気ままに

大船での気ままな生活日誌

源氏絵と伊勢絵展

2013-04-30 11:17:21 | Weblog
昨日、トーハクで岩佐又兵衛の”故事人物図屏風”に出会った。どんな場面なのか諸説あるとのこと。紀貫之の”蟻通”とか源氏物語の”桐壺”の場面とか。

故事人物図屏風(一部) 暴れ馬をなだめる


又兵衛と源氏物語と言うと、先日、出光美術館でみてきた”源氏絵と伊勢絵展”。その玄関口で登場するのが、岩佐又兵衛描く、源氏、伊勢、両物語の主人公、光源氏と在原業平。



左が”業平図”で右が”源氏物語/野々宮図”。こうして並んで観たことは初めてかもしれない。どちらも出光美術館所蔵で、”源氏絵と伊勢絵展”だからこそ可能になった世紀のツーショット(おおげさかな)。それも片や、(墨線のみの)”薄墨桜”、こなた、(淡彩の)ちょと色づいた”山桜”風というのも良い。又さん(気安く呼ぶなって、言われそう)、はじめからこうして展示されるのを見越して描いたのではないかと思わせる。これからセットで”又兵衛桜”と呼ぶことにしよう。

ここで、しばらく立ち止まり、第3章で、また又さんの”伊勢物語くたかけ図”で立ち止まり、一通り見てから、また、はじめに戻り、ご挨拶と、今回のメインゲストの没後400年の土佐光吉どんをないがしろにしてしまった。

伊勢物語くたかけ図 


業平は、見た目に優れ、自分勝手なふるまいをし、世間の常識に従わない。漢学はダメだが、和歌に秀でてた、と”日本三代実録”に書かれているそうな。また、これらの絵が描かれた頃の源氏物語の解説書は、”(光源氏の)好色の事は、在中将(=在原業平)の風をまなべり”とあり、二人に似た性格を見ることは、当時の知識人の常識だったようだ。

展覧会の構成はこうなっている。 
1.貴公子の肖像/光源氏と在原業平
2.源氏絵の恋のゆくえ/土佐派と狩野派
3.伊勢絵の展開/嵯峨本とその周辺
4.物語絵の交錯/土佐光吉の源氏絵と伊勢絵
5.イメージの拡大/いわゆる〈留守模様〉へ


留守模様(人物がいなくても物語を連想させる景色)の代表として、抱一の”八つ橋図屏風”が展示されいる。その1週間ほどあと、根津美術館で光琳の燕子花図屏風をみることになる。

光琳と抱一の八つ橋図屏風を並べている写真から。光琳のはMET所蔵。


又さんの作品のほか、うつくしい屏風もたくさんあって、華やかな展覧会だった。そうそう、出口近くに、ひときわ目を引く古染付が控えていた。次回は古染付展だそうだ。

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清方、美人画の巨匠へ展

2013-04-30 09:16:51 | Weblog
昨日のトーハクの平常展に出ていた、鏑木清方の”黒髪”。六曲一双の屏風。これは、大正6年(1917年)の作で、第11回文展の特選第一席になった。この頃、松岡映丘らと共に”金鈴社”を結成し、やまと絵研究に取り組んでいたという。

黒髪(一部)


さて、わが地元の鎌倉にある鏑木清方記念館で、開館15周年記念として”清方、美人画の巨匠へ展”が開催されている。

清方は、明治11年8月31日東京・神田に生まれているが、13歳で水野年方に入門し、早くから、鏡花、藤村らの作品の挿絵・口絵画家として活躍していた。明治30年(1897)”紫紅会”、明治34年(1901)年、”烏合会”に入り、風俗画、美人画の作品を次々と発表する。そして、前述の”金鈴社”の結成は、大正5(1916)となる。

展示室に入ると、清方,16歳のときの歴史画が迎えてくれる。”小楠公弁の内侍を救う”。これを皮切りに、清方初期の秀作が個人蔵、他美術館所蔵の作品を中心に、華やかに展示されている。

