気ままに

大船での気ままな生活日誌

原宿スーパーよさこい 2015(2)

2015-08-31 21:39:16 | Weblog

NHK前ストリートの、午前中の流しの演舞はつづく。

倭乃国 奈良県からの参加。 

旭食品 さあ、お待ちかね、よさこい高知の名門チーム。さすがの演舞。

TANASHIソーラン会 都下、田無から。

まだまだ演舞はつづくが、お腹がぐー。さて、ここらで、そろそろ、お昼をと、近くのうどん会場へ。全国から15店が参加している、うどん天下一決定戦の戦場だ。すごい人出。お客さんの投票で日本一が決まるから、店の呼び込み殺気立っている。どのお店も大行列。

カレーうどんにも長い列。

”完全優勝”、”二連覇”の文字が踊る、群馬の花山うどん。

岩手県一関市からは、”じゃじゃうどん”。

さぬきうどんも。うどん県としては負けられない。秋田からは稲庭うどんも。うどんの名門も、ここではいずれも入賞ならず。

さて、結果はどうだったか。発表しまぁす。なんと、花山うどん連覇!これは一昨年、食べている。今年、ぼくが食べた五島手延べうどんは第6位と健闘!

第1位 群馬県 鬼ひも川 五代目花山うどん
第2位 岡山県倉敷市 倉敷うどん ぶっかけ ふるいち
第3位 東京都 備中手延べうどん 味の民芸
第4位 群馬県板倉町 冷汁うどん 大正五年創業 上州板倉 原田製麺
第5位 東京都 肉つけうどん うつけ
第6位 長崎県 五島手延べうどん 五島手延べうどん振興協議会
第7位 東京都 カレーうどん 千吉

うどん会場と隣り合せている代々木公園ステージでは、華やかな演舞が繰り広げられていた。

(つづく)

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原宿スーパーよさこい 2015(1)

2015-08-31 09:27:57 | Weblog

おはようございます。あれ、今日はもう8月の千秋楽。うれしいような、さびしいような。夏の終わりのフェスティバルといえば、浅草のサンバカーニバルと原宿のスーパーよさこい。昨日の日曜日、原宿に行って、半日、たっぷり楽しんできました。一日遅れですが、みなさんをご案内しましょう。

原宿駅に到着したのが、10時20分くらい。すごい人混み。そして、その人の波はそのまま、明治神宮前の”原宿口ステージ”前へ。演舞開始は10時だから、もうすでに始まっていた。♪土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい♪の一節だけいれれば、あとはどんな音楽でもOKのルール。大音響の音楽に乗せて激しく踊るチーム。

次の会場に向かう踊り子たち。

ぼくも、あとをついて、代々木公園会場へ。ここでは、ステージの演舞とストリートの流しの演舞をみることができる。それに、恒例の”うどん天下一決定戦”が行われている。

お昼のうどんは、まだ早いので、NHK前ストリートの流しをみることにしましょう。まず、現れたのは。

関東学院大学”誇咲”


面の早変わりがお見事!

そして、よさこい本場、高知から帯屋町筋ジュニア隊。広末涼子さんも子供の頃から出ていたはず。

さぬき舞人 香川県さぬき市から。地元の盆踊り唄も取り入れたのこと。

雨が降り始める。見学地を移動。目の前に国立代々木競技場がみえる。早稲田大学よさこいチーム東京花火がやってくる。

地元、原宿から、ASOBISISUTEM X ダイヤモンドダイニング

法政大学YOSAKOIそうらんサークル鳳遥恋

見事な旗振りさばき

長くなりましたので、ここで一度、休憩にしましょうか。(つづく)



 

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クレオパトラとエジプトの王妃展

2015-08-30 08:38:35 | Weblog

トーハクで開催中の”クレオパトラとエジプトの王妃展”を見てきた。世界中から約180件ものエジプトの名品が上野に集結しているが、やはり一番の関心は、女王や王妃の容姿(汗)。ところが、当時の姿を写した彫刻やレリーフは、もともとあまり残っていなくて、ここにも、それぞれ、一、二品程度。逆にいえば、それだけ貴重なもので、ブログ記事として残しておきたいと書き始めている。

