土曜日は、西宮今津公民館でギターの川原さんとフルート久米でプホールの「ブエノスアイレス組曲」の第3楽章とイベールの「間奏曲」を演奏しました。
と結びつき、ノクターンのジャンルが確立しました。
がピアノ協奏曲第二番を練習するための曲として書かれました。
実家の松井山手でレッスンしてからJRで出発。
海老江で阪神線に乗換え、尼崎で快速急行に乗換え…同じホームの隣と思って乗ったら普通列車でした。
もう一台隣に列車を超えて行かないといけませんでした。
結局、1:30頃着くはずでしたが、2:00直前に。
間に合ったのですが、すぐに演奏するのは大変だろうと
主催の方が出番を入れ替えて対応してくれました。
申し訳なかった!
…最近本当にやばいです。
ボーッと生きていると叱られます。
叱られて治るものなら叱られたいけれど…。
朝のレッスンはフレデリック ショパン(1810-1849年)ワルシャワ公国ジェラソワ・ヴォラ生まれフランス共和国パリ没の
「ノクターン」夜想曲op9-20でした。
Nocturneは
ラテン語のnoxから派生した修道院で使われる晩祷(ばんとう 夕べの祈り、礼拝)のことだそうです。
その後、夜の黙想、瞑想の意味が含まれるようになりました。
宗教的な作品が後になって、貴族の夜会で演奏されるサロン文化
と結びつき、ノクターンのジャンルが確立しました。
ピアノ独奏曲としてのノクターンはアイルランドのジョン・フィールド(1782-1837年)イギリスロンドン生まれ.ロシア帝国モスクワ没
に始まります。
アルペジオの伴奏に歌曲風のメロディが乗るシンプルなもので、ベルカント唱法(美しい歌)をピアノ音楽で表現することを得意としたショパンにとってはぴったりの形式でした。
夜想曲第20番 嬰ハ短調 kk.IVa-16
Lent con gran espressione
1830年作曲 姉のルドヴィカ・ショパン
がピアノ協奏曲第二番を練習するための曲として書かれました。
この曲の初版には「Adajo」
という標題が付いていました。しかし、ブラームスが写譜する時にこの標題を消してしまい速度記号の「Lento con gran espressione」だけが残りました。
また、ルドヴィカが未出版の目録を作った時に「Lento w rodzaju Noktuma 」(夜想曲風のレント)と書いたために夜想曲として知られるようになりました。
1875年ショパンの死後出版されました。
この曲をフルートで演奏するように編曲されたものレッスンでは使いました。
フルートではピアノとは雰囲気が違いますが、ピアノでベルカント唱法を目指したというショパンの意図がよりわかるような気がします。