朝涼(右幅)(大正7年) 個人蔵


朝涼(左幅)(大正7年) 個人蔵/ 道成寺(昭和13年)木原文庫蔵/ 鏡獅子(昭和9年)木原文庫蔵


重陽佳節(制作年不明)木原文庫/ 八幡鐘図(明治34年)逸翁美術館/ 花いはら(大正末期)木原文庫蔵


このほか、曲亭馬琴、深沙大王、清子4歳像、子供二人、田舎源氏の黄昏(苦楽の表紙絵)、夏の思い出など。樋口一葉の「にごりえ」を鏑木清方が全15図の連作にしたものも引出し展示されている。

この日も、近くの川喜多映画記念館の映画とセットで観にきた。映画は2006年の”マリー・アントワネット”。以前、観ていたことを途中で気付いた(汗)。第1回の”フレンチカンカン”(1954年作)を観たかったが、うっかり見逃してしまった。ムーランルージュの物語なのでぜひ観たかった。GWには、アンコール上映作品として、天井桟敷の人々、居酒屋、昼下がりの情事、巴里の空の下セーヌは流れる、などの名画が上映される。どれかに行こうと思っている。昼下がりの情事は去年、みているので、途中で気付くようなことのないようにしなくては。そうそう、ワイフの同窓会で、出席予定の人が来ていないので、幹事さんが連絡したら、すっかり忘れていてまだ家にいたそうだ。”去年のようなことがないように、今度は忘れずに出席します”と今回の返信用はがきに書かれていたそうだ。 いよいよボケが始まったのかと、みんなで大笑いだったらしい。


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上野で一日

2013-04-29 21:17:02 | Weblog
今日は上野で一日、楽しんできた。午前中に出掛け、国立科学博物館でこれをみて。




午後は、トーハクでこれをみて。


常設ではこれをみて。


ついでに、又兵衛さんや清方さんや清輝さんをみて。






さらに、ついでにお花見して。






ユリの木の花も咲いていて。


〆は大道芸。


家に帰ると、すき焼きが待っておった。楽しい一日でござった。


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貴婦人と一角獣展

2013-04-29 09:27:03 | Weblog
ちょうど1年前、パリのカルチェラタン地区にある、国立クリュニー中世美術館を訪ねた。三世紀の(セーヌの船主たちのギルドでつくられた)ローマ公衆浴場の遺跡が現在も残っているが、14世紀に、その遺跡を買い取ったのがグリュニー大修道院長で、遺跡を残しつつ館を建てた。フランス革命後は、美術蒐集家のものになり、彼の死後、国の所有となり、現在の中世美術館となった。そこの、目玉展示が、タピスリーのモナリザと讃えられる”貴婦人と一角獣”だ。まさか、その1年後に日本で再会できるとは夢にも思わなかった。だから、今回の展覧会はとてもうれしかった。

まず、クリュニー中世美術館でのことを思い出してみよう。そのときの、ぼくのブログ記事(2012.5.2)から。美術館の二階、第13室の”貴婦人と一角獣”という6枚連作のタピスリーがある。このタピスリーは1882年に中部フランスの城で発見された、1400年代の作品で、作家ジョルジュ・サンドが取りあげたことで有名になった。一室をぐるりと囲むように展示されている、6枚のタピスリーにはそれぞれ意味があり、味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚の五感、そして”欲望”を表現しているという。真紅の地に、角が一つの想像上の動物である一角獣と貴婦人が中心に描かれ(織りこまれ)ている。最後のタピスリーは、貴婦人が首飾りを宝石箱にしまう様子が描かれ、欲望を断ち切るという意味があるようだ。離れてみるのもいいし、近づいて、精密な織りのすばらしさを堪能するのもよい。撮影可能だったのがうれしい。以下、写真で紹介したい。とある。今回の展覧会では写真を撮れなかったので、ついでにそのときの写真も載せてしまおう(笑)。

