昨日、いずみホールの帰りに金重さんと京橋のカフェ ド リマージユでケーキセットを食べました。
セットで1000円。
ヴェネツィア共和国レニャーゴ生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
実際の彼は経済的に成功した為か慈善活動にも熱心で、弟子からは一切謝礼を取らず、才能のある弟子や生活に困る弟子には支援を惜しみませんでした。
により、宮廷作曲家、イタリアオペラ監督に任命されます。
コロナで減ったお客様を、値下げでまた呼び戻しました。
セットで1000円。
外にもたくさんお客様が並んでいました。
どこもなかなか大変ですね。
外で友だちとお茶なんて何年ぶりでしょうか?
久しぶりにゆっくりしました。
アントニオ サリエリ(1750-1825年)
ヴェネツィア共和国レニャーゴ生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
といえば、映画「アマデウス」でモーツァルトに嫉妬し援助しながら、毒殺したのでは?と嫌疑をかけられた人です。
モーツァルトが清貧のうちに若くしてなくなるのに対比して、甘いものが好物で、金に明かして食べ過ぎ、歯がボロボロになって年老いるまで精神病院で過ごしたことなどがクローズアップされました。
事実はわかりませんが、生前から陰謀論に苦しめられ、殺していないと弟子に訴えたら、かえって殺したのだと思われました。
実際の彼は経済的に成功した為か慈善活動にも熱心で、弟子からは一切謝礼を取らず、才能のある弟子や生活に困る弟子には支援を惜しみませんでした。
職を失って困窮する音楽家やその遺族の為に、互助会を組織し、慈善コンサートを毎年開催し、有力諸侯に困窮者への支援の手紙を書くなどなど、善行を積んでいます。
13歳で孤児になり兄に助けられながら作曲を学び、15歳でウイーンのガスマンに認められウイーンに移り、1774年
フランツ ヨーゼフ2世
により、宮廷作曲家、イタリアオペラ監督に任命されます。
1888年には宮廷楽長にまで上り詰め、36年間その地位にあり、ウイーンやイタリアで多くのオペラを作曲しました。
モーツァルトのレクイエムを初演するなどモーツァルト助けていたのも事実で、盗作や毒殺の、証拠は一切ありません。
彼自身が嫉まれる地位にあり、ドイツ学派とイタリア学派の間にあったことなど噂されやすい位置にいたということも注目されます。
「アマデウス」は、よくできた映画で音楽も素晴らしかったですね。
馬車のシーンだけ覚えているなんておもしろいですね。
モーツァルトや、ヘンデルがいた時代のオーストリア帝国のトップの地位に長くいて、シューベルト、ベートーベン、リストを育てた人です。
羨望と妬みの的だったかもしれません。
ようやく再評価されるようになってきました。