今回は美女の代名詞ともなっている女王クレオパトラをはじめとし、昨年の夏、上野(都美)の古代エジプト展/王妃展にも来られた美しい王妃ハトシェプスト、さらにティイ、加えて、ぼくが今回一番、注目していた王妃ネフェルトイティと、オールスター揃い踏みだ。以下、年代順にみていこう。

王妃ハトシェプスト
新王国・第18王朝時代 
トトメス2世~ハトシェプスト女王治世(前1492~前1458年頃)

↑左側の像(ボストン美術館蔵)が、若い時の姿で、トトメス2世の王妃の時代と考えられている。右側の像は、敏腕を振るった女王時代。王を象徴する頭巾と髭をつけた男装の像(ベルリン・エジプト博物館蔵)になっている。夫であるトトメス2世の亡くなったあと、22年間にわたり女王を務めた。公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられる。

参考までに 昨年のぼくの展覧会美女3位に入ったハトシェプスト女王の頭部(メトロポリタン美術館古代エジプト展)。こちらの方がよくみえるかな。



王妃ティイ
新王国・第18王朝時代 
アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)

↑王妃ティイは、アメンヘテプ3世の正妃で、アメンヘテプ4世(後述のネフェルトイティが嫁ぐの母。この肖像は、王妃の家令を務めたウセルハトの墓の前室奥壁に施されていたもの。額には、エジプト王冠を被った2匹のウラエウス(聖蛇)が、頭上には日輪をもつコブラが取り巻いた台座に、二枚羽根飾りをもつ王冠が。(ベルギー・ブリュッセル、王立美術歴史博物館蔵)

ネフェルトイティ(ネフェルティティ)
新王国・第18王朝時代 アクエンアテン王治世 (前1351~前1334年頃)


ネフェルトイティはアメンヘテプ4世の妃になるや、エジプトのたくさんの神をすべて否定し、沈む太陽神、アテン神のみを信仰するように改めさせ、王の名前まで、アクエンアテン(=アテン神に捧げる)と変えさせた。美しくも、強い女。この時代の芸術も、ありのままを写す表現法が多くなっていく。この王妃の頭部も写実的である。(ベルリン・エジプト博物館蔵)

ぼくは2013年にベルリンを旅行し、博物館島にある新博物館(ノイエス・ムゼウム)でネフェルティティの胸像をみているこちらを併せ見ると、ネフェルトイティの美貌がよりはっきりするかも。

参考までにベルリン新博物館(ノイエス・ムゼウム)のネフェルティティの胸像

 

クレオパトラ
プトレマイオス朝時代(前1世紀中頃) 女王

↑クレオパトラ女王の暮らした王宮などは、海面上昇等によって海底に沈んだため、遺品は少ない。わずかに残る彫刻のひとつ。巻き髪の表現やその制作技術はプトレマイオス朝時代の特徴をよく示すものと考えられている。トリノ古代博物館蔵。

絶世の美女、クレオパトラは後世、いろいろな画家や彫刻家により描かれた。

クレオパトラの死/アッキーレ・グリセンティ筆 ブレシア市立美術館蔵(イタリア)↓

クレオパトラ/ダニエル・デュコマン・ドゥ・ロクレ作 マルセイユ美術館蔵↓

ちなみに、古代エジプトの三大美女というと、前述のクレオパトラネフェルティティ、あと一人は、ネフェルトイリ(ネフェルタリ)(ラムセス2世の正妃、BC13世紀)だそうだ。この展覧会でも、ラメセス2世の王妃ネフェルトイリと王子(王立美術歴史博物館)の像が飾られている。

美女ばかりでなく、いろいろみているが、今回はこれに絞らせていただいた。とても楽しい展覧会だった。

平成館のガラスに写った向かいの表慶館。ふと、ガラスの向こうの世界に足を踏み入れそうになった。

さて、今日は、雨にも負けず、夏の涼しさにも負けず、スーパーよさこいだ!

