いいお天気が続いて、オレンジの雲が出ていました。
花博記念公園の前を通りかかったので撮りました。
こちらは市民プール。
入場アーチ門として使用されました。
ガムランは叩く、打つ、つかむという意味で、大中小のさまざまな銅鑼や鍵盤打楽器による民族音楽です。
このような音楽を聞いて、ドビュッシーは自分の音楽に取り入れようとしました。
1889年パリ万博のパゴダ
花博記念公園の前を通りかかったので撮りました。
ハナミズキホールといのちの塔が見えています。
こちらは市民プール。
ほとんどは植物園。後は運動公園になっています。
大きなお祭りの後の利用が大変。
いのちの塔では、100万人募集のはずだった会費2000円の会員は30万人しか集まらず募集を続けるも1990年開幕時点で赤字。
10年後閉鎖。
永遠に保存閲覧できるはずだった会員の写真データをよそに
2019年撤去の方針が決まったと報道がありましたが、どうなったのか?
いのちの塔はまだそこにありました。
クロード ドビュッシー(1862-1918年)フランス帝国サンジェルマン アン レー生まれ、フランス共和国パリ没
は1903年作曲の「塔」は1989年パリ万博博覧会で聴いたジャワ音楽に衝撃を受けて書かれました。
1889年パリ万国博覧会は、パリで開催された4回目の国際博覧会で、フランス革命バスティーユ襲撃から100周年に開催されました。
最大のシンボルはエッフェル塔
入場アーチ門として使用されました。
エレベーターが完成しておらず、当初は登れず、不満が高まったため、途中から階段で観客を入れました。
9日目にようやくエレベーターが完成し!観客は入場料を払って登りました。
中には建築者のエッフェルの私室があり、フィガロ紙の編集室と印刷機、気象観測や空気抵抗の実験が行われる部屋もありました。
一階にはフランス料理、ロシア料理、フランドル料理の3軒のレストランがあり、アングロ・アメリカンバーミーズがありました。
エジソンが会期中に私室に招かれ、感激した彼は蓄音機を贈り、万博のハイライトになりました。
1867年第2回パリ万博の会場シャン・ド・マルス公園を利用、建て増しされて開催されました。
ジュール マスネが喜歌劇「エスクラルモンド」が発表され、会期中、50回以上上演されました。
事業支出 4150万フラン
事業収入 4950万フラン
来場者 3225万人
出品者 6万人(55%がフランス人)
参加国 35カ国
黒字!
ガムラン
ガムランは叩く、打つ、つかむという意味で、大中小のさまざまな銅鑼や鍵盤打楽器による民族音楽です。
大体は青銅器です。
このような音楽を聞いて、ドビュッシーは自分の音楽に取り入れようとしました。
「版画」という曲集の中の一曲です。
後の2曲は、グラナダの夕べはハンガリー音階を使ってスペイン情緒を、雨の庭はフランスの童謡を使ってフランス庭園を描いています。
「塔」はパゴダpagodaと書かれていて、東洋風の塔を表現しています。エッフェル塔のLe tour Eiffelなどの塔とは同じではありません。
1889年パリ万博のパゴダ
ペンタトニック(5音階)が使われています。1908年マ・メール・ロワで「パゴダの女王レドロネット」で中国の人形と塔パゴダでもこの手法が使われています。
版画「塔」
外来種のセイヨウムラサキではなく、万葉集に詠われ、染色で貴重だった幻のムラサキ草を増殖して、会場の一画で咲かせるプロジェクトに数年取り組んでいました。
「ムラサキ咲いてますよ!」って道行く人に呼びかけた。33年経ったのですね。
日本でも墓校樟蔭大学の教授がガムランの研究をされていて、ご自分でも演奏され、学生たちと子どもたちにガムランを伝えるワークショップなどを開催されていますよ。
。
咲かせるのはご苦労があったことでしょう。素晴らしいです。