音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

リストの愛したキャベツ料理

2024-03-22 20:57:00 | ロマン派
春キャベツ。
夫とテレビを見ていたら「うまそう。」「うん。」
と言ってたら火曜日、三木の仕事の帰りに道の駅でキャベツを買ってきました。
『家にも1個あるのに〜!』
で、私がスープを作っている間に夫と次男が作ってくれました。

うっすら焼いたトーストにマスタードを塗ってスライスしたサラダチキンをのせます。
ラップかけてレンチン一分のキャベツを絞って、


ペッパーマヨネーズを混ぜます。それをチキンの上に山盛りのせます。
もう1枚のパンにはスライスしたチェダーチーズをのせて、トースト。

それをキャベツの上にのせて、

半分に切ったら

キャベツたっぷりサンドイッチできました。

思ったより食べやすくて美味しかったです。
反省点はレンチン1分ということでしたが、家のレンジの加減では2分したほうが良かったかも。少しキャベツが固かった。
表面の方だったからかもしれませんが…。
そして、水曜日生協さんがまたキャベツ丸々1個届けてくれたのでした。
今夜はお好み焼きか〜!

フランツ リスト(1811-1886年)オーストリア帝国ハンガリー王国ドボルヤーン生まれ、ドイツ帝国バイエルン王国バイロイト没

オーストリア帝国領内ハンガリー王国ショプロン県ドボルヤーン(現在のオーストリア共和国ブルゲンラント州ライディング)で、ハンガリーの貴族エステルハージ家に仕えていたオーストリア系ハンガリー人(ドイツ系)の父アーダム・リストと、オーストリア人(南ドイツ人)の母アンナの間に生まれたリスト。

ドイツ人ヴァイオリン奏者フランツ・リストを叔父に、同じくドイツ人刑法学者フランツ・フォン・リストを従弟に持つのはこのゲルマン系の家系のためです。

ワイマールのリストの家1869-1886年住んでいました。


リストのヘビシュタインのピアノが置いてあります。

家庭内においてはドイツ語が使われていたこと、またドイツ語およびドイツ系住民が主流の地域に生まれたため、彼の母語はドイツ語でした。しかし、後にパリに本拠地を移して教育を受けたため、後半生はフランス語のほうを多く使っていました。このほか数ヶ国語に通じています。

彼はハンガリー人を自認していました。

家名の本来の綴りはドイツ系固有の List で、Liszt はそれをハンガリー語化した綴りです。
ハンガリー名はリスト・フェレンツ(Liszt Ferencz; 現代ハンガリー語の表記ではLiszt Ferenc)で、彼自身はこのハンガリー名を家族に宛てた手紙で使っていました。
1859年から1867年までの公式の氏名はフランツ・リッター・フォン・リスト (Franz Ritter von Liszt) でした。

これは1859年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によりリッター(騎士)の位を授けられたためで、リスト自身は公の場でこのように名乗ったことは一度もありませんでした。

この称号はカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタインと結婚する際、カロリーネを身分的特権の喪失から守るために必要でしたが、カロリーネとの結婚が婚姻無効になった後、1867年にリストはこの称号を自身よりも年少の叔父のエードゥアルトに譲りました。

1838年のドナウ川の氾濫のときにウィーンでチャリティー・コンサートを10回も行い、演奏料をハンガリーのブダペストに災害救助金として寄付しています。

また、1867年オーストリア=ハンガリー帝国が成立し、フランツ ヨーゼフ

が皇帝になります。
その時「ハンガリー戴冠式ミサ」が ブダペストマチャーシュ教会

で、初演されます。

1881年〜リストが住んだアパートメント 音楽院として建築されていて、1875年〜音楽院として利用され、1879年〜リストは学長を務めました。
リストが作らせたピアノなども置いてあります。

上段はピアノ
下段はハーモニウムの音が出るそうです。

しかしリストは、生涯ハンガリー語は話せなかったそうです。

そんなリストの好物はロールキャベツ ハンガリー風だったそうです。

パプリカパウダーとマジョラムを入れて、サワークリームをのせるのがハンガリー風。
(「音楽家の食卓」野間浩資著 誠文堂新光社参照)

ハンガリー戴冠式ミサ R.487
1.Kyrie
2 Gloria
3 Graduale
4 Credo
5 Offertorium
6 Sanctus
7 Benedictus
8 Agnus Dei