スマホからの投稿では書ききれない。もっと思いのたけを書きたい、なんて。
しつこくいつもにも増して長く、私の記録もかねてもう少し詳しく書いて置くことに。
そもそも仏壇の魂抜きをするなんてことを聞いたことすらなかった。
自宅のある横浜では一切そんな話はしなかったから、コロナ前、年3回くらい佐渡に帰って
いたとき、多分薬局での世間話のおりだ。
「実家始末のことを何年か先に考えているから、家具その他の始末はどうしたらいい
だろう」なんてことを話したに違いない。そのときに仏壇のことも出たに違いない。
人生の大先輩ワタナベサンが「世間のすることはやったほうがいい」とこんこんと説教
する。宗教心もないけれど、強い信念もない私はいやも応もなく「はい」と従う。
それからもう数年経つ。年を考えるともう引き延ばせない、まだわずかに体力気力が残って
いるからいよいよだと決心した。
そうなったら早い、今年の5月重い腰をあげて住職さんに相談し、いろいろ教えていただいてこのたびの仏壇回向の運びとなった。
余談になるけれど。
実家の洋服ダンスの上には写真立てに入れた父の写真が飾ってある。
3日、台所にいた時そこらへんでバタっと大きな音がした。何だろうと行ってみたけれど
特段変わったことがない、外で何かあったのかなと気にもかけないでいた。ところが。
翌日も洋服ダンスの上を拭こうとしたら、写真立てが倒れているじゃないの。びっくり。
いやだ、あの時の音は写真立てが倒れた音だったのかと、父の意志があるようでなんだか
なあと。ちょっとひっかかった。
8月お盆に帰ったときは、叔母が「あんたの母さんがお墓の前で長い間手を合わせて
いる夢を見たが」と電話してくるし、で。
住職さんがお見えになったときすぐにその話をし「怒っているのかしら」と訴えた。
住職さん笑いながら「この世は人知の及ばないことがあるんですよ。(のような意味のこと
をもっと平易な言葉で)怒ってはいないけど言ってほしかったんじゃないですか」なんて。
ま、深読みしすぎかもしれないがいろいろ思うところはある。
9時半前に家に来た住職さんは着替えをするために持参してきた僧衣を出した。
大師衣(だいしえ)を出して、
「せっかくですからこれを着ます、お父さんがお兄さんの五十回忌のとき寄贈してくれた
ものですからね」と教えてくれた。父はそういうことをしていたのかと改めて知る。
浄土宗では仏壇回向のことを「位牌・仏像の開眼供養(お魂入れ)、または撥遣供養
(お性根しょうね抜き)」というそうな。
で、確認ですが仏壇にあるすべてのものを魂抜きするのですかと問われ、位牌と過去帳は
そのままにしてほしいとお願いする。その確認が済むと、
この度は撥遣供養を執り行いますとお経が始まった。
途中お焼香し「南無阿弥陀仏」を一緒に唱え、お坊さんの所作をじっと見る。
木の棒のようなものに容器に入れた持参の水をつけ、仏壇から内の装飾から、はては線香
立て花立て、輪にまですべてに軽く当てていく。
何かを唱えながらのそんな一つ一つの所作を見ていると、不思議なことに心が落ち着いてくる、スッキリとしてくる。自分でも思いがけない心の動きだった。もっと感傷的になるかと
思っていたのにね。
全てが終わって。
「やはり世間のすることはした方がいいですね、お蔭でなんだかさっぱりしました」
とお礼を言った。住職さん「気になりますものね」と。
さあ、その後は頼んでおいた仏具屋さんの出番、お二人来てあっという間に一切合切それ
こそ仏壇はもとより花立てから何もかも運び出してくれた。私が線香立てなんかどうしようと思案していたことなんか吹っ飛んでしまった。
夏用の座布団だけは「お住職さん、お使いになりますか?」と問いかけ、住職さんは私さえ
よければいただきたいとおっしゃるので、こちらこそどうぞどうぞよ。
お見送りはしてはいけないから玄関まで、住職さんはさっさと帰って行った。終わったわ。
後は墓じまいと実家処分。子としての仕事が残っている。
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