一昨日行った金閣寺のある鹿苑寺の中の、夕佳亭(セッカテイ)。屋根の雪と苔が良い感じでした。
きらびやかな金閣寺と、この質素な茶室。両者がお互いの違いを見せることで、打ち消しあうのではなく、より引き立つ。室町文化がどれほどの多様性とキャパシティを持っていたかを想像させて、とても興味深いです。
今日は午前中語る会。ファシリテーターお休みのため、代理ファシリをしました。
話が飛んでも、何の話が始まったかしばらくわからなくて、聞き入ってしまい。後から戻したり。
自分のことではなく、人のことを話始めるのをとめられなかったり。クローズの会でないので、後から来る人に、また説明してしまったり。冷や汗もの…やっぱり向いてない。疲れた~。
帰宅後、レッスン。
「春の海」は副付点からのトリルのような動きが難しいです。尺八だと首を振って表現されるところです。ギリギリまで待って、トリルの後の音に重点を置いて、すばやく動く。
はじめは大きな音符だけ、トリルだけと言うように分けて練習するといいです。
後は変え指を使ってみるのもいいです。
トリルキーサイト
http://www.wfg.woodwind.org/flute/fl_tr2_3.html
を参考にされるのも良いと思います。
日本の5音階のスケールも上りだけでなく、下ってみたりとか、同じ形だけでなく、少し形変えて練習してみるのもよいです。
同じ一つの方法だけでなく、いろんな方法を作って試してみると、脳が活性化して指に情報を伝えやすくなるようです。
ワンパターンの練習を機械的に飽きながらするより、いつも意識的に楽しい問い「こうやってみたら、どうだろう?」を自分に出しながらやってみるのが、短い時間でもっとも効果があがるそうです。
試してみてください。
夕方、レッスンの合間に、Mさんがエプロンとカッポウギを作って持ってきてくれました。さすが!仕事がはやい!
着てみると思ったより、かわいくておしゃれ。これを着てお料理するのが楽しみです。
今日は、梅田でピアノ合わせ。
2月28日のコンサートの合わせです。ピアニストの中田百合子さんとは、一年ぶり。
フランス音楽ばかりお願いしていましたが、今回はプロコフィエフ。ロシアものは、初めて。
中田さんのロシア音楽ってどんなのだろう?楽しみにしてました。
いつもの柔らかく、繊細、しなやかなイメージとは打って変わって、大胆で、切れが良く…それから、楽しい。
「来て欲しいところに、来る!」
ちょっとゆらして、「こんな感じどう?」と問いかけると、すぐに「じゃあ、こうするけど、どう来る?」
っていう感じで、めっちゃくちゃ楽しい。
名手ってこういうものなんだ。おかげで、実力3割アップと言う感じです。
間奏が数えられない私の弱点を数箇所さらって、全体は2回とおしただけで規定時間の30分はあっという間に経ってしまいました。
それにしても中田さん恐るべし。私もアンサンブルした相手が実力3割アップと思ってくれるくらい演奏してみたいものです・・・。それにしても楽しかった。次回が楽しみです。
こういう出会いがあるから、おもしろいんです。
雪の金閣寺。


積もるほどではなかったですが、風情がありました。期待した閑さは景色だけ。たくさんの人が詰め掛けていました。中国語とハングルが飛び交っていて、日本語は少し。久しぶりの観光地でしたが、そういう時代になったんだと、改めて実感しました。頂いた鹿苑寺の案内も日本語、ハングル、中国語、英語。
はるばる遠くから違う文化、違うバックボーンをもった人たちと寒い寒い中、同じ金閣寺を愛でていると思うと、それだけで、気分が熱くなってくるから不思議です。みんな観光気分で楽しそう、若い団体だったしすっかり興奮が伝染してきました。
義満公もびっくりしてるんじゃないでしょうか。
雪は夕方に向かって激しくなってきました。寒い中、生き物達は生きていました。
鯉、鴨、鷺。



ヒュウガミズキだと思います。たぶん。寒い時期に小さな花を咲かせて、けなげです。
今日は久しぶりに、時間があったので、たっぷり練習。
プロコフィエフのソナタを丁寧にさらいました。
先生に「曲のその場所にふさわしい音が出ているか?」と言われたことに注目。徹底的に音を聴きました。
さっぱりわからなくなって、ゴールウェイの演奏を聴いてみました。
本当に一音一音練っていてふさわしい音がしています。
腹が据わっている。タンギングの切れがいい。口が柔らかい。音が、飛んでいる。音色が明るい。
とにかく、音を出す時に自分がいかに考えていないかがわかりました。もっと良く聴かなくちゃ。
