気ままに

大船での気ままな生活日誌

福田繁雄大回顧展/ユーモアのすすめ

2011-09-30 08:33:38 | Weblog

川崎市民ミュージアムで開催されている”福田繁雄大回顧展”は文句なく面白かった。さすが大物デザイナーだなと思った。一番、面白かったものをあげろ、と言われたら、やっぱり”ランチはヘルメットをかぶって”だろうか。暗闇に鉄クズの山みたいのが置かれている。電源ボタンを押すと、後方の灯りがつき、その鉄クズの塊の影が床に映る。あっとおどろくためごろう、大昔のギャグが飛び出してしまった。な、なななんと、影は実物大のモトクロス・オートバイになっている。そして鉄クズをよくみると。フォーク、スプーン、ナイフなのだ。それで、”ランチはヘルメットをかぶって”なのだ(爆)。七日間かかって、この影をつくったらしい。あーでもないこうでもないとスプーンやナイフを溶接している姿を想像したら、よけいおかしくなって、また笑ってしまった。

モナリザそっくりの点描画のような絵が飾ってある。ほお、すげー、と近づいてみると、のけぞってしまった。2552枚の使用済み切手ばかりでモナリザそっくりさんをつくってしまっているのだ。絵筆は使っていない、それぞれの切手の陰陽だけを利用している”切絵”なのだ。ぼくと同じで、似顔絵が好きらしく、こんな作品もあった。ミロのビーナスの石膏の胸像がいくつも並んでいる。その顔に黒色のペイントが何気なく塗られている。そして、歩いてみると、おっ、リンカーンだ、えっ、聖徳太子だ、エリザベス・テーラーだ、光より早い素粒子が発見されおどろく、アインシュタインの顔になっている。ベートーベンが、雪舟、国芳までいる。ミロのビーナスが、”観ろ有名人”の顔になている。また、その近くの石膏像も面白かった。普通のビーナス、凸面鏡に映ったビーナス、円柱鏡に映ったビーナスの石膏像が並んでいる。ぷっーと吹き出してしまった。福田さんはビーナスになにか恨みをもっているに違いない(笑)。

 1932年、東京に生まれ、疎開で母親の郷里、岩手県二戸で、少年時代をすごした。東京に出て、芸大を卒業後、味の素の宣伝部に入り、グラフィックデザイナーとしてスタートする。大回顧展だから、この頃のものから、2009年に亡くなるまでの作品、平面作品200点、立体作品など200点が展示されている。

ちらし絵に採用された、”VICTORY 1945”(1975年作品)はポーランド戦勝30周年記念国際ポスターコンクールで最高賞を受賞した。大砲から発射されたはずの砲弾が大砲に向っている、というシンプルなデザインである。反戦ポスターだが、これに類したものがいくつもある。存命ならば、反原発ポスターもつくってほしかった。また、1970年の大阪万博のポスターも、5,6枚並んでいる。

会場内で、生前の彼のインタビュー番組をみることができるが、車のハンドルに遊びがあるように、人生にも遊びが必要だ、と述べていた。だから、彼の作品には、どれも遊びの心が感じられるのだ。

福田繁雄は川崎市民ミュージアムの設立に委員として関わったそうだ。会場を出ると、ホールに彼の大きな作品がある。黄色い人間が、その影と思われる青い逆さの人間を伴い、らせん状に天上に向って歩いている。彼自身の姿であろうか。自分の大回顧展を覗きこみ、思い出し笑いをしているのではないだろうか。

11月6日まで開催です。お薦めします、是非どうぞ。

 

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かまくら 彼岸花情報

2011-09-29 18:04:24 | Weblog

今朝、藤沢(小出川)彼岸花情報を出しましたが、何故、地元のかまくら彼岸花情報を出さないのか、とお叱りを受けそうなので、早速、今日、調査に行ってきました。鎌倉の彼岸花といえば、英勝寺と浄光明寺。台風被害で閉じていた亀ヶ谷切り通しも開き(実は5日前に確認している)、北鎌倉から両寺に向った。途中、通りの野良彼岸花も咲いていたので、もう大丈夫だろうと、わくわくして出掛けた。5日前は両寺ともつぼみが大多数といった感じだったので、ブログにも載せなかったのだ。

