枚方市文化祭クラッシック部門に出演してきました。
いろいろおかしなところもあったけれど、10歳から高齢の方までのカルテットで、ゆったりほっこり演奏してきました。
では見にくかったので、近くの河川敷まで行きました。
いろいろおかしなところもあったけれど、10歳から高齢の方までのカルテットで、ゆったりほっこり演奏してきました。
チケット受付も1時間ほどお手伝い。
始めましての方とも協力してお祭りを盛り上げました。
夜はこれから枚方の淀川沿岸で花火を上げられるそうです。
秋のお祭のシーズン始まりました!
うちの二階からの花火
では見にくかったので、近くの河川敷まで行きました。
この3年間、密にならないように10分だけ予告なしの花火をあげ続けてくれた友だちがいます。
「今年は予告してやるよ!」と何ヵ月も前から準備しているのを知っています。
ちゃんと見ました!ありがとう♥️
モーリツ モシュコフスキー(1854- 1925年)プロイセン王国ブレスラウ生まれ、フランス パリ没
ポーランド系のピアニストで作曲家。
当時は高い尊敬と人気を集めたピアニストでした。
ショパンの演奏の導入に使われる「15の熟練のための練習曲 15 Études de Virtuositié 作品72」で有名です。
ドレスデンの音楽院に学び、1869年ベルリンに移りシュテルン音楽院で学びました。
1873年リストに呼ばれて、自作のピアノ協奏曲を披露しています。
ベルリン音楽院で教鞭をとり、多くのピアニストを育てました。
1884年セシル シャミナードの妹アンリエッタと結婚し、マルセルとシルヴィアという二人のこどもを設けます。
5年後、アンリエッタが詩人のルードヴィッヒ フルダのもとへ走り、離婚。
腕の具合も悪く、演奏活動よりも教育に身を入れます。
1897年パリに移り2番目の妻と結婚します。
1910年2番目の妻も彼の親友へ、離婚します。
晩年は貧困に暮らし、彼の弟子たちが救済コンサートを開き、年金をもらえるようになりますが、支給の前に胃癌でなくなります。
ピアノのための「8つの性格的小品」op36の6番目の作品は「花火」という題名がついています。
ひろひろです🌈
私の次女、枚方の🎆花火
見に行きましたよ😃
いつも音楽の歴史話し
有り難うございます✨
😃✌️
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。
美しい花火に🎆🎇に見入りました(^-^)
長い〜長い〜夏休みを終え
孫が帰寮しホッとする朝です。
今週もどうぞお元気でご活躍を(^-^)
次女さん、枚方の花火見に行かれたのですね!
現場はすごい人だったと聞きました。
迫力あったでしょう。
虹があんなに見えるなんて、不思議ですね。お馬さんいいのが来ますように🙏
お孫さん、帰寮されほっとされるもさびしいですね。
柿にぶどうにスナップエンドウ。
なんでも美味しい時期になりましたね。
絵手紙にしてから頂くなんて最高の味わい方ですね。
枚方市の市民の皆さんはとても元気そうで何より、と思いました。
学生時代を大阪で過ごしたので、枚方市やその隣の寝屋川市から通っていた学友のことを思い出します。
京阪電車に乗ってさらに隣の門真市では、身体障害児の夏休み休暇中、その子を自転車の後部座席に乗せて、定期的に寝屋川市民プールへ遊びに連れてやっていました。
それはそうとブラームスと恋愛の話を読ませて頂いてふと思い出しました。ニーチェとワーグナーとの関係悪化について。二人の関係が決定的決裂を見せた時期とニーチェとワーグナーとが一人の女性をめぐって結果的にワーグナーの側に走った時期との微妙な重なりを考え合わせずにはおれません。
ではでは。
最近、指揮者の大友直人の本を読みました。クラシックへの挑戦状という本です。小澤征爾との出会いは衝撃的でした。お時間がある時、私のブログをご覧ください。
花火は資金不足でずっと中断していたのを若い人たちが、100%寄付 100%ボランティアで復活させたものです。
本当に元気です。
寝屋川、門真!この辺りにご縁がお有りだったのですね。
障害児の送迎もされていたのですね。
私も児童会で担当してました。なんだか
親近感感じます。
ワーグナーとニーチェの関係。
ニーチェのアリアドネのことですね。
どうかなぁ…。あるかもしれない、ないかもしれない…。
コンサート充実した時間になりました!
ブログ読みました。
大友さんの本は読んで無いですが、小澤さんに言われても自己を曲げなかったエピソード。
どんな人でも、社会的正しさには馴染めないことありますね。
ましてや自分のことです。
小澤さんも彼の将来を考えてのことでしょうが、大友さんも譲れなかった。
意思あるところに道あり。
やり切られたのではないでしょうか?