五感

我が唯一の望み


さて、国立新美術館での展示はどうだったか。まず、クリュニーの展示室より、ずっと広い、明るい部屋でみられたので、よりよく、貴婦人や一角獣の細かな表情や、背景の”千花模様”の植物や動物を観ることができた。一方で、(中世の雰囲気のある)クリュニーの薄暗い部屋に飾られているときに感じた、ある種の気配が、ここでは少し違って感じられるのは、いたしかたがないことだろう。

しかし、それぞれのタピスリーの図柄等の観察に関しては、十分すぎる配慮がされている。まず、高画質の画面でそれぞれのタピスリーの細部を拡大してみせてくれる。そして、別室では、千花模様に描かれている植物のそれぞれを抜き出して、花の名前を教えてくれる。オダマキ、クレマチス、マーガレット、ヒヤシンス、白いハナダイコン、ピンクのハナダイコン、とまだまだ続く・・・そいて、鳥は、カササギ、ハヤブサ、キジ、オーム等。動物はウサギ、キツネ、コヒツジ、サル、シシの子、もちろん犬も。さらに樹木はマツ、ナラ、オレンジ、ヒイラギ。

漠然とみていて、気づかなかったものも多い。で、また、タピスリーの部屋に戻り、それらを確認する。なるほどと、何度か繰り返す。これも、ここだからできる作業。随分、時間をかけて楽しんでしまった。また、最後の”欲望”(我が唯一の望み)の意味は、諸説あるということで、自分流の解釈を考えるのも面白い作業かもしれない。ぼくは、去年のブログ記事の考えでいい(笑)。でも、もしかしたら、そのうち、突如、新説を出すかもしれません(笑)。





昨日、フラワーセンターの帰り、図書館で芸術新潮の最新号を覗いた。”貴婦人と一角獣”特集号だったので。世界三大タピスリーの、残りの二つ、”一角獣狩り”と”アンジェの黙示録”の説明もあった。前者は、”貴婦人と一角獣”と同じ作者であるようで、ニューヨークのクロイスターズ美術館にある。これも、昨年末、観てきたばかり。やはり美術館自身が中世のフランスの修道院の遺構をもとにつくられている。ついでながら、そのとき撮った”一角獣狩り”の写真も載せておきます。



・・・・・
クリュニー中世美術館の雰囲気




これからは、巴里に行ったときは必ず、ここに寄ることになりそう。現地のガイドさんが言っていた。ここをコースを入れない日本人ツアーが多いんですよ、もったいないと思います。たしかに。

さて、今日は、巴里ではなく、上野にでも行ってこようかな。
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安養院のつつじ 妙法寺の苔石段

2013-04-29 09:23:51 | Weblog
去年、鎌倉大町の安養院のつつじ(オオムラサキ)が、満開になったのは5月9日だった。でも、今年はどの花も10日ほど早めに咲いている。うちの近くの、オオムラサキも咲き揃ってきたので、昨日(4月28日)、偵察に行ってきた。やはりというか、満開までにはいかないまでも、5,6分の咲きで、十分、楽しませてもらえた。

道路沿いのつつじ


裏の宝篋印塔と政子の供養塔の回りも。立札に隠れている、政子の供養塔。安養院は政子の法名。


宝篋印塔を囲むつつじ


天然記念物の樹齢700年、槇の大樹の陰に咲くえびね。


・・・・・
そこから歩いて、7,8分。妙法寺。

苔石段で有名。久しぶりに訪ねてみた。土日しか開けていないし、大震災以降、石段の方までのぼらせくれなかったせいか、しばらくぶりだった。苔石段は健在であった。見事なものだった。