浄光明寺、ご覧のようにOKです。

5日前と比べてください。

そして英勝寺。なななんと、今日は門が固く、閉じていました。木曜日はお休みだそうです。かっくり。たぶん、最高の見頃になっていたはず。

5日前はこんな感じ。最盛期(たぶん今日)は、この道の両側が真っ赤に染まる。

一部、咲いているところもあった。

もの足らない人には去年の写真をおみせします。たぶん、今日もこんな感じだと思います。

 八幡さまの土塁もそろそろいいかな。明日、調査に行ってきます(汗)。

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小出川の彼岸花

2011-09-29 08:51:18 | Weblog

小出川の彼岸花がすごいらしい、という、うわさを耳にして、昨日、ワイフと出掛けた。辻堂駅から慶応大学行きのバスに乗って、刈込というバス停で降りれば、徒歩1分というので、それで行った。ずいぶん乗って、やっと着いた。このバス停近くの大黒橋からむこう3キロ、小出川沿いに彼岸花が切れ目なく群生しているのだ。川は名前のように小川のようだった。

そしてこの辺りは、ちょうど黄金の稲穂が垂れている稲田があったり、大きな里芋の葉っぱが覆いつくす畑があったり、空き地には芒やねこじゃらしや葛が繁茂し、目を川向こうに向けると小高い山があったりと、ぼくの子供時代の三鷹の田園風景のようで、とても懐かしい気持ちになった。こういう風景の中に流れる小川の畔に咲く、彼岸花は、鎌倉のお寺のお嬢様彼岸花とは違った風情で、いってみれば、村娘彼岸花とか野良彼岸花(爆)といった感じで、ぼくはとても気に入ってしまった。

ほんとうに、のどかな気持ちになって、ぼくらは歩いた。彼岸花は、多くは花開き、これからというのも2,3割くらいあった。赤い花に混じって、ときどき白い彼岸花が顔をみせていた。そして、こうゆう田園風景だから、蝶やトンボがとびかっている。揚羽蝶やクロアゲハが彼岸花の蜜を吸いにくる。赤トンボが竿の先に止まっている。オニヤンマらしいのがゆったり飛んでいる。バッタなんか久しぶりにみた。あちこちに、びょこぴょこ飛んでいる。しばらく歩くと、突然、ワイフが声をあげた。富士山がみえている。今の時期だから霞んでいて、はっきりしないが、はっきりした山並みをみせる丹沢の山々の左にうつくしい姿をみせていた。

彼岸花をみにきたのに、なんだか小川の流れる田園風景を楽しんでしまったような日だった。

 

 

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デルス・ウザーラ

2011-09-28 10:41:11 | Weblog

黒澤明監督の”デルス・ウザーラ”を観たいと思っていた。それが突然、実現した。昨日、NHK・BSプレミアムで午後10時から放映されたのだ。いつもなら、うつらうつらする時間帯だが、面白くて最後までみてしまった。

何故、観たいと思っていたかというと、ある会合で、元職場の先輩と隣り合わせたとき、この”デルス・ウザーラ”が話題になった。そして彼が中学生の頃から、この映画の原作、アルセニエフ著”ウスリー地方の密林にて(1902年、 1906年の探険)”と”デルスウ ・ウザーラ(1907年の探険とその後)”を読んでいることを知った。さらに、定年後、日本語訳を再読するだけではなく、ロシア語の原書にもあたり、詳しく調べたというほどの熱の入れようだった。是非、読んでみてと、彼の訳文まで送ってくれた。もちろん読んだ。面白い探険物語(植物や動物の描写も詳細)ということだけではなく、自然と人間の関わり、人間の生き方などの根源的な問題を問うている本だと思った。

