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気ままに

大船での気ままな生活日誌

小さい秋みつけた

2011-08-31 18:37:42 | Weblog

今日で八月も終わり。夏の終わりはかまくら散歩。散歩コースはいつものお寺。境内で小さい秋をみつけた。

東慶寺

秋明菊が一輪


紫式部も色づいて

さくらたで 蓼食う虫も好きずき、というけれど、こちらの蓼はほんのり桜色でゆかしい

海蔵寺

萩も咲き始め

芙蓉も一気に

もう紅葉が。おまえ早すぎないか

夏の終わりの蓮。下の泥池にはどじょうが住んでいるかどうか、金魚はいないだろう(爆)

浄光明寺には何の花も咲いていなかった。楊貴妃観音さまにお参りし、ふと脇をみると、イヌタデ。”蓼食う虫も好きずき”と言われ続けてきたおまえ。でもよくみると、うつくしいなあ。こんな詩もあるよ
犬(たで)がさ 桜(たで)のまね することねんだよなあ 相田かつお


ついでに、ぼくが野田さんだったら、やなせたかしさんの詩を引用し、ノーサイドにしようよ、と言う。

ぼくらはみんな 生きている生きているから 歌うんだぼくらはみんな 生きている生きている から かなしいんだ 手のひらを太陽に すかしてみればまっかに流れる ぼくの血潮  ミミズ(菅さん)だって オケラ(小沢さん)だってアメンボ(鳩山さん)だってみんな みんな生きているんだ友だちなんだ

小さい秋をみつけた午後でした。

 

 

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ゲント 神秘の子羊

2011-08-31 10:53:36 | Weblog

アントワープから60キロほどのところに、ゲントがある。20の島に20の橋が架かる町といわれる、うつくしい水の都だ。10~12世紀にフランドル伯が居城を置き、中世には毛織物工業が栄えた。カール五世の生誕地でもある。そして、忘れてはならなにのが、聖バーフ大聖堂の祭壇画”神秘の子羊”だ。門外不出で、ここでしかみられないという、ファン・エイク兄弟作の傑作だ。帰ってからすぐに、この絵の解説をしたテレビ番組があり、膝を乗り出してみた。教会内は撮影禁止だったので、このテレビ画面や、画集からの写真を載せながら、紹介したい。

直接、この目でみる、表翼と裏翼を合わせると24枚の巨大な祭壇画はすごかったが、少し、離れてみることになるので細部までは十分、みているわけではない。その点、テレビ映像や画集は、部分部分のアップもあり、細部にわたる丁寧な筆使いがよくわかる。改めて、すごい絵だなと思う。たとえば、キリストが身につけている衣装と宝石類、たとえば、アダムとイブの髪の毛の一本一本、たとえば、生贄の子羊の血が垂れている場面、24枚の絵のすべての風景、登場人物が細密に描かれている。

日本画の音声ガイドで、一枚一枚の絵の場面の説明があったが、基礎知識がないから、あまり頭に残っていない(汗)。”子羊の礼拝”が中央の下段に、聖母マリアやキリスト、アダムとイブ、聖ヨハネなどが上段に、そして、ぐるりと回って、扉の裏側に受胎告知などの絵をみることができる。フランドル美術の最高傑作といわれている。



ゲントの町

世界遺産にも登録されている鐘楼

聖バーフ教会


フランドル伯居城

ギルドハウスがたくさん立ち並ぶグラスレイ


聖ミヒエル橋 

運河の風景


ビールの風景

とても、うつくしい町でした。さて、いよいよ次回で、最終回。ブルージュです。

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アントワープ 聖母大聖堂のルーベンス

2011-08-30 06:06:44 | Weblog

ブリュセルを発って、ぼくらがアントワープに着いたのは午前中だったが、司馬遼太郎は午後4時頃ついて、マルクト広場のカフェでkroket(オランダ語)を食べていた。この旅で一番、うまいものを食べた気がすると書いている(オランダ紀行)。コロッケのことである。ぼくは、ようやく旅行のおわり近く、アムステルダムでお目にかかった。


