベールの音楽は禁止されてしまいます。
1944年ナチスからパリがシャルル ドゴールによって解放されると彼の希望によってパリに呼び戻されます。
イベールは1940年に日本政府から依頼されフランス政府を通して、皇紀2600年「祝典序曲」を作曲していたそうです。12月に東京歌舞伎座で山田耕作の指揮によって初演されました。
録音見つけました。
歴史的にギリギリ…。
これより遅かったらこの曲は存在しなかったかも。