映画は、1902年、探検家アルセニエフと先住民ゴリド族、デルス・ウザーラの出会いから始まる。訳文ではデルスはこう表現されている”見たところ年齢四十五歳くらい。身丈は高くなく、小肥りの見るからに旺盛な体力の持主であった。胸は盛上り、腕は太く筋肉隆々、足は心もち曲がっていた。また突き出た顴骨、小鼻、蒙古人種特有の眼瞼をした眼、頑健な歯を見せた大きい口、日焼けした顔は、真に土着人として典型的な容貌であった”俳優もまさにその通りで、顔は元横綱朝青龍によく似ていた(笑)。

そして、デルスは探検隊の先導役として、アルセニエフらと生活を共にするようになる。森の人として生きて来たデルスは、ちょっとした兆候で天候の変化に気付き、獲物や人の気配を知る。お日さまを一番えらいヒト、お月さまは二番目とソンケイしている。火も風も水も生物(いきもの)だ、怒らせると恐い、森には自分の行いを監視している妖精がいる、と自分の世界観を述べる。アルセニエフは次第にデルスに心を寄せていく。命を助けてもらったこともあった。湿原地帯で二人は道に迷う。日没が迫る、このままでは凍死する。デルスがアルセニエフに指示し、ふたりでまわりの草を刈りはじめる。あまりの強労働にアルセニエフは途中で倒れてしまう。翌朝、刈り草の家の中でアルセニエフが目を覚ます。”キャプテン、お日さま、出てる”とデルス。助かった瞬間だった。

第二部は1907年の探検。途中でまた、偶然デルスに出会えたアルセニエフの喜びは尋常でなかった。もちろん、先導役となる。さまざまな事件がある。筏で流され、あわやというときもデルスの機転で一命をとりとめる。しかし”虎事件”以来、デルスの様子がおかしくなる。目が悪くなり、獲物を仕留められなくなった。これでは森で生きていけない。アルセニエフの説得により、探検が終わったあと、ハバロフスクの自宅に一緒に住むようになる。しかし、水を売る人や薪を売る人に、”あなた悪人”と言って怒らせ、公園の木を切って薪にして警察につかまるなど、都市生活になじまない。結局、山に帰ることになる。しかし目が悪くても使えるようにと、新型猟銃をアルセニエフにもらったのが、あだになる。新型猟銃を悪人に強奪され、殺害される。1910年のことだった。ラストシーンは、アルセニエフが墓標として彼の愛用の杖を盛り土の上に刺す。哀調を帯びたロシア民謡がながれていく。

いろいろなことを考えさえてくれ、映像も音楽もうつくし、さすが黒澤明作品であった。1975年ソ連・日本合作映画。アカデミー賞外国語映画賞、モスクワ国際映画祭大賞受賞。

 

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ヴェネツィア展 えどはく

2011-09-27 09:52:11 | Weblog

会場に入ると、いきなりスクリーンにベネチアの風景動画が。運河を渡るボートから撮ったものだ。沿岸に並ぶ中世の建物。おっ、あれはリアルト橋。おおお はじめてベネチアに足を踏み入れた時の感動が蘇ってきたよ。ぼくが海外の都市で、一番、第一印象でおおっ!と感じた町、ベニス(今回はいろんな呼び方をします)。二番がフィレンツェで、三番がパリ。(でも、長く滞在したいのは、この逆です

ベネチアには二度ほど訪れているが、歴史のこともベネチアの美術のこともほとんど知らない(地球の歩き方で読んでいる程度、それさえ、忘れている)。ここ、江戸博で、ベネチア再発見。主として、絵画による当時の歴史上人物や風俗の紹介や、シャンデリアや井戸の井筒とか大きなコーヒー沸かし器とかいろんなものが展示されている。ベネチア絵画展とベネチア骨董市(笑)が、第1章(黄金期)、第2章(華麗なる貴族)そして第3章(美の殿堂)という、くくりで展示されていると思えばいいです。