虚子の娘さんで俳人の星野立子が、ちょうどこの時期に、苔石段を詠む。

美しき 苔石段に 春惜しむ

その句碑。


春は怒涛のように押し寄せ、そして、引き潮のように、たちまち去ってゆく。

そうそう、原節子桜の名残り花のご報告。今朝、まだ、2輪残っております。新記録達成なるか。八重桜ではなくソメイヨシノですよ。すごいこと。

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第39回野毛大道芸

2013-04-28 06:08:07 | Weblog
玉三郎が薩摩の生まれなら、子供の頃は玉どんと呼ばれていただろうか、勝海舟ならかつどん、天海和尚なら天どん、神田うのちゃんなら、なまってうなどん、白洲正子ならシラスどん、カレーの市民ならカレーどん、上海の市民なら中華どん、ギュスターヴ・モローなら牛どん、ハイドンならハイドンどん、ふふふ、なんてバカなことを車中で考えていたら、もう桜木町駅だった。

毎日がGWのおいどんでごわすが(汗)、世間さまのGWが始まると、それはそれでわくわくするでごわす。その初日に出掛けた先は、横浜は野毛の大道芸。毎年のように出向いているでごわす。

駅から、野毛大通りを歩きはじめるとすぐに、にぎわい座。その横がにぎわっていた。人だかりを背伸びしてみると、そこには猿回しのお姉さんがちらりとみえた。みたかったけど、背伸びしてみる海峡の今日も汽笛が遠ざかる、では疲れるので先に進む。

その少し先で、野毛本通りに交差するが、この通りが、日本三大大道芸のひとつ野毛大道芸のメインステージだ。第39回野毛大道芸のはじまりはじまり。

まず、右側のAステージ(ステージがあるというわけではないが)を、やっぱり背伸びしてみることになる。”ささらほうさら”という金粉舞踊のグループ。いきなり刺激的な舞踊で、眠気が吹き飛んだでごわす。玉どんの”将門”の舞踊みたい。妖艶の舞台。


そして、その隣りでは”おじゃるず”。そういえばお公家さまのお姿。おじゃる、おじゃる連発のなんだか不思議なオモシロパフォーマンス。


で、お次は。交差点を渡り、左側の通りに。えらい人気でごじゃる。とくにおじさんのカメラの放列にびっくり。それもそのはずでごじゃる。べりーダンスの美女軍団だもの。


弁天小僧菊之助、”待ってました!音羽屋”、じゃなくて”あっぱれ!吉沢屋”。歌舞伎とマジックの不思議な融合。口上まであるんでごわちゅ。うまくいったら”あっぱれ!”とみんなで叫ぶように指導を受ける。あっぱれ!


そして、あの娘かな、このこかな、あれ違うかな、かな、かな、のカナちゃん。フラフープの技にはびっくり。一番、たくさん写真を撮ってしまった(汗)。




Mr.アパッチの芸にも参った。ハシゴの上でけん玉を見事に決めた。


Mr.BUN BUNの、りんご食べ食べお手玉は誰もまねができない、すご技。


おいどんは野毛大道芸のパンフの表紙になったでごわすと自己宣伝するプッチリードどん。


”将門”で玉どんは蝦蟇つかいだったが、こちらは蝦蟇のあぶら売り。クラッシク大道芸は石原耕。お客さんの腕を刀で切ったら、血が出てきた。でも蝦蟇の油で治りました。


土日の二日間、国内外の40組120人のパフォーマーがジャグリングからマイム、舞踊、マジックショー、サーカスパフォーマンスなど大道芸の多彩な技を披露する、39回、野毛大道芸。めったにみられない世界的な高度な技。ただ笑ってるばかりでなく、”投げ銭”も忘れないように。できれば、お札をお渡しください。芸人の皆様になりかわって、隅から隅まで、ずずずいと、よろしくお願い申しあげたてまつりまーす。


次の楽しみは5月10日。越中おわら風の盆の流しもみられでごわす。夕方なんで、そのときは、野毛の居酒屋でいっぱいやりながらかな。〆は玉丼。


来年も来ますよ!


