音楽の喜び フルートとともに

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ベートーヴェンと同窓

2024-12-01 21:00:00 | 古典
道頓堀ホテルで松江農業工業高校の107回同窓会によんでいただきました。
幹事のFさんとは次男のPTA仲間でした。
107回目とあって、仲の良さが伝わってくる会場のみなさんでした。

ギターの川原久美子さんと地下鉄難波駅で待合せて行きましたが、すごい人出でした。
待っていると人酔いしそう。

イベールの「間奏曲」モーツァルトの「フルートソナタop14-2」ヴィヴァルディの四季より「冬」ピアソラの「リベルタンゴ」を演奏しました。
ホテルでと言うと呑んだり食べたりの最中が多いですが、食事なしの総会、ご挨拶などが終わってお腹すいた頃に演奏。

温かい拍手で迎えていただいて、とても集中して聴いてくださいました。

終演後も温かい笑顔で「よかったよ」とか口々に声をかけてくださって
Fさん、「自慢の先輩たちなんだ!」ってわかります。
半端じゃない包容力でした。
元気をいただいてしまいました。

川原さんと遅昼をいただいて解散。

私はその後東大阪文化芸術劇場での母校樟蔭女子大学マンドリンクラブのコンサートを聴きに行きました。

ロビーで同期のAさんに出会って、一緒に聴きました。
今日はホームカミングデイな日でした。

アントニーン・レイハ(Antonín Rejcha 1770 - 1836年)チェコスロヴァキア プラハ生まれ、フランス共和国パリ没

作曲家、音楽理論家。フランス及びドイツでの活動が長かったことから、フランス名アントワーヌ・ライシャ(またはレイシャ、レシャ、Antoine Reicha)、ドイツ名アントン・ライヒャ(Anton Reicha)とも呼ばれています。

24曲の木管五重奏曲をはじめとする管楽器のための作品を多数残し、この分野での開拓者となりました。

音楽教育面ではパリ音楽院の作曲科教授として、
フランツ・リスト

エクトル・ベルリオーズ


シャルル・グノー


セザール・フランク

らを育てました。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンとは同年生まれで、友人です。

理論家としては、19世紀を超えて20世紀に通じる書法を予言していましたが、評価されたのは21世紀に入ってからです。

10歳のときに孤児となり、ドイツでチェロ奏者で作曲家でもあった叔父ヨーゼフ・ライヒャに引き取られ、ニュルンベルク近郊に移ります。

1785年、レイハはケルン選帝侯マクシミリアンの宮廷楽団のフルート奏者としてボンに移ります。

同じ楽団でヴィオラ奏者だったベートーヴェン

と知り合ったのは、このときです。

同年、叔父ヨーゼフが指揮するケルン歌劇場管弦楽団に加わります。

このころにはドイツ語だけでなくフランス語も習得していました。

1789年、ベートーヴェンとともにボン大学に入学。 
しかし、フランス革命軍によってボンが占領され、
宮廷楽団は解体されたためにハンブルクに移り、ピアノ及び作曲の教師となります。    
           
1801年、ウイーンに移り、ベートーヴェンと再会。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

に師事、マンハイム楽派やグルック、モーツァルトなどの影響を受けます。

1808年、38歳の時にパリに移ります。

1817年、パリ音楽院
1795年当時の初代校舎、パリ9区
の作曲科の教授になります。
1829年、フランスに帰化。
1835年、学士院の会員に選ばれます。

1836年、パリで没。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。

木管五重奏op88no.2 変ホ長調