まず歴史。えどはくの説明文から。ヴェネツィア共和国はその誕生から約1000年で、建国・絶頂・終焉までの歴史を辿った数奇な運命の都市といえるでしょう。697年に共和国総督(ドージェ)が初選出されて以来、「自由と独立」を貫き、強大な海軍力と交易による富を背景とした水の都は、その美しさから「アドリア海の女王」とたたえられました。そして16世紀ルネサンス期には、今までの富の蓄積の上に文化が爛熟期を迎え、ヨーロッパ中の芸術家のみならず、富裕階級が訪れる観光と歓楽の街となりました。しかし、1797年にナポレオンの侵略により終焉に至ります。かつての栄光の軌跡はサン・マルコ広場やドゥカーレ宮殿など街の至る所に受け継がれています。歴史的な街並みが数多く現存していることは奇跡と言っても過言ではないでしょう。1987年に世界文化遺産に登録された ヴェネツィアは、ますます世界中の人々を魅了し続け、年間2000万人もの観光客が訪れます

第1章では、1500年のベネチアの景観図や、ベネチアのシンボルのライオン図(カルバッチョ作)のほか、15~17世紀くらいにつくられた天体望遠鏡、地球儀、天体球儀、世界航海図など次々とでてくる。マルコポーロの顔も現れる。そうだっけ、彼はベニスの人だっけ。東方見聞録で黄金の国、ジパングを紹介してくれてありがとう。当時の銀貨もいっぱい。むかしぼくも古銭を集めてました。いまは、新しいお金は出ていくばっかりです。 

第二章では華麗なる貴族の生活の一端を覗くことができる。500個の色ガラスで構成される華やかな大シャンデリアにまずびっくり。どなたかが地震がきたら恐いわ、保険をかけているんでしょうね、と言っていた、たしかに。ムラーノのガラス製品もここに。青色ガラスの小鉢とか10点ほど。”旅情”の赤い ゴブレットはありませんでした。ご婦人の靴や靴下まであります。マントや帽子、手袋もありますが、華麗なる下着はありませんでした。。また、18世紀のベネチアの有名画家だったという、ピエトロ・ロンギ工房の作品がずらり。ここでは、音楽会、美容院、カードゲーム、食事、仮装などで楽しむ人々の生活が描かれている。優雅な生活をしていた様子がわかる。

第三章。パラッツオ(邸宅)に住む貴族たちは、17世紀中頃まで自宅で絵画ギャラリーをもっていたそうだ。ベネチア画家の作品だけではなく、トスカーナ、ローマ、フランドル、オランダ絵画までコレクションは多岐にわたっていたそうだ。それらの絵画が飾られている。ぼくも、この前、オランダ、ベルギーを訪れ、フランドル、オランダ絵画もいいなと思うようになってきている。そして、今回の展覧会で、ベネチア派の画家も、いいなと思い始めている。カッリエーラの”春”もよかった。そして、世界一美しい板絵と評されるカルパッチョの”二人の貴婦人”。板の上に描かれているとは思えない色彩。この絵の物語も面白い。はじめは貴婦人ではなく娼婦と思われていたらしい。何故か?、それはお金を払って展覧会に行けばわかります。”ベネチア画家の名前を憶えておこうと努力するが、すぐ忘れるので、画家名も記しておこうと思う。ベッリーニ、ティントレット、ティエポロなど。

今回の展示物の多くは、コッレール美術館所蔵品である。サンマルコ広場に接してるから、たぶん行っているはずだけど、思い出せない(汗)。もし、もう一度、ベニスに行く機会があったら、ぜひ寄ってみよう。

ちらし(二人の貴婦人)



カナの婚礼



聖母子 (ベッリーニ)



春(カッリエーラ)

常設展では企画展”市民からのおくりもの2001”が開かれています。橋口五葉の版画(温泉宿など)や今戸焼の土人形など、楽しめます。ぜひこちらもお寄りください。

 

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大相撲秋場所予想結果は?