マルクト広場は、うつくしいギルドの会館で囲まれている。中央に、手を投げている銅像がある。地名(アントワープ)の意味は”手投げ”というから、まさにこの街の象徴的銅像である。ブラボーという勇者が川に住む悪い巨人を退治し、その手を切り遠くへ投げたという伝説に由来している。

アントワープといえば、児童文学の傑作”フランダースの犬”の舞台になったところとしても有名だ。この旅行に出かける前に、ちょうど、BSで、この映画を放送していた。悲しい結末に終わる、画家志望の貧乏な少年ネロと荷車をひく黒い老犬、パトラッシュの物語である。ネロは聖母大聖堂の、大画家ルーベンスの聖壇画を観るのが夢であった。物語の最終局面で、少年は応募した絵画も落選し、すべてのものを失い、真冬の深夜、ふらふらと偶然、開いていた大聖堂に入り、聖壇画”十字架の降架”の前にうずくまった。意識は朦朧とし、冷え切った少年を温めるためパトラッシュが身を寄せる。そのとき、突然、月光が射しこみ、聖壇画がはっきりと、少年の目に映った。”ああ、神様、もうこれで十分でございます”と少年はつぶやく。人々は、翌朝、少年と老犬の凍死を見るのだった。

その聖母大聖堂には、ルーベンスの最高傑作といわれるキリストの十字架に関わる二作とマリア様の昇天の、三部作の聖壇画がある。

十字架の降架 (ルーベンス)

 

十字架の昇架(ルーベンス)

聖母被昇天(ルーベンス)

 

司馬も、もちろん、この絵を内陣から見上げている。そして、こう述べている。これだけの表現力と構成力、さらには文学性を一情景として凝縮させてしまう才能が、人間の中に存在していたということがふしぎなほどだった。近代絵画以前で、かろうじてミケランジェロがいたぐらいではないか。

アントワープを後にして、ぼくらはゲントに向った。 

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ベルギー王立美術館

2011-08-29 10:15:04 | Weblog

ブリュセルにあるベルギー王立美術館を見学した。とくに、この絵をみたいというものはなかったが、ここをはずすわけにはいかない。15~18世紀までの作品を集めた古典美術館を中心に一時間半ほど巡った。西洋画に詳しい人ならば、一日、すごせるだろう。フラッシュなしカメラがOKなのがうれしい。美術館の雰囲気といくつかの印象に残った作品を記録しておこうと思う。

ルーカス・クラナック/ビーナスと愛(1531) 右の絵の作者は確認できない  

ブリューゲル/反逆天使の失墜(1562)



ブリューゲル/ベツレヘムの戸籍調査(1566)



ルーベンス/黒人の顔



ヒエロニム二世

そして、ブリュセルを離れ、ルーベンスの大作のあるアントワープに向った。

 

 

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ブリュセルぶらぶら歩き

2011-08-29 09:22:19 | Weblog

ブリュセルに二泊した。まず、到着した日の昼食から紹介します。お魚料理とベルギービール。適当に頼んだビールにびっくり。グラスが理科室から出てきたような風体(笑)。ビールの銘柄に合わせて、グラスがあるらしい。その後、どのビールにも、こんなグラスとグラス受けは出てこなかったから、相当な変わり者のようだ。通常は、ワイフが飲んだ、こんなかたちのグラスです。

ブリュッセルの中心、グランプラス。世界遺産に登録されている。ホテルからも近く、朝夕、足を運んだ。市庁舎、ギルドハウス、王の家、ブラバン公の館といった歴史的建物に囲まれた広場です。

夕闇が近づくグランプラス。これで午後9時半。もう少し待てば、ライトアップされたグランプラスがみられたのですが、ワイフが疲れたというので、ホテルに帰ってしまった。残念。

