土曜日朝、京田辺の母からLINEで「テレビ捨てに行きたい。」とお呼び出し。
「今までありがとう。」と、テレビを置いて来ました。
こちらはみんなが持ち込んだクーラー。
サロンでのピアノ演奏家として活躍し自ら作曲も行っていました。
ボンダジェフスカの墓(ワルシャワ、ボヴォンズキ墓地
日刊紙「Kurjer Warszawski」(1851年4月14日発行)より「乙女の祈り」出版を報じる記事。
ちょうど出張していた夫も関空からリムジンバスで京田辺に帰ってくると言うので迎えに。
その前にファミリーポートひらかたによってクリスマスで使う楽器を借りました。
「久米さん、ちょうどよかった!」とレタスをいただきました。
ポートのお隣の農家さんからいただいたそう。
ボランティアも時々良いことがあります。
それから、次男と実家に行くと、母はリストを持って待っていました。
お買物と保険などの手続き。
いろいろたまっていたようです。
夫をひらってから、と言うとお昼ご飯を作ってくれました。
夫をひらって3人でお昼をいただきました。
それから粗大ごみセンターに使えなくなったテレビをお持ち込み。
「今までありがとう。」と、テレビを置いて来ました。
こちらはみんなが持ち込んだクーラー。
みんな、今まで私たちのために働いてくれてありがとうございました。
ゴミと音楽と言えば、ゴミ収集車の音楽。
前に住んでいた寝屋川市では「赤とんぼ」でしたが、枚方市は無音。
調べてみたら、家庭ごみ「おさるのかごや」プラごみ「草競馬」も言うところも。
「グリーン・スリーブス」
「乙女の祈り』(バダジェフスカ)
『エリーゼの為に』(ベートーヴェン)
『好きです かわさき 愛の街』(山本直純)
『ヨコハマさわやかさん』
「五木の子守唄」
「1週間」ロシア民謡
「やぎさん郵便」
『エーデルワイス』(ロジャース)
『ます』(シューベルト)
『故郷の空』(スコットランド民謡
「しゃぼん玉」
「小鳥が来る街」
「おうま」
「赤とんぼ」が多いのは
「ノボル電機」1945年に大阪市東成区で創業し、ホーン型スピーカーの設計や製造を手掛け、2018年に大阪府枚方市に本社工場を移転しています。
この会社がゴミ収集車用の音響を早くから手がけ、
利用者は標準的に提供されていた8つの定番曲
「赤とんぼ」、「五木の子守歌」、「おさるのかごや」、「エリーゼのために」、「乙女の祈り」、「故郷の空」、「おうま」、「草競馬」
の中から1曲を選択して注文する形になっていたそうで、「赤とんぼ」を選ぶ自治体が多かったようです。
台湾では、ゴミ収集車は「エリーゼのために」だそうです。
ドイツから贈られたゴミ収集車を使ったことから、ドイツの作曲家ベートーヴェンに敬意を込めて「エリーゼのために」だそうです。
エリーゼのためには前に書いたので
「乙女の祈り」
テクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカ(1823 - 1861年)ポーランドムワヴァ生まれ、ワルシャワ没
作曲家・ピアニスト。二重姓の後半は夫の姓(の女性形)です。
サロンでのピアノ演奏家として活躍し自ら作曲も行っていました。
1851年にワルシャワで出版された『乙女の祈り』(波: Modlitwa dziewicy, )がパリの音楽雑誌「La Revue et Gazette Musicale」に転載され、その名が広く知られるところとなりました。
『乙女の祈り』カバーに描かれたテクラ・バダジェフスカ
この曲を作曲したのち、J・バラノフスキと結婚し5人の子供をもうけました。
この曲を作曲したのち、J・バラノフスキと結婚し5人の子供をもうけました。
娘とピアノを演奏するテクラ・ボンダジェフスカ
小品を35曲ほど作曲しましたが、1861年に病弱のためにワルシャワにて38歳ほどで亡くなりました。
ボンダジェフスカの墓(ワルシャワ、ボヴォンズキ墓地
彼女に関する作品や資料については第二次世界大戦等により大半が消失したため、現在では『乙女の祈り』以外はほとんど知られておらず、特に本国ポーランドでは認知度が低いそうです。
これは「祈り」という言葉が、共産圏の影響下にあったポーランドで不適切とみなされたためと、
音楽教育を受けていないこの『少女』に対して、「浅薄な素人くささを超えられなかった」と、19世紀の音楽事典が酷評を加え、当時の「偏見」の存在を指摘されています。
日刊紙「Kurjer Warszawski」(1851年4月14日発行)より「乙女の祈り」出版を報じる記事。
1851年4月14日発行のワルシャワの日刊紙に「最近ボンダジェフスカ嬢作曲による《乙女の祈り》というピアノ曲が出版された。楽譜は各ミュージック・ショップで購入可能。価格は45コペイカ」という内容の記事が掲載されました。
楽譜はまずワルシャワで出版され、続いて1858年9月にフランスの音楽雑誌「La Revue et Gazette Musicale」の付録としてパリで発表されました。
世界各国の80以上の出版者から刊行され、幅広く人気を博しました。
続編として、同じ作曲家により「かなえられた祈り(「乙女の祈り」への答え)」が作曲されています。
「かなえられた乙女の祈り」