茅ヶ崎図書館で、井上ひさしの”宮澤賢治に聞く”を開いた。
”はじめに”で、賢治は人間の手本であるの小見出しが。えっ?。
これからの人間はこうあるべきだという手本。そのひとつが宮澤賢治だという気がしてなりません。・・賢治は科学者でした。けれども科学者が独走するとろくなことはありません。科学がはしゃぎたてるのをだれかがいましめなければなりません。賢治の中でその役目をはたしたのは宗教者としての部分でした。・・科学と宗教はそれぞれ反対の方角を目指しています。どちらへいきすぎてもよくない結果が生まれます。賢治の中ではふたつがたがいにお目付け役をつとめていたように思います。そしてこのふたつの中に文学があります。
三者の関係をわたしは忘れないようにしたいと願っています。それから賢治は人間は多面体として生きる方がよろしいと説いているようにみえます。野に立つ農夫も四六時中、農夫であてはつまらない。それでは人間として半端である。朝は宗教者、昼は科学者、夜は芸能者、そういう農夫がいてよいのではないか、賢治はそう考えて、羅須地人協会(私塾)をはじめたのではないか。・・・科学も宗教も労働も芸能もみんな大切なもの。でもそれらを手分けしてもつのでは何もならない。ひとりがこの四者を自分という小宇宙の中で競い合わせるのが重要だ。あらゆる意味で、できるだけ自給自足せよ。それがなってはじめて共生できるのだよ。そうしないと、科学が、宗教が、労働が、あるいは芸能が独走して、ひどいことになってしまうよ。賢治がそう言っているような気がしてなりません。
久しぶりに、どきっとした文章に出会ったので、ほぼ全文載せてしまいました。
。。。。。
図書館の隣りの高砂緑地の池の周りにいる動植物たちは、みな多面体として生きていた、自給自足していた(笑)。
今日から、数日間、新潟で遊んできます。