その周辺は、老舗のカフェやレストラン、お土産物屋が立ち並ぶョッピングエリア。チョコレートやレースやビールが。この近くの、小便小僧も再登場させました(笑)。



ムール貝の食事。ポテトチップもベルギーが発祥の地とか、ワッフルもおいしかった。

そして王立美術館に。

 

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コクリコ坂からドングリ共和国

2011-08-28 21:22:47 | Weblog

今日は横浜山手の、神奈川県立近代文学館に安野光雅展を観に行った。いつものように石川町で降りて、イタリア山に昇り、”外交官の家”で一休みし、”洋館通り”を港の見える丘公園を目指した。この辺が舞台のスタジオジブリの”コクリコ坂から”のことを想いながら歩いた。この洋館が、この坂道がアニメの参考になったのではないかと、思いながら歩いた。

そして海も

 

そして、ヘクソカズラも。・・・関係ないか。 それにしても、横浜山手のヘクソカズラはお上品だ。

 

港のみえる丘公園で海をみているとき、ふとジブリの”どんぐり共和国”のことを思い出した。午前中、どんぐりたちのテレビ出演をみていて、誰がなっても同じだと思った。いっそのこと、5人で日本全国を五等分にして、それぞれが、どんぐり共和国をつくって、それぞれの首相になり、一年後にその実績を評価して、日本国の首相を決めたらどうだろうかと思った

安野光雅展はよかったですよ。ちょうど、この日、関係者の講演会(対談)もあって、いろいろ楽しめました。それについては、のちほど詳しく報告します。

 

外交官の家とコクリコ坂から

メタセコイア並木

元町の、葛の家(笑) 葛の候補者

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美食の街 デュルビュイ

2011-08-28 09:19:17 | Weblog

世界で一番小さな古代の町。人口わずか五百人。でも世界中の美食家があつまる(おおげさかな)高級レストランがいっぱい。ぼくらが訪ねた時も、えっ、人口500人?うそみたいな人出だった。みんな食べにきたのだろうか。食べたあとは、絵本の中のような街を散策。オランダ人が多いらしい。いつもまずいもの食べてるから。

ぼくらも、”いのしし亭”でいのしし料理。皇太子ご夫妻や世界の有名人のご来店写真が展示してあったから、きっと有名なレストランなのだろう。いのししのステーキと、もちろんベルギービールで乾杯。ベルギー初ビール。ここから5食事連続ビール

いのしし亭 Le Sanglier des Ardennes の入っている建物



店内



いのしし料理

地ビール ラベルがぼけてしまいました。

 

 いい気持ちで、中世の町を探索。






デュルビュイ城とウルト川


そして小便小僧が待つブリュッセルへ。

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ルクセンブルクへ

2011-08-28 09:19:07 | Weblog

ベネルクス旅行記も、アムステルダムまで来たので、もう終わりかと、ほっとした方も多いと思いますが、そうはとんやがおろしません(笑)。この旅行記はフェルメールの故郷デルフトから始まって、アムステルダムに上っているので、まだデルフト以前の旅路には何もふれていないのです。日暮れて道遠しです。急ぎますので、もう少し、がまんしてくださいね。

フランクフルト空港を出たぼくらのバスは一路、280キロ先のルクセンブルクに向っていた。バスの窓の外のドイツの農村風景。牧草地帯や畑や森、そして風力発電用の風車、のどかな風景がつづいている。2時間半もするとルクセンブルグだ。立憲君主国だが、元首は国王ではなく大公だ。国の大きさはぼくの住む神奈川県ほどの小さな国。人口は約50万人、しかし、金融大国で、一人当たり、国民総生産は、世界一位の国だそうだ。ワインのお好きな人ならモーゼルワイン、陶器に詳しい方なら、小さな藍色の花のデザインのビレロ&ポッホ、自転車好きはツール・ド・ルクセンブルクを知っているかもしれない。