ちょっと、やることがわかったみたい。がんばろう。
夕方1時間ほど、Mさんのお宅におじゃま。
Mさんが前から作っているカッポウギを、母が欲しいと言うので、お願いしに行きました。
厚手の綿100%で作られた、カッポウギはなかなか市販されてなくて、冬は暖かくていいそうです。
私は、エプロンをしてお料理する習慣が無いのですが、ファミリークッキングなど、地域の行事のお手伝いの時に使うエプロンがもう、何年も使っていてへたってきました。一緒に新しいエプロンを作ってもらおうと思って、お願いしました。動きやすく、アイロン不用。夏でも使えるように袖なしの、ザクッとした織りの綿のエプロン。
お気に入りの生地を何枚か持って行き、どれでつくるか?どんな形にするか、お茶飲みながら相談。
これが楽しいんです。幸福な時間。
母の分はMさんの生地の山から選びました。
決めたら、その場で型紙を置いて、手伝って一緒に裁断。暖かければ、今週末にも縫ってくれるそうです。楽しみ。
裁断の後は、同世代の息子を持つ親の悩みを、交換して・・・なかなか親の思うようには、いかない。いっても、今のご時世責任も持てないなぁ。なんて話をして帰って来ると、日経夕刊に林原健さんのコラムが載っていて、そこにダライ・ラマ14世さんの言葉がかいてありました。
「自分のしたいことを追求することが、知らないうちに他人の幸福になるように努めよ。」
来日された時に色紙に書いて下さったそうです。
「自分のしたいことをする」というと、わがまま放題、自分勝手と言うイメージがありますが、後の文、「他人の幸福になるように」と思えば、幸福な人生を送れそうな気がしてきます。
私もそういう生き方がしたいと思います。息子達が、どんな選択をしようと、そこをはずさなければ間違いないような気がします。どのみち、自分以外は、もう思うようにはなら無いのですから。
1日にNHKの「こころの時代」~光明をさがして~書道家金澤泰子さんの回を見ました。
それ以来、ずっと、ここに書いた二つの言葉が私の頭の中をぐるぐる回っています。
金澤泰子さんの娘さん、書家の翔子さんは、ダウン症で生まれました。現在24歳の翔子さんは、個展を開き、書を書き、近所の子ども達に書を教えて、毎日を過ごされています。
現在の教室の様子が映っていましたが、翔子さんはとても生き生きとしていて、楽しそうに見えました。
泰子さんは、翔子さんを14歳までは夫と二人で、14歳からは夫が亡くなりその後は一人で育てられました。初めは障がいのある翔子さんを受け入れられなくて、悩んだそうですが、徐々に考えが変ったと言っておられました。
私が特に感動したのは、泰子さんのこの言葉。
「知的障害を持っているので、技術のようなものは何も知らない。それらをみんな、取り外してみると、愛が残る。翔子は愛にあふれているんです。」
「この子には目的がない。目的が無いと言うことは途中で折れると言うことが無い。翔子は明日死んでも、『ああ、楽しかった。一杯楽しんでよかったね。』って言えるんだわって思ったの。」
私達は普通、目下と思われる人たち、障がい者や、子どもたちから学ぶことは何も無いと、思っています。
現実には、健康な能力のある大人でも、明日はどうなるのかわかりません。
私は、社会や、時の流れに振り回されるだけで、一生を終えたくない。何があってもなくても幸せに生きる道はある。と思ってきました。しかし、一端社会に出ると、そういう考えは吹けば飛んでしまう夢のようなことに思えてきます。
改めて、この番組を見ていて、この親子の姿を見ていて、いやそんなことはない。幸せはどんな状況でも、誰でも味わうことができるんだということを思いました。
梅田でレッスン。帰り道6時半頃、お初天神を通りかかったら、神事をされていました。人だかりで、携帯で写真を撮る人もたくさんいました。「何の神事でしょう?節分かな?」と隣の女性に聞いたら、「さあ?通りかかったらやってたから。」ほとんどの人は私と同じようです。帰ってネットでしらべたら、やっぱり節分祭。これはお火炊き神事というらしい。太鼓を叩いて、山伏のような装束の人が、お経を読みながら、火を炊きます。なかなか勇壮な感じでした。昼間は、地元の方のお囃子。豆まき神事。ぜんざい、うどんが振舞われていたそうです。こんな街中、繁華街のど真ん中で、このような神事がおこなわれているなんて何年も通っていて知らなかった。
レッスンは、プロコフィエフの第2,3楽章。小さな音符一つ一つを自分の耳で確かめながら演奏すること。この場所にこの音でいいかどうか?この場所にふさわしい音を考えながら出せるようになること。
