おはようございます。
竹橋の東近美で柳宗悦の没後60年/民芸の100年展が開催されている。もうひと月ほど前に東御苑のツワブキを見に行ったときに北詰橋門に近い東近美に寄って来たのだ。すっかりブログ記事にするのを忘れてしまっていた。もうおぼろげになってしまったが(笑)、特設サイトを見ながら、思い出し、少しでも記録しておこう。写真撮影禁止だったので、サイトの写真を使わせてもらった。
柳宗悦については関心があり、このブログにも何度も登場している。宗悦が新婚時代、5、6年ほど住居をかまえていた安孫子(手賀沼)の旧宅(嘉納次五郎旧宅跡のとなり)の見学にも行っているし、駒場の日本民芸館にも何度か足を運んだ。10年前には、そごう美術館の、”没後50年、日本民芸館開館75周年記念/柳宗悦展”も見ている。
その、10年前の展覧会に比べて、今回は、展示資料が多く、また、細かいところまで詳しく解説されているのだが、まるで柳宗悦研究会みたいな印象であった(笑)。もう少し、楽しい感じで見たかった。それでも、宗悦が一目ぼれした朝鮮の染付秋草文面取壷とか、木喰上人作の地蔵菩薩像、大津絵など馴染みの作品に再会でき、うれしかった。
今回の趣旨は、サイトによると、各地の民藝のコレクションから選りすぐった陶磁器、染織、木工、蓑、ざるなどの暮らしの道具類や大津絵といった民画のコレクションとともに出版物、写真、映像などの同時代資料を展示し、総点数450点を超える作品と資料を通して、民藝とその内外に広がる社会、歴史や経済を浮かび上がらせる、ということだ。期待していた民芸運動に関わった著名な陶芸家、浜田庄司、河井寛次郎ら、棟方志功、芹沢圭介の作品が少なかったのは仕方がないことか。
では、柳宗悦の蒐集作品のいくつかを載せ、記録しておきたい。国内各地、諸外国の民芸品を幅広く蒐集している。
《羽広(はびろ)鉄瓶》 羽前山形(山形県)1934 年頃 日本民藝館

《スリップウェア鶏文鉢(とりもんはち)》イギリス 18 世紀後半 日本民藝館

《緑黒釉掛分皿(りょくこくゆうかけわけざら)》(デザイン指導:吉田璋也)牛ノ戸(鳥取県)1930 年代 日本民藝館

《木綿切伏(きりぶせ)衣裳》 北海道アイヌ 19世紀 日本民藝館

以上はサイトからの写真だが、ここには入っていないこの二つは入れておこう。宗悦が一目ぼれした朝鮮の染付秋草文面取壷。1914年、浅川氏が手みやげに持参したものだそうだ。白地に淡い染付、そのやわらかな表情に宗悦はぐっときた。まさに、知識より直感でみよ、だ。それがきっかけで、宗悦といえば朝鮮陶磁器、の蒐集が始まった。もうひとつ、木喰仏”地蔵菩薩像”だ。1924年、甲府市郊外の小宮山宅で出会った。これにもびびっときた。美美っ(微笑)ときて、略奪婚(笑)(贈呈されたというが)。それ以来、350体の木喰仏を発見した。
染付秋草文面取壷

木喰仏”地蔵菩薩像”
![アートジェーン] 没後50年・日本民藝館開館75周年 「柳宗悦展 ...](https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG6CX7bFaQ6O-4GUHsIE4EGyoa-w7cJz8p8Jv_xgSjymGj5uvQPRKtGH82zpftWiPaIz1WZA1RQMP7kxVj2be23EH9_qmove7QsZwIc5ySouee053ay_YmLJ3bLpzJvfFE5Xskjspa8WFk5Ax8r-nlRdRJVBy9XKvJaGJs00TU24Ev9hcUAV9VuOV3cy_22KgfU6U76214TZgv7Whf9Nxq1BDZyfz-Xf_vwhloNhFMkdhx5y1jd9a_WJHaeXlUGYYNVCK3F68M9doNCXZy53Kcnkd6pIeQxJSKrX67_sx3S__frHW7s8TeEWPW1CX056crQ==/f8e2572ec1627ab42d56dcfaae16b3a1--art-exhibitions-creative-art.jpg?errorImage=false)
これを書いていて、今年、近くのホールで見た西田幾多郎の墨蹟展を思い出した。その中に何と、柳宗悦の書もあり、こんな説明もあった。西田は京大の前職は学習院教員だった。そのとき、柳宗悦が学生だったのだが、反戦運動をしていて、あわや退学になるところを西田に助けられたとのこと。終生、西田を慕ったという。
「まず見よ、かくて知れ」(知識より直観を重視する)は宗悦の言葉だが、西田幾多郎の哲学から学んだものだろう。
ホームスパンを着る柳宗悦 日本民藝館にて 1948年 写真提供:日本民藝館

さて、次回は没70年後か。その時は、ぼくが没後何年かになっている可能性が高い(笑)。元気なうちに遊ばねば。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!