そして、旧市街は世界遺産。えっ、こんなうつくしい国だったの、はじめて訪れる人ばかりだったツアーグループは一様に驚きの声。中世の雰囲気のある、素晴らしい国でした。国は大きければいい、というのは間違いです(笑)。以下に写真を。

中世の街並み

むかしブロードウエイだった道

官庁街も

ボックの砲台 王宮の東側にある断崖絶壁につくられた要塞 ここからの眺めが素晴らしい

低地地区を望む

 

反対側には近代的ビルが

大公宮殿

大聖堂

そして、ぼくらはベルギーのデュルビュイに向った。

 

 

 

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アムステルダム ゴッホ美術館

2011-08-27 11:49:30 | Weblog

アムステルダムの国立美術館のすぐ近くにゴッホ美術館がある。ここも訪れたかった美術館だった。小林秀雄が感動した”鳥の群れ飛ぶ麦畑”を所蔵しているのがこの美術館なのだ。所蔵していても常設展示していないこともよくあるので、それが心配だった。その絵はゴッホの亡くなる、少し前に描かれたもので、最後の方に展示されていた。喜び勇んで、その前にたった。画集ではよくみるが、実物ははじめてである。いつかも載せたことがあるが、まず、小林秀雄の文章を紹介しよう。

その時は、ただ一種異様な画面が突如として現れ、僕はとうとうその前にしゃがみこんでしまった。熟れきった麦は、金か硫黄の線條の様に地面いっぱいに突き刺さり、それが傷口の様に稲妻形に裂けて、青磁色の草の緑に縁どられた小路の泥が、イングリッシュ・レッドというのか知らん、牛肉色に剥き出ている。空は紺青だが、嵐をはらんで、落ちたら最後助からぬ強風に高鳴る海原のようだ。全管弦楽が鳴るかと思えば、突然休止符が来て、鳥の群が音もなく舞っており、旧約聖書の登場人物めいた影が、今、麦の穂の向こうに消えた・・僕が一枚の絵を鑑賞していたということは、あまり確かではない。寧ろ、僕は、在る一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいた様に思われる。(小林秀雄/ゴッホの手紙)

展示構成は、オランダ時代(1880-1885)、パリ時代(1886ー1888)、アルル時代(1888-1889)サン・レミ時代(1889ー1890)、 オーベール・シュル・オワーズ時代(1890)と時代順になっている。わずか10年の画業であったが、油彩画800点、素描1000点以上の作品群を残した。それぞれの時代ごとの画風の変化もよくわかり、面白くみさせてもらった。ジャポニズムの影響のコーナーもあった。実際、広重の浮世絵を下敷きにした油彩画も二点、飾られていた。

小林秀雄の”ゴッホ論”は有名だが、司馬遼太郎にもゴッホ論がある。”オランダ紀行”の中で、文庫本の約80ページにもわたり、ゴッホの人生を旅しているのだ。一部、文章を抜粋してみよう。

ゴッホの絵は楽しさとはべつのようなものである。とはいっても思わせぶりな陰鬱さはない。明暗とか躁鬱とかいった衣装で測れるものではなく、はね橋を描いても、自画像を描いても、ひまわりを描いても、ついにじみ出てしまう人間の根源的な感情がある。それは”悲しみ”というほか、言い表しようがない。・・・どうもかれの悲しみは、人として生まれきたことについての基本的なものである。むろん、厭世主義や悲観論的なものではなく、いっそ聖書的といった方がよく、このためかれの悲しみは、ほのかに荘厳さをもち、かがやかしくさえある。ゴッホの芸術の基本は、そういうあたりにあるらしい

