半月にはふっくらとした月がまだ高い空にぽっかりと浮かんでいる。
今朝、洗濯物干していて、初めて指先がかじかむ感覚を味わったわ。冬だなって。
昨日は日本青少年会館ホールで草彅剛さんの「ヴェニスの商人」観劇。
行く前はちょっと気が重かったのよ。
私、演劇好きでも何でもなくただ役者としての草彅さんの演技が好きだから、
彼の舞台は全部観てみたいわけ。
今回は、一般発売のチケット取りに敗れて、それでも、ま、ヴェニスの商人か日本青少年会館
かと、気乗りがしないこともあって、しょうがないかと簡単に諦めたわけ。
ところが例によって、年下友の娘さんにお世話になり行くことができるようになって。
いやあ、なかなかにいい舞台だった、ちょっと感動。
先にも言ったように、私、草彅さんしか観ていないからどうこう言えないけれど、
彼のシャイロックは、ユダヤ人として生を受けてからの諸々が心の底からの叫びが
しっかり突き刺さってくるわけ。
裁判の場でもシャイロックの呼び名はユダヤ人、名前を呼ばれない。何度も何度も
あのユダヤ人と呼ばれる。対してキリスト教徒のアントーニオはアントーニオ。
肉1ポンドの証文の正当性を何度もしつこく繰り返すシャイロックの主張が、ほんとだ、
もしかしてその通りかもしれないなんて思えてきて。明瞭なセリフと全身からほとばしる
叫びが伝わってくるのよ。
舞台は何の装置もなく、後方にベンチのような長椅子があってそこに出演者が座っていて、
自分の出番になると立ち上がり演技を始める。草彅さんのシャイロックは一番右端、
ひとり分の空席があるくらい間があって。彼は常にうつむくか横を見ているか、心ここに
あらずの態。他の役者たちとは明らかに違い、異端。
私の席は2階の一番後ろだから、その舞台全体が俯瞰して見える。それがかえってよかった
のかもしれない。印象がくっきりと鮮明に残って、ひと晩経った今でも草彅シャイロックの
全身がまざまざと浮かんでくるのよ。
それにしても、草彅さん、いい役者になったなあとつくづくしみじみ。
今回は若い役者さんたちが多く、座長としての立ち位置が鮮明だからどうかと思ったけれど、
その存在感で他を圧倒して立派だったわ。20代からの彼を応援してきた甲斐があろうというもの。
ってなこと言いながら、前半草彅シャイロックの出番が来るまでうつらうつらしていたことは内緒。
師走の気ぜわしい日々の息抜き。よかったなあ。娘さんに感謝だわ。