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北原照久のお宝コレクション展

2013-04-27 11:09:21 | Weblog
ぼくだって、子供の頃はものを集めるのが好きだった。めんこ、ビー玉、べーゴマから始まって、月刊誌のおもしろブックや少年ケニアの絵本シリーズも随分、あとまで取っておいた。切手も集め始めたし、古銭の蒐集だって。珍しい(?)石ころを集めた時期もあったし、新聞記事をスクラップブックに貼りつけてなんてこともあった、人類はじめて月を踏む、なんて記事なんかもね。それらは、いつのまにか、ぼくの手元を離れて、もう、今は何も残っていない。

でも、ぼくと同じ世代で、子供の頃からもの集めをはじめ、それを捨てないどころか、大人になってからは本格的に収集し始め、ついには横浜山手におもちゃ博物館までつくった人がいる。北原照久さんだ。

その北原さんのコレクションを、今、日本橋高島屋で観ることができる。”北原照久のお宝コレクション展”。ついつい入ってしまった。とても、楽しかった。なんと、展覧会では珍しく、カメラもOKとのことで、おもちゃいろいろ、そして、こんなものも、あんなものまで、と驚きのお宝をお見せいたしましょう。同世代以上の方なら懐かしく、若い人でも懐古趣味の方であれば(笑)、いやいや、現代アートもあるし、十分楽しんでもらえるでしょう。

では、はじまり、はじまり。

おもちゃの部







ポスターなど




モダンアートも




こんなの、あんなの






がいこつの時計


長嶋選手のルーキー時代のグローブ


ひばりちゃん


楽しい展覧会だった。
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龍村平蔵、時を織る 

2013-04-27 09:36:30 | Weblog


歌舞伎座のこけら落とし公演でお披露目された、この緞帳。中島千波画で制作は龍村平蔵美術織物と紹介された。その龍村平蔵美術が創業120年を迎え、その記念として、初代平蔵の作品を中心にした展覧会が、日本橋高島屋で開催されている。

若き日の芥川龍之介が、大阪船場の龍村邸で、初代平蔵のつくった帯をみて、そのあまりの芸術性の高さに、言葉を失ったようだが、ぼくも、はじめての”龍村平蔵展”を観て、芥川の気持ちがよくわかった。織物なのに、絵筆で描いた絵のようであり、蒔絵や螺鈿のようであり、はたまた、金工品や木工品、陶磁器のような肌合いであったりと、自由自在に織られ、おどろきを通り越して、茫然としてしまった。

どのようにして、こんなにすごい技を獲得したのか。展覧会を一巡すると、なるほどと思う。”温故知新”の技なのだ。たとえば正倉院や法隆寺に伝来する古代裂の復元をするこにより、その試行錯誤の中で、当時の高度な織り技を習得する。さらに、それらに独自性を加え、創造的な作品に作り上げていく。

展覧会では、さまざまな復元品がみられ、楽しい。信長や秀吉らがつけた陣羽織もある。能衣装や名品振袖も。祇園祭の、函谷鉾の前掛けは、16世紀・ベルギー産ゴブラン織りタピスリー(イサクに水を供するリベカの柄、重文指定)だが、その復元も観られる。ぼくは祇園祭で函谷鉾の内部見学もしていて、ちまきも買っているし(汗)、写真も撮っている。


もう一つ、油天神山の水引も平蔵作。昨日、観たばかりの、パリ・クリュニイ博物館のタピスリー”貴婦人と一角獣”の背景の模様(鷹と花々)をモチーフにしている。こうして、いろいろ繋がるのもうれしい。


そして、前述の様々な織と文様の小品がずらり。光悦の蝶が出てきたり古代絵があったり、あるものは玉虫色に輝き、あるものは刺繍でもしたかのような立体感で。まるで布の宝石陳列棚といった感じ。以下に、ちらしの写真を切り抜いて載せますが、実際、目でみた、あの、すばらしい輝きは1/100も出ていませんね。ぜひ、お出かけして、裸眼でみられることをおすすめします。