今日は、レッスンの後、少し先生と話しました。
音楽をするには、いろいろなことを学ばないといけない。音響学、音楽心理学、音楽行動学、音楽生理学。そして、哲学。他の先生のマスターコースなど、機会を捉えてどんどん受けなさい。
教えられて学ぶのではなく、自分で考えること。
芸術に間違いや、正解は無く、それぞれの音楽や音がある。自分の音楽を追求していくこと。
風邪の菌だって、人の身体に寄生しないと生きていけない悲しい生き物だから、そういうことを思ってあげると、1日2日で治るんだよ。
本当、先生はいつも風邪を2日で治されるんです。
他にも、興味深い話をたくさん伺って時間はあっという間にたってしまいました。
また、ゆっくり整理しなくちゃ。今日は節分。恵方は西南西。夫は出張。息子達と太巻きを食べました。
朝はずっと休まず練習して、2時ごろまで、お昼ごはんは近所のお弁当屋さんで買って来てたべました。ホイコーロー弁当…野菜たっぷりの上に、肉の他に、エビやイカが乗っていておいしかった。
その後、また、4時まで吹き詰め。みんなかなりのマニアです。
かなり直したつもりでしたが、録音を聴いてみるとまだまだ。
付点のタンギングが甘いところがあったり、フレーズの最後の8分音符の処理が、おろそかになっているところがあったりして、自己反省。
アンサンブルもまだまだ練らないといけないなぁ。
5時に牧野に帰ってきてMさんに、仕立てのお礼を持っていきました。ついでに、次のドレスの企画をお願い。母から頼まれた綿のかっぽうぎもお願いしました。厚手の綿100%のかっぽうぎは、Mさんの十八番。ガレージセールなどで、ほとんど売れてしまいます。今は、アクリルが混ざったのがほとんどなので、貴重です。包容力のあるMさんは、自宅に行くといつもこのかっぽうぎ姿で、もてなしてくれます。居心地が良くてつい甘えて長居してしまいます。・・・今度はいい加減にしよう。
帰って、プロコフィエフを吹くと、口がケーラーになっていて、舌に力が入り過ぎている感じ。2楽章は動きが細かいのでケーラーより、軽めに吹かないと。明日はレッスン。早く寝よう。
息子の中学の前を通りかかったら、校舎にショベルカーが入っていました。予想されていたこととは言え、お世話になった校舎の、こういう状態を見るとさびしいものがあります。
今朝、12月に左手首を骨折し、お休みされていたEさんが、レッスン再開されました。
車を降りようとして、滑って手を地面に突いたそうです。3週間のひじまでギブスで、その後は、指先だけ見えるギブスで不自由されていたそうです。
復活して、フルートを吹いてみたら、筋力が衰えていてすぐに疲れてしまうそうです。
音を聴いてみると、意外にも良いです。
見ていると、力が入らない左腕に負担が掛からないようにしているのが、いいようです。
聞いてみると、以前は、フルートを持つと左肩が痛かったそうです。
左手に極端に力が入っていたのが、怪我のせいで、左手で支えるわけにいかなくなって、逆に左右のバランスが取れたようです。
非日常、いつもと違うことをすることで、新たなルートが広がることがありますが、今回はその例だと思います。本当に興味深い。
怪我や病気は、いつもと違うルートを通ることを私達に強制します。
いつもと違うことをすると、大体は気分が悪くて、自分としてはバランスが悪くなったような気がします。
でもそのことで死ぬようなことは大体なくて、気がつけば、この状態では到底無理。と思い込んでいたようなことが出来るようになっていたり、新しい能力が開発されていたりします。
力があるということは、一つの立場、一つのやり方に固執できる。と言うことでもあるのです。人は弱った時、うまくいかなくなった時になってはじめて他の方法や、能力を開発するようです。
そう考えると、怪我や病気もそう悪いことばかりではないようです。
母も今日、退院。入院することで、父は掃除をしたリ、食事をつくったり。
しかし、母が帰ってきて、足をまだ引きずりながら、「片付けないと何も出来ない。」という自論通りに掃除片づけをもう始めていて、「やるから、休んどいて。」と言っても全く聴く耳をもたない。
父はまた、母に家事を依存する生活に逆戻り。50年もなじんだ生活は、ちょっとやそっとの入院にはめげません。二人はそれで、幸せなので、私が口を挟むことでもありません。世は全てこともなし。
私は大切な人、二人が元気になってきて、それだけで充分幸せです。