2011-09-26 13:25:40 | Weblog

ぼくの、初日段階での大相撲秋場所予想の結果を発表したいと思います。今回は、貴親方の場所前の発言”稀勢の里が優勝すれば大関にも”に、(ぼくが)すっかり有頂天になり、稀勢の里、優勝を軸に予想したもので、そのときのブログタイトルは”有頂天大相撲予想(9/12)”となっています(汗)。

本当のこと言うと、これはちょっと無理だと思いながらの予想だった。でも、蓋を開けてみると、稀勢があれよあれよと白星を重ね、初日から8連勝。ひょうたんから駒か、と本気になったとたんに3連敗。そして、またいつものように、崩れるかと思いきや、なんと、白鵬を破り、千秋楽まで白星を重ね、優勝争いに加わりつづけた。結局、あと一歩のところで、準優勝に終わったけれど、ほぼ予想が当たったといえる。

あと、日馬富士の横綱昇進、琴奨菊、鶴竜 の大関昇進はないだろうと予想したが、琴奨菊が頑張り、ぼくの予想をはずしてくれた。でも、2/3が当たったことになる。豊真将の勝ち越しは予想していたが、二桁勝利までいくとは思わなかった。嬉しい誤算である。今回は対象外だったが、豪栄道の二桁勝利もうれしい。稀勢の里、豊真将、豪栄道の三羽烏には是非、三役に定着してもらって活躍してもらい、最後は綱を張ってもらいたい。

さて、予想結果ですが、以下の通りです。いつものように、ぴたり賞◎と、一つはずれ〇までを勝ち星、他は黒星●とします。7勝7敗1分 でした。先場所よりはよかったですが、来場所はぜひ勝ち越し、それと稀勢の里の全勝優勝(早くも来場所の予想)をぴたり賞で当てたいと思います。

。。。。。

(左が予想成績、右が結果です)

稀勢の里 14勝1敗/12勝3敗●;白鵬13勝2敗/13勝2敗◎、日馬富士13勝2敗/8勝7敗●、把瑠都 10勝5敗/10勝5敗◎;豊ノ島9勝6敗/8勝7敗〇;琴奨菊 9勝6敗/12勝3敗●;鶴竜 9勝6敗/9勝6敗◎;豊真将 8勝7敗/10勝5敗●、琴欧洲 7勝8敗/途中休場△、栃煌山 7勝8敗/7勝8敗◎、隠岐の海 6勝9敗/8勝7敗●、阿覧6勝9敗/5勝10敗〇、若の里4勝11敗/4勝11敗◎、嘉風4勝11敗/6勝9敗●、豪風3勝12敗/5勝10敗●

結果は、7勝7敗1分ちょうど五分。△でした。

。。。。。

豊真将  場所入り



琴奨菊最後の場所入り(大関になると別のところから入る)



人気の隆の山

豪栄道

中入土俵入り

横綱土俵入り

立行司、35代木村庄之助最後の一番 長い間、御苦労さまでした。

 

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利休ゆかりの南宗寺 家康ミステリーも

2011-09-26 09:52:29 | Weblog

 お茶をやっている人には、堺の南宗寺(なんしゅうじ)を知らぬ人は少ないらしい。WIFEも表千家をやっているから、ぼくが堺に泊るときいて、ぜひ参拝してきてと言われた。ここには千利休の墓があり、同じ墓地内に表千家、裏千家、武者小路千家の家元の墓があるのだ。それだけではない。隣りの墓地には利休の師匠、武野紹鴎(じょうおう)の供養塔もある。また、別の塔頭だが、利休の高弟で、小田原攻めのとき秀吉に殺された、山上宗二の供養塔もある。これだけ揃えば、茶人ならば一度は訪れなくてならないだろう。

お墓だけではなく、利休遺愛の手水鉢(ちょうずばち)や、利休好みの茶室、実相庵あるし、古田織部の作といわれる国の名勝庭園、枯山水の庭もある。仏殿の天井には狩野信政筆”八方睨みの龍”が睨みをきかしている。ぼくは、幸運にも以上をボランティアガイドさんの説明つきで案内してもらった。司馬遼太郎ご一行が来られた時は、突然の訪問だったので、誰もおらず、雨の中を案内なしで回っている。津田宗及の墓地もあるが、司馬は、堺の茶人として名高い三人の富商は利休、今井宗久そして津田宗及であったが、信長に茶と貿易のすべてを指南した筆頭は宗及であったと述べている。このとき、司馬は徳川家康のお墓をみていなかったようだ。みていれば何らかの言及があったはずだ。ぼくはガイドさんから面白い話を聞いた。堺市の観光ガイドにも載っていたので、以下に示します。

