うちの庭のミニバラが咲きました。
1878年作曲されたヴァイオリン協奏曲ニ長調は、バーデンバーデンでマックス ブルッフ(1838-1920年)プロイセン王国ケルン生まれ、ドイツ、ベルリン没
に、ブラームスは手紙で助言を求めます。
四季咲きですが、暑すぎるとやっぱり咲きません。
この辺りでは、まだ30度超えの日が続きますが、少しは秋がやってきているみたいです。
3大ヴァイオリン協奏曲、メンコン(メンデルスゾーンの協奏曲コンチェルト)の他の2曲は、諸説あります。
候補は3曲あって絞られていません。
ここは私の主観で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
後2曲はお楽しみに!…なんちゃって。
ヨハネス ブラームス(1833-1897年)自由ハンザ都市ハンブルク生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没
1878年作曲されたヴァイオリン協奏曲ニ長調は、バーデンバーデンでマックス ブルッフ(1838-1920年)プロイセン王国ケルン生まれ、ドイツ、ベルリン没
のヴァイオリン協奏曲を聴いて衝撃を受け、ヴァイオリン協奏曲の作曲に着手します。
イタリア旅行の途中ベルチャッハに滞在、そこで作曲しました。
その作曲の過程で、ヴァイオリニストのヨーゼフ ヨアヒム(1831-1907年)オーストリア帝国キットゼー生まれ、プロイセン帝国ベルリン没
に、ブラームスは手紙で助言を求めます。
ヨアヒムは、12歳でメンデルスゾーンに師事し、メンデルスゾーンやクララ シューマンと共演し、15歳で彼についてロンドン演奏旅行をし、大成功をおさめますが、1847年メンデルスゾーンは亡くなってしまいます。
17歳でゲヴァントハウス管弦楽団に2年間在籍します。後ヴァイマールに移りここでリスト、ワーグナーに出会います。
この頃、ブラームスに助言するだけでなく、結局ベルチャッハまで行き、助言した上、1879年の新年のライプツィヒでのコンサートで初演することを約束させて帰ります。
ブラームスは約束通り作曲を終え!12月12日になって完成させ、ヨアヒムにより、初演され大好評をはくします。
1884年ヨアヒムは妻のアマーリエとフリッツ ジムロックとの浮気を疑い離婚しますが、このときブラームスはアマーリエを擁護する長文の手紙を書き、それは法廷に提出されます。
このことでブラームスとヨアヒムは何年も絶縁しますが、後に和解しています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます