音楽の喜び フルートとともに

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モーツァルトより人気

2023-04-25 21:26:00 | 古典
日曜日、コンサートの帰りに妹からLINE。

母が剪定してて、ホースに足をとられて転倒して頭と、肩打って、右腕が動かないから病院に来てる。
頭は大丈夫だけど、肩は剥離骨折。
救急の先生だったので、明日もう一度連れて行って。

偶然、実家に妹がいてよかった。

って、言うことで朝7時に出発して母を京田辺の病院へ。
整形外科で、レントゲンとCTと診察3時間、脳外で2時間。

頭は大丈夫。肩は手術はしなくていいそう。
三週間ギブスで、そこからリハビリ。
ほっとしたものの。これ…

お昼ごはんは一緒に食べて、取り敢えず昨日妹がコストコの惣菜を冷蔵庫に詰め込んで帰ったらしいので、今晩は大丈夫。
久々に明日から通いになります。
コンサートの夢から一気に覚めた〜😱

その間にMessengerで友達のコントラバス弾きから、「聴き合い会」でディッタースドルフのコントラバス協奏曲を弾けないか?と連絡があり、慌てて調べました。

カール ディッタース フォン ディッタースドルフ(1739〜1799年
神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン生まれ、神聖ローマ帝国ボヘミア王国ノイホーフ没

神聖ローマ皇帝カール6世の宮廷劇場の衣装デザイナー(刺繍職人)の父親の元に生まれます。

父はカールを幼い頃から音楽の教師をつけ教育しました。

ザクセン=ヒルトブルクハウゼ公子ヨーゼフに見出され特別の教育を受けました。

1761年22歳ウィーンの宮廷歌劇場管弦楽団

のメンバーとなります。
その頃、グルックが楽長をしていました。当時のウィーンの最高の楽団はヨーゼフ公子の楽団でアウアースベルク邸で毎週金曜日の夜に演奏が行われていました。

1763年24歳グルックとともにイタリアを旅行します。

1714-1787年グルック
1765年26歳から1769年30歳の時に
ミハイル ハイドン
(1737-1806年)(フランツ ヨーゼフ ハイドンの弟)

の後を継ぎ、ハンガリーのグロースヴァルダインの司教の楽長を務めます。

シレジアの貴族シャフゴチ伯爵
がパトロンとなり、オペラブッファを9曲作曲しています。
ロシア教皇アレクサンデル3世より黄金拍車賞を授与をされます。

オーストリア領シレジアのヨハネスベルク城でシフゴチ家に使えます。
1772年マリア テレジア

によって貴族に列せられ、フォン ディッタースドルフという家名が付け加えられました。

1786年47歳皇帝の命令でオペラ「医師と薬剤師」を作曲します。
当時、すっかりモーツァルトの栄光を奪ったと伝えられています。

1795年56歳パトロンの伯爵が亡くなると年金を受けますが、貧しくボヘミアのロードロータの住居を提供され、そこで残りの人生を家族と共に生活します。

バイオリン演奏の巨匠で、バイオリンの協奏曲もたくさん残しています。
コントラバスと管弦楽のための協奏曲変ホ長調が有名です。