月曜日は午後から火曜日の子育てサロンでのクリスマスコンサートの合わせ練習です。
バスフルート
に音楽の才能を見出されてカッセルの教会学校の歌手となり、ギムナジウムに入りました。
のオルガニストであるジョヴァンニ・ガブリエリの弟子となりました。
の指揮を委ねられました。
1627年
ダビデ詩篇歌集 初版の表紙
絵帆を読んでくれるOさんはスタッフの1人なのですが、なかなか絵本を読むのが上手いです。
音楽に合わせて読むのは難しいと思うのですが、昔、合唱をされていたとかで、楽譜を読みながら上手く合わせてくれます。
ピアノのTさんも絶賛。
明日はなんとかうまく行きそうです。
ドレスや楽器、鈴やタンバリン、会館はピアノが無いので電子ピアノ。
これを持っていくと車の荷台は一杯になりました。
これとOさんが作ってくれたフェルトのベル。Yさんのプログラム、会館にあるクリスマス飾り、ボードに貼る歌詞カード、ハンドベル、パラバルーン、クリスマスプ…おっと!これは秘密。
バスフルート
子どもたち、たくさん来てくれると良いなぁ〜!
ハインリッヒ シュッツ
Heinrich Schütz (1585 - 1672):
神聖ローマ帝国ケレストリッチ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ドレスデン没
クリストフ・スペトナー画。1650–60年頃、ライプツィヒ
ハインリヒ・シュッツはドイツの初期バロック音楽を代表し、ヨハン・ヘルマン・シャインやザムエル・シャイトとともに「3S」と呼ばれています。
ハインリヒ・シュッツはドイツの初期バロック音楽を代表し、ヨハン・ヘルマン・シャインやザムエル・シャイトとともに「3S」と呼ばれています。
大バッハ生誕のちょうど100年前に生まれ、ドイツ音楽に息吹を与えた「ドイツ音楽の父」と形容されています。
1585年にドイツ中部テューリンゲン州ケストリッツで、宿屋を経営するクリストフ・シュッツとユーフロジーネ・ビーガーの長男(8人兄弟の2番目)として生まれ、翌日、同地の聖レオンハルト教会で洗礼を受けました。
1590年に家族はワイセンフェルスに移って新しい宿屋の経営を始め、ここで少年時代を過ごしています。
1599年、14歳のシュッツはヘッセン=カッセル方伯モーリッツ
に音楽の才能を見出されてカッセルの教会学校の歌手となり、ギムナジウムに入りました。
1607年からはマールブルクで法律を学ぶことができるようになり、同時にオルガン演奏と作曲の勉強も始めました。
卒業後、方伯の奨学金を得て、1609年にイタリアに赴き、ヴェネツィア サン・マルコ寺院
のオルガニストであるジョヴァンニ・ガブリエリの弟子となりました。
この間、1611年に最初の公式曲集「イル・プリモ・リブロ・ディ・マドリガリ」(マドリガル集第1集、SWV 1-19)を完成しました。
死の床にあったガブリエリから、シュッツは指輪の遺贈を受けています。
シュッツが「師匠」と呼んだのは生涯でガブリエリただ一人でした。その師匠ガブリエリは1612年に亡くなりました。
翌1613年、ドイツに帰り、方伯モーリッツのはからいでカッセルの第2オルガニストに就任。
1615年、ザクセン選帝侯
ヨハン・ゲオルク1世(1585- 1656年)ザクセン選帝侯(在位:1611 - 1656年)
の宮廷に移って、ドレスデン宮廷楽団(現在のシュターツカペレ・ドレスデン)
の宮廷に移って、ドレスデン宮廷楽団(現在のシュターツカペレ・ドレスデン)
の指揮を委ねられました。
当時の楽長ロギエール・ミヒャエルは病気療養中で、ミヒャエル・プレトリウスが代行していたため、初めはプレトリウスと並んで指揮を執っていました。
1617年に正式に宮廷礼拝堂つきの作曲家となり、1621年にプレトリウスが死んで後は、1672年に亡くなるまでシュッツが楽長の地位につきました。
1627年
この間、1619年に「ダビデ詩篇歌集」を刊行して方伯に献呈しました。
ダビデ詩篇歌集 初版の表紙
同年にマグダレーナ・ウィルデックと結婚し、その後、二人の娘を得ましたが、アンナ・ユスティーナは17歳で亡くなりました。
一方ユーフロジーネは、ライプツィヒ市長を務めたクリストフ・ピンカーと結婚したものの、彼らの娘ゲルトラウト・ユーフロジーネには子どもがなかったため、シュッツの血統は絶えています。
クリスマスの歴史
オラトリオ 喜ばしきイエス・キリスト生誕の物語
Weihnachtshistorie SWV 435 (1664)
福音書、ルカとマタイによるクリスマスの物語を、教会の礼拝で使用する音楽として作曲されました。
この作品はおそらく 1660 年にドレスデンで初演され、1664 年に部分的に出版されました。
東方の3博士がイエス・キリストがお生まれになったと聞き、探しにやってきました。
ヘロデ王はこれを聞いて恐れ、エルサレム全土も同行し、民の中から祭司長と律法学者をすべて集め、キリストがどこで生まれるのか尋ねたところ、彼らはヘロデに言った、
大祭司と律法学者
ユダの地のベツレヘムで、預言者は次のように書いているからです:そして、ユダの地のベツレヘムよ、あなたはユダの君主の中で決して最も小さい者ではありません。なぜなら、あなたから私のところに公爵が来るからです。わが民イスラエルの主となってください。
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