”司馬遼太郎の目”で改めてゴッホをみると、苦手な絵もなるほどと納得できる絵となる。暗いランプの下で、ジャガイモだけで夕食をとっている農民家族の絵”じゃがいもを食べる人”、”画家としての自画像”、”ひまわり”、”黄色い家”、”アルルの寝室”そして、前述の”鳥の群れ飛ぶ麦畑”等など。どれも拝みたくなるような絵になっていた。

じゃがいもを食べる人々(オランダ時代)

画家としての自画像(パリ時代)

ひまわり(アルル時代)

黄色い家(アルル時代)

アルルの寝室(アルル時代)

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アムステルダム国立美術館

2011-08-27 09:51:59 | Weblog

ようやくオランダの最終目的地、アムステルダムについた。ここでの一番の楽しみは国立美術館だ。何と言っても、フェルメールの作品が4点もある。そしてレンブラントの夜警と自画像。これらを本場でみられれば、こんな贅沢はない。極上の地酒を、その土地まで行って、飲むようなものだ。

ところが、ちょっと心配があった。この美術館は2004年から修復中で、はじめは2008年に完成の予定だったが、まだ工事中で、あと2年かかるという。オランダらしいといえる(笑)でも、完全閉鎖ではなく、400点のマスターピース(傑作)展は隣接する建物内で開催している。その中にお目当ての作品が入っているかどうか、それが気がかりだった。

入場して、ほっとした。ここまで来たかいがあった。フェルメールは、今、京都に出張中の”青衣の女”を除いて、すべて勢揃いだった。国立新美術館開催で多くの観客を呼んだ、”牛乳をそそぐ女”も我が家に戻って、安心して牛乳をそそいでいた。相変わらずの貫禄であった。そして、”小路”。これは上野で7点のフェルメール作品展があったときにも来ていたもの。フェルメール風景画2点のひとつ。17世紀のデルフトの街角が何かを語りかけている。そして、”恋文”。ドアとカーテンの隙間に描かれた召使いに話しかける女性。ドアを全部開けてと言いたい(笑)。そして”青衣の女”は小さな写真だけが。貸し出し中ですと。京都でも人気者になっていることだろう。東京にも巡回するようなので、楽しみだ。大満足のフェルメールコーナーだった。マウリッツハイ(ウ)スのを含めると、6点も観てしまった。生涯作品が30数点だから、6点の意味は大きい。えへん。

そして、別の部屋には、どどどどどーん。迫力満点、ど迫力。レンブラントの”夜警”。3メートルX4メートルはある大作だ。当時の市民軍(自警団)はもはや戦いはなく富裕な市民の社交クラブになっていた。彼ら18人がレンブラントに集団肖像画の制作を依頼し、各人、平均百ギルダー支払った。そのときの絵である。しかし、依頼人にとっては、満足できる肖像画ではなかった。レンブラントはたった今、現場に向おうとする集団を光と影でとらえた。そのため、ほとんどの者は影にみえかくれし、満足に光があたっているのは隊長と副隊長(少女にも当たっているが)だけだった。怒った依頼人たちは金を支払わなかったらしい。それ以来、レンブラントは貧乏したといううわさがある(笑)。以上は司馬の”オランダ紀行”からの抜粋である。依頼人を怒らせたおかげで、レンブラントの代表作が出来あがったのだ。門外不出という美術館の至宝である。幸せいっぱい胸いっぱい、島倉千代子だった。そして、レンブラント晩年の自画像も。生涯、50枚とも60枚ともいわれる自画像を描いたうちのひとつだが、よく知られているものだ。

この二人以外にも、ヤン・ステーン、フランス・ハルス、ピーテル・ホーホなどの作品もとても良かった。これからはオランダやベルギーの画家たちの作品にも関心を向けようと思う。
。。。。。

牛乳をそそぐ女 フェルメール



恋文 フェルメール

小路 フェルメール



青衣の女 フェルメール(京都へ出張中)

夜警 レンブラント

 

自画像 レンブラント

レンブラント像 アムステルダム 

 

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