今朝、ベランダで洗濯物を干していたら指先がかじかんできた。
そういう季節になったことを実感する。
先日、エンドウご主人様が自宅でとれたというミカンを持ってきてくれた。
干し柿のお礼というわけじゃないけど、なんておっしゃっていたそうだ。
酸味が勝っていかにも自宅ミカンのお味。ん、そうだよなこんな味だといただいている。
いつぞや、こまわりくん車内で、乗車した私と降りようとするエンドウさん奥様と
すれ違って、まさかのことにもうただただ驚いて嬉しくなった。
奥様、バスに乗ってお買い物ができるようになったんだと感慨無量。
奥様の具合が悪くなったのは、私が佐渡暮らしを始めた時だからもう十数年前になる。
当時、バス停でご主人とお会いしたから何の気なしに「奥様はお元気ですか」と訊いた。
家内は入院しているんですよ、とのお返事には言葉も出なかった。いろいろと話して。
最後に「僕は鬱にはなりませんよ」とおっしゃった言葉を聞いて別れたけれど。
それからは、道でお会いしても病状を訊くのが躊躇われるほど入退院を繰り返していた。
ご主人がまだ自転車に乗って買い物していたころ、背中のリュックからネギが顔を
のぞかせているのを見て笑いそうになったりしたこともあったわ。
趣味の多い人だから、ハイキング姿を見かけたこともある、図書館で本を読んでいる姿を
見かけたこともある、水彩画の個展案内絵葉書をいただいたこともある。
奥さまが入院している間、そのように時を過ごしていたのかと。
最終的に入院した病院では3年を過ごしたとのこと。
バスに乗り地下鉄に乗りまたバスに乗り換えて、1週間に2回洗濯物を持って会いに行ってた。
「3人の子どもを育ててくれた」からって。
朝星夜星でその時代モーレツに働いていたご主人は、奥様にすべてを任せていたのだろう。
そんなご主人が、奥様が一時退院したことがあっても、ほぼ10年は
おひとりで家の日常生活をこなして家を守っていたのだろう。
「生きてくれてるだけでいいですよ」
当時おっしゃったお言葉は深い。
奥様は去年の今頃退院してきたから、およそ1年が過ぎたことになる。
先日は家の前の道路をご主人が先に歩いていて、その後を奥様が歩いていた。
私は庭いじりをしていて、あまりに真剣だったから声はかけずにいたら、
奥様が見つけて○○さん!って。
「主人につかまらないで歩けるようになったのよ」って。
ほんと、顔もすっきりして身体も小柄で細身の本来の姿に戻っていたわ。
「家の中でもちょこちょこ動いているのよ、じっとしていないようにしているの」
よかったなあ、としみじみお二人の後姿を眺めていた。
奥様にとってもご主人にとっても十数年は長かっただろうになあと。
とりわけ70代から始まって80歳を越したご主人の心境を慮る。
私のように、すぐ弱音を吐く根性なしにはなかなか真似できることではない。
「生きてくれてるだけでいい」