音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

時流に乗り遅れた作曲家

2023-06-13 21:00:00 | バロック
夫が台湾出張から帰ってきました。
「お土産何がいい?」と、珍しく聴いてきたので、「台湾カステラ」とLINEしました。

存在は知っていたけれど、いつも長蛇の列でお見送り。
流行りものに縁がない私です。


それがちゃんと、買ってきてくれました。

カルフール…と言えは、フランスの大手スーパーマーケット。
円安で何もかも高くなってたという中で400円。
安い!
きめ細かいしっとりふわふわの生地にラム酒かな?いい香りがしていて、甘過ぎずほんのりした甘さで、美味しかった!

え!カステラなんてもう古い?
まあ、お赦しください。
パンケーキも、タビオカミルクティも食べてないのですから。

あっ!ホットケーキは食べたっけ。

ウイリアム ボイス(1711ー1779年
)はイングランド ロンドンの家具職人の息子として生まれました。

1719年セントポール大聖堂の聖歌隊員として認められました。1727年に変声期を迎えてからはモーリス グリーンに音楽を学びました。

1734年ロンドン中心部にあるオックスフォードチャペル

のオルガン奏者として採用されました。

1730年代にはボックスホールガーデンズ
ボックスホールガーデン(プレジャーガーデン遊園地)1751年

ヴォクスホール・ガーデンズの音楽会と食事の様子(1785年)
のための曲を書いていました。1736年にチャペルロイヤル

の作曲家に任命され、オラトリオ「サウルとヨナタンに対するダヴィデの嘆き」を作曲しました。

1737年には3つの合唱団による音楽祭の指揮者に任命され、(ウースター序曲(現在では交響曲第8番として知られている曲)などがこの音楽祭で初演されています。

ウースター大聖堂 1715年から合唱祭が開催されています。

1740年代になると仮面劇などを発表しています。1949年にはニューカッスル公爵がケンブリッジ大学の学長に就任したことを記念して作曲し、音楽博士の学位を授与されました。

ボイスは王の音楽師として葬儀、結婚式、戴冠式などの王室行事のための音楽を作る責任をおっていました。

しかし、彼は1761年のジョージ3世(在位1760-1820年)

の戴冠式のためにヘンデルが作曲した「司祭ザドク」の音楽が素晴らしいとして、新しい音楽を作ることを拒否しました。その後のイギリスの戴冠式では全てヘンデルの音楽が演奏されています。

1758年には耳が遠くなり、オルガン奏者を続けることができなくなり、教師を辞めてケンジントンに移ります。

その後はウィリアム バードやヘンリー パーセルなどの作品を編集して過ごします。

8つの交響曲は彼が書いた劇の序曲に加筆して作られたものです。

当時はイタリア式(緩急をつけた3楽章形式)とフランス式(付点のリズムを含む緩徐楽章からはじまりフーガ、ダンスに至る)の序曲(交響曲)が作られていました。

すぐにフランス式の方は廃れてしまいました。
しかしボイスは生涯フランス式の交響曲を作ることを辞めませんでした。

18世紀後半になって音楽の好みが変わり、聴衆がカール フリードリヒ アーベルやヨハン クリスチャン バッハが人気になり、古典派のスタイルに目を向けるようになると、ボイスの交響曲はオーケストラのレパートリーから外れていき、「時流に乗り遅れた」作曲家になってしまいました。

交響曲第6番はボイスが大成功をおさめた「ソロモン」の序曲でフランス式の形式で作られています。