大坂夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康。しかし大坂方の猛将・後藤又兵衛は怪しいと睨んで槍でついた。家康はそのまま南宗寺で絶命。しかし死去はふせられ、家康の影武者が活躍。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られたという」こんな伝説がまことしやかにささやかれる南宗寺。二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起因しているとの説が伝えられています。それを裏付けるように、境内には徳川家康の墓があり、瓦には徳川家の「葵」の紋が。歴史の意外なミステリーに興味をそそられます

そういえば、家康は、早々と2年で、将軍職を秀忠に譲っている。司馬遼太郎説を聞きたかった。

なお南宗寺は、堺が最も繁栄した戦国初頭に建てられ、大阪の夏の陣で兵火にかかり焼け、江戸初期、沢庵和尚により再興された。先の大戦で難を逃れた仏殿、甘露門(山門)、唐門が国の重要文化財に指定されている。

以下、いくつかの写真を載せます。

千利休一族、三千家家元のお墓

方丈 枯山水庭園

実相庵

仏殿の天井の”「八方睨みの龍」”狩野信政筆

座雲亭(1623年7月秀忠8月家光が御成の板額がかかげられている)


家康の墓

ここからホテルまで40分もかかって歩いた。途中で会った親子象像。

 

 

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千秋楽 国技館は沸き立っていた

2011-09-25 22:01:10 | Weblog

大相撲秋場所千秋楽、ぼくは両国国技館にいた。これより三役の、結びまでの三番は、近年にない大興奮で国技館は沸き立っていた。まず、稀勢の里対豪栄道。12日目に白鵬を破り優勝戦線に残った稀勢に対する応援がものすごい。人気の豪栄道も今回だけは影がうすい。期待通り、稀勢は白星をもぎとった。さあ、優勝決定戦の可能性を残してくれた、大きな拍手が国技館をこだまする。

そして、次は琴奨菊対把瑠都戦だ。こちらの大声援はそれぞれの力士へ、五分五分とみた。ぼくもそうだけど、把瑠都に勝ってもらい、琴奨菊を3敗にさせたい、そういう気持ちが五分あるのだ。もちろん、決定戦を期待しているノダ。立った、琴奨菊攻める、攻める、ああ琴の勝ちかと思った瞬間、把瑠都の捨て身の投げが決まった。わあーという大歓声。ぼくのシナリオ通りに進んでいる(汗)。これで両関脇の星が並ぶ。

結びの一番。白鵬対日馬富士。これは、圧倒的に日馬富士に大声援。制限時間いっぱいのときには、なんと日馬富士コールと手拍子。もちろん僕も(汗)。立った。白鵬攻める。日馬、踏み留まる、土俵中央まで押しかえした、よしいいぞ、と思った瞬間、転がされてしまった。あ、あああ、ため息の国技館。しかし気を取り直して(ぼくも)、白鵬に祝福の拍手を送る。ぼくのシナリオは最後にくずれた。稀勢の里初優勝の望みははかなく消えたけど、ここまで相撲フアンの心を沸かしてくれ、そして大相撲を土俵際のピンチから、ようやく抜け出させてくれた稀勢の里の功績は大きい。今回の殊勲賞はこの功績のためだろう。

つまらないことで、大相撲をここまで追い詰めたマスコミのばかやろうどもに聞かせてあげたい千秋楽の大声援であった。

稀勢の里 三態

白鵬20回目の優勝

野田総理から総理大臣杯

 

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フラガールが由比ヶ浜に

2011-09-25 08:51:08 | Weblog

いわき市のスパリゾートハワイアンズ(ぼくらの世代では常磐ハワイアンセンター)のフラガールが鎌倉にくるというので、楽しみにしていた。会場は由比ヶ浜。11時半ころ着いたら、浜辺のステージではショーが始まっていた。シングソングライターのつじむらゆみこさんの清らかな歌声が流れていた。いい詞だなと思ったが、メモしなかったのでもう忘れてる(汗)。家族連れを中心に舞台の前はたくさんの人で溢れていた。

