音楽の喜び フルートとともに

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宮城道雄14歳の初作曲

2023-04-21 21:15:00 | 日本
木曜日は母を京都医療センターに連れて行く日でした。
心臓手術後の定期検診。
今日はだいぶ状態がよかったです。
病院の駐車場は山の中みたい。
1908年に設立されて、1937〜1945年まで旧陸軍病院でした。ちょっと怪しい祠もあります。

現在はサツキが咲いています。


診察してもらって帰ろうとしたら、先生に「先生、これ行かれませんか?」
と、母、先生を自分の出るコンサートにお誘いしていました。
「宮城道雄をしのぶ箏の夕べ」
第48回水辺の情景
6月11日(日)午後三時〜いずみホール

名曲「春の海」から「水の変態」「水三題」、「さらし風手事」「道灌」と宮城道雄の足跡をたどります。

看護師さんが「私、お琴やってたんです。」と言われて、早速彼女にもチラシを渡しました。

病院の後は、イオン久御山で買物。
ランチを食べて、駅前薬局で薬を出してもらって帰ったのは4時すぎ。
なかなかハードです。

宮城道雄(1894〜1956年)兵庫県神戸市生まれ、東京刈谷豊田総合病院没
韓国在住の頃の宮城道雄
神戸三宮、外国人居留地


1872年神戸外国人居留地
の中で生まれます。生後200日に眼病を患い、4歳の時に母と離別して祖母ミネのもとで育てられました。

7歳の頃に失明。
この失明が転機となり、音楽の道を志します。

8歳で生田流箏曲の2代菊中検校に師事します。その後、兄弟子の菊西繁樹の紹介により2代中島検校に師事しました。
2年後に師匠死没したため、以降は3代中島検校に師事して11歳で免許皆伝となります。

師匠の「中」の字を貰い受け、中菅道夫と名乗りました。
13歳の夏一家の収入を支えるため、父の滞在する。
朝鮮の仁川


へ渡り、昼間は箏、夜間は尺八を教えて家計を助けました。
道雄は既存の曲の演奏だけでは満足せず、新しい作曲を目指し、1909年には14歳で第1作の箏曲、「水の変態」


を書き上げます。この時、伊藤博文

に評価されます。

彼は道雄を上京させて支援することを約束しましたが、同年に伊藤は暗殺されたため、叶いませんでした。

「水の変態
道雄は弟が朗読していた「高等小学読本」(小学校の教科書巻四 第十三課)


の中の短歌に興味を持ち、作曲にしました。
水が霧、霰、雲、露、雨、霜、雪と姿を変える様子を七種の短歌に読まれたものです。


小山田に霧の中道踏み分けて 
人来(く)と見しは案山子(かかし)なりけり

むら雲の絶え間に星の見えながら 
夜行く袖に散る霰(あられ)かな

明け渡る高嶺の雲にたなびかれ 
光消え行く弓張りの月

白玉の秋の木の葉に宿れりと 
見ゆるは露のはかるなりけり

今日の雨に萩も尾花もうなだれて
うれひ顔なる秋の夕

朝日射すかたへは消えて軒高き
家のかげに残る霜の寒けさ

更くる夜の軒の雫(しずく)のたえゆくは 
雨もや雪に降りかはるらん

宮城道雄自身の演奏がありました。
字が間違っています。「道夫」→「道雄」
この頃は今のナイロン弦ではなく、絹の弦です。失われた音です。