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イル・デーヴ 夏場所興行

2015-08-29 22:16:57 | Weblog

近くの鎌倉芸術館に、イル・デーヴのサマーコンサートを聞きに行った。すばらしい歌声にうっとりした。

タイトルに”夏場所興行”なんて、茶化したのは、メンバー5人、合わせて500キロの巨体ぞろいで、お相撲さんのようだったから(爆)。実際、グループ名も、英国の人気ボーカルグループ IL DIVO(イル・ディーヴォ)をもじって、イル・デブにしたという。あちらはイケメン揃いだが、こちらはフトメン揃いです、と挨拶でも笑わせていた。

おちゃらけたグループ名でも、実力はすごい。ボーカルの4人はいずれも二期会会員のオペラ歌手で、主役級で活躍されている。コンサートは、まず、ピアニストによる”故郷による幻想曲”の演奏からはじまる。そして、作詞・北原白秋、作曲・山田耕作の名曲、”からたちの花”、”かやの木山の”等4曲が、それぞれの歌手によりソロで、ろうろうと歌われる。1500人の大ホールの隅々まで響き渡る歌声に、はじめての人が多い観衆(司会者がはじめ挙手させた)を驚かす。

そして、ドニゼッテイの歌劇”愛の妙薬”より。序曲のピアノ演奏のあと、”なんてかわいい人だ”、”昔パリスがしたように”など6曲。あらかじめ、オペラのどんな場面か、教えてくれるので、イタリア語の歌唱でも楽しめる。それに、意味なぞ分からなくても、”人体楽器”の演奏を聞くだけで十分。

休憩をはさんで、いよいよ、イル・デーヴ、4人そろってのアンサンブル。”シルビアに(シューベルト)”、”アマリッリ、私の美しい人”、”朧月夜”、”ダニーボーイ”など。やなせたかし作詞、木下牧子作曲の”ロマンチストの豚”と”さびしいカシの木”もとてもよかった。そして、終リは”涙そうそう”と東北大震災の年、震災地でのデビュー曲という、”ピエ・イエズ”。拍手が鳴りやまず、アンコールは”いのちの歌”。これがまた、心に沁みるいい歌だった。

今日は、楽しみにしていた浅草サンバカーニバルの日だったのだが、うっかりして、この日と知らず、前売り券を買ってしまった音楽会だったが、カーニバルに負けない感動をいただいた。

イル・デーヴのメンバー。稀勢関も引退後はメンバー入りしてほしい(爆)

そうそう、午前中は田中将大、味方の大量点もあり、ゆうゆうと10勝目!二年連続、10勝以上と、まずは一安心。

音楽会の帰り、”俺の酔芙蓉”に会ってきた。午後5時近くになるのに、まだ、ほろ酔いの色だった。

とても、いい一日だった。

 

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岸辺のアルバム いたち川

2015-08-29 08:09:33 | Weblog

いたち川沿いの散歩は、ほんとに面白い。いつも驚きと楽しさに満ちている。

今年の6月27日に、いたち川ではじめて、ゴイサギ(五位鷺)を、それもアオサギと(距離をとって)並んでいるのを観察した。そして、8月9日にも、同じ場所で、同じ配置で並ぶ二種の鷺をみつけ驚いた。そのとき、それはただの偶然で、もう、こんな風景はみられないと思っていた。それが、二度あることは三度あるで、また、同じ景色をみたのである。三度つづけてである。これはもう、ただの偶然ではなく、五位鷺とアオサギにとっては、夕方4時頃に、そこに並ぶことは日常的なことなのだ。岸辺に住んでいれば、毎日、観察できるのだが。

2015年8月28日いたち川(海里橋近く)

ゴイサギ

アオサギ

何故?同じ場所に毎日(たぶん)。それも、今日、(往き帰り合せて)40分ほど観察したのだが(汗)、わずかな動きがあるだけで、ほとんどじっと川面を見つめているだけで、お互いに見つめ合っているということはない。どうも恋仲ではなさそうだ(笑)。

でも、一瞬、ゴイサギが岸辺の方へ動き、すばやく餌をとる姿を目撃した。やっぱり、ここは餌場なのだ。段差のあるところで小魚が捕まえやすいのかもしれない。それにしても、いつも同じ場所に立つというのが合点がいかない。まるで、縄張りでもあるようだ。”気になる二人”である。

小魚を狙う五位鷺

さて、この流れ坂の、”気になる二人”の向こうに、第1回目にはアオダイショウが這い上がっていたが、今回はカルガモが上っていた。下の写真をご覧ください。左の←がカルガモです。中がアオサギ、右が五位鷺。