”10th鎌倉ビーチフェスタ2011”のプログラムのちらしをもらうと、”頑張ろう東北!!復興支援”と銘打っていた。例年5月開催だが、大震災の関係で今年は9月になったとのことだ。フラガールの出演は12:20分から30分間というので、腹ごしらえをすることにした。露店がたくさん出ている。うにの貝焼というのがあったので、それをひとつと、たこ焼きを買って、生ビールを飲んだ。ベンチも用意されている。昨夕のビーチフェスタ関連ニュースで、うにの貝焼店がちらりと出ていた。

そして、フラガールのフラダンスがはじまった。さすがプロ。しなやかな身体の動きにうっとり。2007年に観た「フラガール」を思い出した。昭和40年、炭鉱の町を常夏の楽園にしようと住民がたちあがる物語。松雪泰子、豊川悦治、蒼井優(ダンスがうまかったなあ)、そして”お笑い”の山崎静代が出演していた。涙あり、笑いあり、感動がいっぱいの、すばらしい映画だった。そして今年の大震災で閉鎖。その間、フラガールたちは全国行脚をつづけた。そして、喜ばしいことに、この10月に再開が決まったそうだ。がんばってほしい。ぼくは常磐沿線に住んでいたこともあって、一度、行っている。またぜひ訪れてみよう。近くの温泉場(湯本)も風情があり、そこにも泊りたい。

浜辺の砂の城

ハワイアンの曲が流れる由比ヶ浜は、すっかりワイキキの浜辺になっていた。遠くにみえる稲村ケ崎はかまくらのダイアモンドヘッドです(爆)。

 

 

 

 

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今、大相撲が面白い

2011-09-24 20:50:16 | Weblog

大相撲秋場所、終盤になって、がぜん面白くなってきた。12日目、稀勢の里が全勝白鵬に土をつけたときがターニングポイントになった。消えかけていた火に油を注いだかたちになった。翌日、琴奨菊も白鵬を破り、さらにその火は燃えあがった。この一勝で琴奨菊自身の大関昇進の可能性が強まり、優勝争いも混沌としてきたのだ。

そして、今日、14日目も理想的展開となった。稀勢の里が勝ち、3敗のまま、優勝争いに残った。琴奨菊は日馬富士を圧倒、12勝目をあげ大関昇進を確定的にした。白鵬も把瑠都と、かっての栃若戦を想わせる大相撲の末、白星をもぎとった。これで、2敗が白鵬と琴奨菊、そして稀勢が3敗で追う優勝争いで千秋楽を迎えることになった。

これでお膳立てが整った!。えっ?

ぼくが、明日、千秋楽に国技館に相撲見物にいくお膳立てが整ったノダ

そして、その千秋楽のシナリオは?

稀勢は豪栄道に楽勝。Why? 豪栄道はすでに二桁勝利を決めている、無理して勝ちにいく理由はない。

琴奨菊は把瑠都に完敗。Why?琴奨菊は大関昇進が確定して、もう力が抜けている。把瑠都は大関の意地で二桁勝利は是非欲しい。真剣に勝ちにくる。

白鵬も日馬富士に完敗。Why?日馬富士は横綱昇進場所で8勝7敗というわけにはいかない。横綱を破って、楽を飾りたい。白鵬は相撲界全体のことを考えて、今場所は日本人力士に優勝を譲ろうと思っている。

そして、3敗で三者が並び、優勝決定戦。ここ10年、最高の盛り上がりをみせる。そして、優勝は稀勢の里。そして、貴親方の推薦により、稀勢の里の大関昇進が確定する。!

しかし・・・・ひとつ問題がある。

ぼくが国技館に行くと、100%稀勢の里は負けるノダ。

このジンクスを破るために、何とかしなければ成らぬノダ。そうだノダさんのようにドジョウになれば、ジンクスは破られるノダ。そのためには昼飯は浅草の駒形どぜうでドジョウ鍋でいっぱいやってから国技館に入ろう。

今日の三力士

 




 

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