ヘボン博士の姓は正式にはヘップバーンなのです。で、奥さんの名はオードリーなんですよ。・・・本気にしないでくださいね。クララです。クララさんも大変な活躍をされました。ご主人は和英辞典をつくりましたが、クララさんは英語塾を開き、幾多の有為な人材を育てました。高橋是清もここの塾生でした。のちに、メアリーキダーが、このヘボン塾の女子生徒を集め、明治3年に学校を創設しました。フェリス女学院の前身だそうです。
今年の初め、まだ松の内の頃だったと思います。急に思い立って(いつもそうなのですが)、まだ未調査だった(笑)旧東海道の神奈川宿の辺りを歩いてみようと、東横線の反町駅を下車しました。地図もなく、勘だけで探しましたが、その日は、結局、神奈川宿の場所は見つかりませんでしたが、(川崎、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯宿はなんなく見つかりましたが、ここは難しかったです)、横浜開港に関連する史蹟をたくさん発見しました。そのひとつに、今日紹介する、ヘボン博士が来日してから3年間過ごしたという、成仏寺がありました。
反町駅から高台を目指して歩くと、横浜が一望できる高島台というところに出ます。高島嘉右衛門の業績をたたえる望欽台の碑があります。横浜開港に実業家として活躍された方で、日本最初のガス灯をつくったこと、牢獄中に勉強した”高島易段”などが有名です。晩年はこの高台に住んでいたのです。
この高台を京急神奈川駅に向かって降りて行き、そしてそこから、JR東神奈川駅方面に通じる道を歩いて行きますと、たくさんのお寺があり、それらが、横浜開港当時の欧米の領事館等であったことが知られます。たとえば、本覚寺はアメリカ領事館、基行寺はフランス公使館です。成仏寺はそうゆう並びの中にありました。
成仏寺は宣教師館として位置づけられ、ヘボン夫妻もここで3年間すごしました。日曜礼拝もここで行ったそうです。仏教の寺で、キリスト教なんて可笑しいですね。ここに住んですぐの頃、日本のお役人の一隊が訪ねてきました。大村益二郎もいたそうです。ヘボンさんは、彼らの学力を試してみましたら、みな二次方程式を含む代数や平面、球面三角法を理解していて、アメリカの大学卒業生をしのぐ実力をもつことが分かりました。それで、英語教育だけで十分だと判断されたようです。
宗興寺というお寺がこの近くにありますが、医者でもあるヘボンさんはここに施療所を開いていました。ここで、病人の治療をすると共に、日本の若者たちに、近代医学の実践勉強をさせていたわけです。境内にはそのことを示す石碑があります。
来年は、横浜開港150年になるそうです。記念事業も計画されているようです。近代日本の発展に貢献されたヘボン夫妻のような方々に、時折思いをはせる必要があると思いました。
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旧東海道神奈川宿は、前述の高島台を反対の方角に降りて行くとぶつかることが、後日分かりました。それについてはのちほど、報告します。
ついでながら、横浜の高島町は、高島嘉右衛門さんが鉄道用地として埋め立てた場所で、そこからきています。伊勢佐木町は、旧吉田新田の埋め立てに財政的に協力した3人、伊勢屋中村次郎左右衛門、佐川儀衛門、佐々木新五郎の名前に由来します。昨日紹介した”ハマの謎解き展”から仕入れた知識です。
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関連の写真です。
望欽台の碑
アメリカ領事館のあった本覚寺
フランス公使館のあった基行寺
宣教師館であった成仏寺と近くの松並木
