まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

続きです

2007-01-25 18:06:35 | Weblog

それでも不安な私は、しつこく
「先生、一時帰っているときに限って、そういうことはありますでしょ!」とダメ押しをすると、
「往々にしてあるね、もう会社の休暇が取れないと言って帰ってしまうと呼び出さなければいけなくなってしまう。不思議なもんだ。」
と、ダメ押しのダメ押しなお言葉。
こうなると覚悟は決まります。

それからです。それこそできるだけの手立てはとりました。

脳梗塞の後遺症が見られるようになって、母の一件がショックになって、どことなくぼんやりしている心配な父は、一人残しては行けないので、新潟に住んでいる父の妹の方にお願いして、1週間来てもらい、泊り込んで父のお世話をしてもらいました。

叔母にお願いをして、母の様子を見に病院に行ってもらうことにしました。

出発の朝にバスで20分かかる病院に行き、母に「私が帰るまでがんばっていてね。」とお願いし、1時間に1本しかないバスで埠頭までとんぼ返りし、高速船に乗りました。

電車の中では、正味2日間でやらなければいけないことを箇条書きにし、時系列で行動計画を立てました。等々。

原チャリは大活躍しました。
2日目、南部病院での診察終了で全てが終わったときは、ほっとして倒れこみそうになりました。(あっ、おおげさです、おおげさ)

29日、佐渡に帰る日は台風並みの低気圧接近で警報が出ていて、船が欠航な事は分っていたのですが、ともかく新潟までは行こうと決め、佐渡汽船につきました。やはり、ものすごい風で全便欠航。
仕方がない、ビジネスホテルに泊まり、翌朝6時の1便で、無事佐渡に帰ったのです。その足ですぐに病院に向かい、母の顔を見たときは心底安心しました。

携帯、そのとき購入しました。もう、四六時中、携帯を握り締めていましたよ。(ポルカさん、紹介、ありがとうございます)べとべとするくらい。

正月休みがあけ、お医者様に報告すると、
「正直、あの時は危なかったですね。状態が良くありませんでした。」とおっしゃいました。うん、やっぱりそうか、と、自分の胸騒ぎといおうか異常なまでの心配さ加減を思い起こすと、すとんと胸に落ちるものがありました。

これからは、自分の心が命ずるままの感情や行動は、無条件で信じることにします。外れたら、杞憂だったんだと、あるいは仕方がないことだったんだと思うことにして・・・

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自分の勘を信じる

2007-01-25 08:52:22 | Weblog
勘とは違う気がするのです。本能といっていいのかな。

12月1日、2日のブログを読み返してみると、なぜあんなに気ぜわしく動き回っていたのか不思議です。2日は教室に行く前に、自分の年賀状も作り上げていたのですよ。図書館だって返却期限はまだまだ先だったのに・・・

今となっては、あの電話が母とかわした最後の言葉になりました。
「待ってるや・・・」

暮れに、どうしても帰らなくてはならない諸用事を抱え、私はなんとも悩んでしまいました。母の容態ががなんとなく不安だったからです。
病室に入ってくる看護師さんに「行って来たいのですが、大丈夫でしょうか?」と聞きまくりました。看護師さん、きっと困ったでしょうねぇ。顔に出てましたもの。担当医師、大学からの派遣医師、主任医師、3人の先生たちにも事情を訴え、ご意見を伺いました。
我ながらそんなに不安だったら取りやめればいいのに、とは思うのですが、期限の分らない看護に入るのですから心置きなくしておきたいという気持ちが先にたち、切羽詰っていたのです。
決定的な言葉を言ってくださったのは、主任医師の方。
「いってらっしゃい!割り切って行って来て下さい。心配だといっていたら24時間ついていなくてはなりませんから。」

ずるい私は、自分の中で結論付けていたことを誰かに言ってもらいたかったのね。ものすごく納得しました。そうだ!と言葉に出したいくらい。

用足しに出かけなければなりません。また後で続けます。1回投稿。
コメント (2)
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