音楽の喜び フルートとともに

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豆ばかり1週間

2024-03-28 21:37:00 | 現代
近所の道の駅でうすいえんどうを買ってきました。
これは豆ごはんと、次男と剥きだしたら…。
「ちっっっちゃ!」と次男。
見たら、驚きました。
大きな莢の中には立派な皮の中に1個だけとか。
たくさん剥いて見たけれど、

「少なっ!」と次男。
豆ごはん好きなのですよ。
私も。
小さ過ぎて豆が少し潰れた、ちょっと残念な豆ごはんでしたが、豆の味はしっかりして美味しかったですよ。

豆と言えば、ベルクの陰鬱な救いのないオペラ「ヴォツェック」の中で、貧しい兵士ヴォツェックは1週間豆ばかり食べさせられます。

豆ではすぐに死にはしないけれど、その強制と監視はヴォツェックの魂を殺し、人生を破壊していきます。

アルバン ベルク(1885-1935年)オーストリアハンガリー帝国ウィーン生まれ、オーストリアウィーン没

1909年24歳

はウィーンで富裕な商家の子供として生まれました。
15歳の時、父が亡くなります。
独学で作曲を試みるようになり、この時の現存する多数の歌曲は1980年まで封印されていました。

1902年にはベルク家の別荘で働いていた女中、マリー・ショイヒル
との間にアルビーネ ジョイフル
アルビーネ・ショイフル
1902年に17歳だったベルクとベルク家の女中マリー・ショイフルとの間に生まれました。マリーは去り、二度とベルクと会わなかった。アルビーネはベルクの葬儀で一度顔を見せました。
が生まれ、翌年にはギムナジウムの卒業試験に失敗して自殺を図ります。

1904年、ベルクの兄が弟の作品をシェーンベルクのもとに持ち込み、シェーンベルクや同門のヴェーベルンとの交友が始まります。

ベルクはギムナジウム卒業後、公務員になりますが、作曲活動に打ち込むため2年で辞職し、ウィーン国立音楽院へ入学します。

1907年、「4つの歌曲」Op.2などの曲で本格的な作曲家デビューを飾ります。

1908年7月23日、喘息を発病します。この時23歳だったベルクは「23」という数字を自己の運命の数と決め、この数は以後の作品の構成に組み込みます。

1911年、声楽を学んでいたヘレーネ・ナホフスキーと結婚。

ヘレーネの母アンナはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の愛人として知られ、ヘレーネは皇帝の庶子とも言われています。

1912年、「アルテンベルク歌曲集」Op.4を完成します。

1914年、ゲオルク・ビューヒナー
1813-1837年
の戯曲「ヴォイツェック」の上演に接したベルクはこの戯曲を基にした無調音楽のオペラの作曲を始めますが、この年に第一次世界大戦が勃発、翌年から兵役に服する事になり作曲が不可能になります。

1917年になって休暇を与えられ、歌劇「ヴォツェック」 OP.7の作曲再開に踏み切ります。「ヴォツェック」の完成は1922年になってからです。


本来、この人物の名はWoyzeck(ヴォイツェック)ですが、筆写の悪筆のためyをzと読んでいたためにWozzeck(ヴォツェック)と誤読したため、ヴォツェックになりました。

作曲中にベルクはこの事実を知りましたが、結局変更はしませんでした。
1914年末に台本の草稿を完成させ、音楽のスケッチもいくつか書いていましたが、『管弦楽の為の3つの小品』を完成させるためにオペラの作業は一時中断し、さらに徴兵などで作曲は遠のいてしまい、全ての完成は1922年4月になりました。

ビューヒナーの戯曲は、1821年に実際に起こったヨハン・クリスティアン・ヴォイツェックという名の元兵士の情婦殺人事件をもとに書かれています。貧しい床屋上がりの兵士が、鼓手長と通じた内縁の妻マリーを殺すという内容の物語です。

オペラの中で
貧しいヴォツェックはマリーと子どものため、生活費の足しにしようと医者の実験体となっています。

今週は咳をせず、豆しか食べてはいけないという指示を出されています。

医者は、咳をしたところを見たと言ってヴォツェックを叱責します。
来週は羊の肉しか食べてはいけないという指示を出します。

ヴォツェックは「太陽がまだ真昼に輝いている時に世界が燃えるようになって、恐ろしい声が俺に話しかけてきた!」などと言い始め、医者は「局部性精神錯乱の第2種だ、はっきり出てきた!」と自分の実験の成果が出てきたことを喜び、「名声は不滅となる。」と恍惚として叫びます。

