日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭、家の前の道路、西洗公園は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

七尾湾で1人でも海に出る33歳の女性水産会社社長

2024年02月05日 | 社会

七尾湾で能登牡蠣養殖をやっている会社の若い女性社長ですが、従業員は被災して会社に来れません。社長はまずは養殖施設(生産)を守ろうと思い、1人でも船を出し、修理を始めました。それを見て、一人では漁に出れないでいた近所の漁師たちが彼女のところに行って協力を申し出ました。

彼女は、未来はわからない、収獲出荷はまだこれから検討しなければならない、今はまず養殖施設を守っている実情を説明し、協力を受け入れています。

彼女は養殖施設修理の見通しをえると、すぐ出荷の道を探し、見つけるでしょう。1人でも企画実行する人に道は開かれるとはこのことだと思います。

海底が露出した港を見て、漁に出ることはできないと思うと漁に出るチャンスは来ないでしょう。何とか露出した海底の上にある漁船を海に引きずり降ろし、一人でも漁船漁業に出ようと思う元気漁師が現われれば、周りの、できないと思い、やらない漁師たちも協力に回るでしょう。

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倒れても立ち上がる不屈の精神

2024年02月05日 | 社会

能登半島珠洲市は地震の被害を受け、住民は避難所で生活していますが、金沢市、加賀市などで避難生活している若い人が、町復興を夢見、有志が集まって被災地に行き、崩壊した神社から、破壊を免れたお祭りに使う切子灯篭(能登特有の大型切子灯籠)などを探しだし、保管可能な倉庫に移したそうです。

若い人たちは、町の復興のためには町の人々の団結が必要、お祭りは団結に必要、先ずはお祭りの切子灯籠を保存し、復興の希望にしょうと思ったそうです。

切子灯籠は浄土真宗特有の明かりと思っていたが、能登では大型化し、神社のお祭りにも使われているそうです。

能登半島北端は、電車も通っていない、人も住んでいない辺鄙な地ではないかと思っていたが、ちゃんと人々が住んでいて、営々と町づくりの努力を続け、小村から村へ、町へ、そして今では小市へ発展して来ました。今回地震で立ち上がれないほど叩かれてしまったが、不屈の精神で復興が始まる気配を感じます。

地震は本当にこわいと思います。それにもまして人の生きる力はすごいですね。町づくりは人々を元気にしますね。

横浜の産業は労働サービスと言われています。つまり横浜に住んでいる人は、東京などに働きに出て、労働を売り、横浜に帰って寝ています。日本で一番住みやすい都市はと人々に聞くと横浜との返事が返ってきます。喜ぶべきことか、悲しむべきことか、複雑な気持ちになります。

横浜市は育てるべき産業を見出せず、苦悩しています。港のクレーンは動いていません。観光産業ということで港地区に大投資を続けてきました。しかし消費的です。生産の喜び、経済発展の力強さを感じるに至っていません。

特に内陸部の日限山地区は、過去50年、典型的なベッドタウンでした。住民の心は東京にあるような町でした。心がわが町にあるような町にするのはこれからですね。

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