横浜高島屋にも巡回するようですので、横浜近辺の方はのんびりしていていいでしょう。でも、そういう人は、まず、見逃してしまうでしょうね、ぼくの経験から。


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金蘭 銀蘭 燕子花

2013-04-26 18:49:12 | Weblog
”ホテルに泊まって東京見物”シリーズ(笑)で、昨日、今日と遊んできました。

昨日(25日)は、ぼくが一週間ほど前に偵察に行ってきた東御苑にまず、出動。お目当ては、あのとき、まだ蕾だった雑木林の金蘭、銀蘭。見事に咲きそろっていた。ワイフもこの野生蘭が大好き。天気も良かったし、大勢の人が押しかけていた。

金蘭






銀蘭




黄えびねも見頃に


躑躅は、なんとか残った、残った


外国人も大勢


そして、今日(26日)は、根津美術館庭園のカキツバタ。咲き始めたかどうか、不安だったが、もうこんなに。見頃は、明日27日から5月10日頃までらしい。






展覧会もすばらしかった。この展覧会の他に、貴婦人と一角獣展、三の丸尚蔵館、大倉集古館、日本橋高島屋で二つの美術展、と計、六つの展覧会をこなしてきました(汗)。さあ、急いで感想文を書かねば、溜まる一方だ。


・・・

根津美術館からの表参道の風景

表参道ヒルズは輝いていた。あと三年で十周年。六本木ヒルズは今。


本物かと思った


表参道は賑わっていた


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芭蕉も泊まった飯坂温泉

2013-04-25 08:49:04 | Weblog
朝散歩で”原節子桜”が、まだしっかり四つの花房をつけていることを確認した。この勢いなら、明後日からはじまるGWに突入するのは間違いない。そして自身のもつ名残花記録、5月5日を更新するのも夢ではなくなった。

さて、先日は名残りの花ではなく、盛りの花々を福島の花見山で楽しんだ後、飯坂線で20分ほどのところにある飯坂温泉に向かった。市内の土湯温泉には泊まったことがあるが、飯坂温泉には足を踏み入れたことがなかった。

芭蕉のことが頭にあった。”奥のほそみち”の旅路で、たしか飯坂温泉に泊まっているはず。どんな温泉街なのか、一度、訪ねてみたかった。がたごと揺れる、飯坂線の電車に乗ること、20分。終着駅の飯坂温泉に到着。改札口を出ると、いきなり芭蕉翁が迎えてくれた。




銅板に刻まれた説明文は読みづらかったが、奥の細道のことが書かれていることは何とかわかった。やっぱりそうだった。
本通りを5分も歩くと、飯坂温泉発祥の地の碑が待っている。その横に、鯖湖湯という共同温泉場がある。日本最古の木造共同浴場で(明治22年建築)で、平成5年に忠実に再現したとのこと。芭蕉もこの湯につかったと説明にあった。




芭蕉はこの温泉場についてこう記している。あまりほめていない(笑)。温泉はともかく、そのあとの宿ではひどい目にあったようだ。
其夜飯塚にとまる。温泉あれば、湯に入て宿をかるに、土坐に莚を敷て、あやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寢所をまうけて臥す。夜に入て雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて眠らず。持病さへおこりて、消入斗になん。

その近くに、旧堀切邸ある。江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家で、1775(安永4)年建築の、県内で現存する最大で最古の土蔵「十間蔵」や近代和風住宅の「主屋」など、歴史的価値の高い建物とのことだったので見学した。芭蕉がここを訪れたのが、1689年(元禄2年)だから、まだこの旧家はなかった。もしあったならば、こちらに泊めてあげたかったですな。

表門


主屋




十間蔵


そのあとも、温泉町をぶらり散策。たまたま入ったお店でラーメン餃子を頂く。ついでに野口英世ビールも(笑)。そのとき知ったのだが、飯坂は餃子の町だそうだ。そういえば、いくつも餃子のお店をみかけた。


中央通り


川沿いの温泉宿


足湯もあちこちに


今回は下調べなしの訪問だったが、次回はもう少し、詳細に歩いてみたい、奥のほそみち。



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