そこまでして尽くしたのにマリーは鼓手長と浮気し、耐えられなくなったヴォツェックはマリーをナイフで刺殺します。

狂ったヴォツェックはナイフを隠そうと池に投げ入れ、そこではまだ見つかるとナイフを探しに池に入って溺れ死にます。





ユルゲンフランツマスタークラス「ウンディーネ」

2024-03-28 00:33:00 | レクチャー、マスタークラス
昨夜、なぜかいつもやっているアカウントでログイン画面に入れなくなりました。
二段階認証に登録しろというのでやってみましたが、コードを入れても他の画面に入れるのに編集画面には入れずログイン画面に戻るのです。
Googleアカウントに切り替えたら、二段階認証コードも入れないのにあっさり入れました。訳がわかりません。
そこに至るまでに午後4時になっていました。ごめんなさい。

昨夜保存しようとした記事残っていましたので、投稿しますね。

火曜日夜は、梅田ドルチェ楽器て、ユルゲン フランツのマスタークラスとコンサートに行ってきました。

コロナ以来久しぶりに海外からのマスタークラスに参加しました。

CDにサインもらってご機嫌です。
着いたら「久米さん!」と声が、コロナで3年会えなかったフルート友だちと竹代先生でした。

竹代先生は、曽根先生に師事して、ゴールウェイにも指導を受けたという御大です。

気さくに私にも声をかけてくださいます。ご一緒させていただきました。

マスタークラス一人目は大阪音大の村田泰葉さん、ライネッケのフルートソナタ「ウンディーネ」op167

まずチューニング。
アンブシュアのために時間を取ること、先にピアノを聞いてしまうと、どうしてもそちらにアジャストしてしまうので、合ってると思っても、吹き出すと違うと言うことがよくあります。
まず2、3音吹いてアンブシュアを決めてからピアノを聞いて合わせましょう。

日本のホールのピアノは必ず442hzに合っているのでイイなあと言っておられました。

ウンディーネは、人魚で人と恋したら必ず死ぬという悲劇です。
その長いストーリーの中でテンポを決めましょう。

少し遅めに始まってFの前のピアノでテンポを速くします。

それから調性。
Emollのアルペジオで始まります。
Emollのキャラクターは何でしょう?

答えられなくても心配ない。人は知らないことの方が多いのだから。

Emollの曲はバッハのフルートソナタ、シューベルトのアルペジョーネ・ソナタがあります。
そしてイベールのフルートソナタのテンポにはAllegro メランコリックと書いてあります。
メランコリック。
人魚はなぜ不幸なのか? 何かを失っている。何かを探し続けています。人に恋したら死ぬと知っています。

シューベルトアルペジョーネ・ソナタでは、Emollから、Edurに変わります。
すると世界に突然春がやってきます。花が咲いて人生が輝く。
Emollは哲学的な調性です。

調性の感覚を養うには、ゴールウェイがよくやっていることですが、モイーズの「ソノリテ」のロングトーンの練習を使って、開発します。
シラの間にハーモーニーをとり、ドミナントに転調して下がります。
上に行くときにはトニックからドミナントに転調しながら音程をよく聞いて。

そして大事なのはJoy something!

さて、「ウンディーネ」の初めの所。
オクターブの下の音色を確かめて、ゆっくり2拍ずつにして練習しましょう。
次に一拍ずつ、その時に無限大∞の記号を思い描いて滑らかに。
頭を動かさないで、コントロール。
4分音符にして、そして8分音符。

柔軟Flexiblityと、固定Staybilityについて

柔軟性は、固定から生まれます。

唇にしっかりマウスピースを押しつけます。
指を動かしたい時は、動かない指に気をつけると動きやすい。

左手は、人差し指が開くときがあるのでそれは人差し指の付け根で固定しましょう。

右手はまずKeyboard、キーの、配列に沿ってアーチのようにして指を置きましょう。それから親指の位置を探しましょう。
親指はと言って受講生にいいねの形を取らせ、親指を押されました。

「思い切り押して!」それでも動かないためには、管にいいねの形を取って指を真っ直ぐ押す感じ、そうすると反対側の唇がしっかり固定されます。

ピアノをよく聞く余裕を持って、間違いは気にしないで。

2回目のPPはカラーが変わります。感情の変化を表現。
私はなぜ不幸なのか?
ダイナミクスも大切に、2次元の演奏を3次元にしましょう。

和声の変化する時に少し時間を取りましょう。ただ速いだけの演奏は、観客を取り残します。
その先のPは、イノセンス、純粋無垢な少女のイメージで、

8分の6拍子は水を表現する時によく使われています。
ウンディーネもそうですが、モルダウもそうです。
なぜかな?
ここで時間になりました。2曲目はイベールのピース、また今度。

ユルゲン フランツ編曲「トゥーランドット」幻想曲 まだ、彼しかYouTube上がっていません。