音楽の喜び フルートとともに

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道を踏み外した女

2025-01-09 21:01:00 | ロマン派
今年の大河ドラマが始まりました。
「べらぼう」
蔦屋重三郎と言えば喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽、曲亭馬琴など江戸、化政文化を代表する賀川作家の作品を出版しました。

第一回は吉原でのお話しでした。

暮れに行った京阪橋本駅駅周辺は。東海道と淀川に面していて八幡吉原があったところです。

置屋の窓にステンドグラスがはまっています。

レトロな建物は吉原の名残りが詰まっています。











しかし、八幡市のホームページを見ても、どこにも吉原の記載はありません。
車を1日500円で駅前に停めてどこでも行けるということで、ここを経由して奈良に行きましたが、開いているお店も無く、特急や快速急行が何便も通過していきました、

夫がぽつんと
「見捨てられ感がすごいな。」とひとこと。

「べらぼう」の第一回も貧しい遊女の哀しい結末が描かれていました。
「きたくてくる女なんか1人もいない!」と嘆いた蔦重にグッと来ました。

明日は。右目の手術をします。
一泊2日なので大したことはないのでご心配無く。ですが、ブログはお休みします。ご訪問もできないと思います。ごめんなさい。

ジュゼッペ ヴェルディ(1813−1901年)フランス帝国レ・ロンコーレ村タロ地区生まれ、イタリア王国ミラノ没

が作曲したオペラ「椿姫」の原題はLa traviataラ・トラヴィアータ
堕落した女、道を踏み外した女という意味で、
主人公のヴィオレッタは高級娼婦をしています。

原作は、アレクサンドロ デュマ フィス(1824−1895年)

アレクサンドロ デュマと縫製工の母の間に生まれたデュマ フィスは父の金で最高の教育を受けて育ちます。
しかし、父への反感や周囲の偏見からか10代は遊び呆けます。
20歳の時に高級娼婦のマリー デュプレシと出会い、恋に落ちます。

しかし間もなくマリーは病死してしまいます。

24歳の時に彼女との思い出を書いたものが「椿姫」です。

1850年に戯曲化され人気を得ます。
52年にヴェルディがパリでこの戯曲を見て感動し、
1853年この戯曲をもとにフランチェスコ・マリア・ピアーヴェ(1810−1870年)

が台本を書き、オペラにしました。

ヴェルディは24歳の時に先妻マルゲリータを亡くしました。
41歳作曲当時で3児の母のジュゼッピーナ ストレッポーニ(1815−1897年)

と同棲していました。
田舎に暮らしていましたが、カトリックの信仰が強い地域での暮らしは2人の関係に寛容ではなく、つらいものでした。
そんな境遇から「椿姫」の物語に共感したと言われています。

初演当時は娼婦を主役にした作品ということで、イタリアの統治国側の検閲により道徳的な観点から問題視されました。
しかし、ヒロインが最後に死ぬということで上演がゆるされたと言われています。

多くのパトロンがいる高級娼婦ヴィオレッタが、


Fanny Salvini-Donatelli ヴィオレッタ・ヴァレリーを演じた最初の歌手
青年貴族アルフレートと出会い、パトロンと別れパリを離れて田舎暮らしをしますが、そこにアルフレートの父親が現れ、ヴィオレッタは身を引く決心をします。
そうとは知らないアルフレートは、捨てられたと思い、嫉妬から公衆の面前でヴィオレッタに暴言を吐き、彼女を傷つけます。

数カ月後、ヴィオレッタは結核で伏しています。
アルフレートの父親がやってきて見舞います。
すべてを知ったアルフレートがやってきて赦しを請いますが。ヴィオレッタは亡くなります。
その最後のシーン。