♪この坂を越えたならば、幸せが待っている、そんな言葉を信じて 越えた七坂 四十路坂♪ おししい草が待ってましたよ。

いたち川 ♪川の流れのようにゆるやかにいくつも 時代は過ぎて♪

上流にはコサギもみつけた。


五位鷺風の猫もいた(頭が黒いということで)。

アオサギ風の猫もいた


川辺のウーメンのうしろの芭蕉の実が大きくなってきた。

川辺のお宅の夕顔が見事に咲いていた。


いたち川、岸辺のアルバムでした。

今日、29日は、毎年欠かさず行っている、浅草サンバカーニバル。ほんとに、うっかりして、ある音楽会の前売り券を買ってしまった。それが、今日だった。でも、浅草は雨も心配。その代り、明日の、原宿のスーパーよさこいと高円寺の阿波踊りは雨が降っても絶対行く!!

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観山の鵜図屏風 東博にて

2015-08-28 09:00:06 | Weblog

おはようございます。今にも降り出しそうなお天気ですね。今朝は、数日前、トーハクの常設展で見た、下村観山の鵜図屏風のことをちょっと紹介したいと思います。

まず、屏風全体をご覧ください。

鵜図屏風
 

これは、画友、菱田春草の夭折(37才)を悲しんで観山が描いたもので、お別れの会にも会場で飾られたという。左隻の海の彼方に立ち去ってゆく鵜を春草に見立て、右隻の岸壁で鳴きながら見送る鵜が観山だ。左隻に大きな空間をとる構図は観山の名作”弱法師(よろぼし)”と同様。ぼくも親友を30代で見送った経験があるからよくわかる。心に沁みる絵だ。

立ち去る春草鵜

泣き叫んで、見送る観山鵜 

。。。。。

さて、一転こちらは、同じ鳥類の絵でも、心を荒立てる絵(笑)。曽我二直庵の”花鳥図屏風”。画題は平和だが、内情は鷹が鷺を襲うという残酷な場面。悲鳴をあげる鷺が痛々しい。恐怖で逃げ惑う鷺の姿も別の画面で描かれている。江戸初期の画家で、曽我直庵の後継者。鷹を描かせたら右に出るものはいないそうだ。たしかに。

師匠筋の曽我直庵の龍虎図屏風、鶏図屏風(重文)も展示されている。

龍虎図屏風

さて、こちらは悲しい別れもなく、激しい闘争もなく、ただただ平和な風景。今村紫紅の”熱国の巻”。絵は平和でも、紫紅の心は闘争的であった。”日本画がこんなに固まってしまってはダメだ、僕が壊すから君たちが建設してくれ”と常々仲間に語っていたその実践がこの作品であるという。インドや東南アジアに取材。

ほんとの心の平安はわたしらにまかせておきなされ。

愛染明王坐像(重文)

河鍋暁斎 龍頭観音像

相手に応じ三十三の姿に変身して、あまねく衆生を救う観音さま。暁斎は好んで描いたそうだ。

次回記事は一転、クレオパトラ

 

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にゃんとも、とんとんびょうしの一日だった

2015-08-27 18:49:12 | Weblog

お昼に辻堂でとんかつを食べてから、にゃんとも、とんとんびょうしの一日だった

何故、辻堂でとんかつを食べたか。それは先週の”アド街”で、人気のとんかつ屋さんのことを知ったから。家内もとんかつが大好きで、一度、是非にと思っていたのだ。

11時15分くらいにそのお店に着いたら、もうほとんど満席。たったひとつテーブルが空いていて、滑り込みセーフ。とんかつを食べる前からとんとんびょうしの一日のきざしがあったのだ。

家内はヒレカツ定食、ぼくはヒレカツとエビフライのセットを頼む。少し待って、キャベツ山盛りのとんかつがやってきた。あとはソースをかけてムシャムシャムシャ。おいしい、おいしい。そのときは聞かなかったが、お店を出てから、(独身時代、目黒に住んでいて)目黒のとんきを知っている家内に評価を問う。値段を考慮すると、とんきと、とんとんという判定が出た。お店の名前は大関だが、実力も大関だった。


こんどは小林秀雄も鎌倉から海沿いを自転車で通ったという、うなへいに行かねば。

おいしいとんかつを食べたあとは、とんとんびょうし。まず、鎌倉駅に戻り、紅葉の鎌倉をテーマにしたクラス会の会場を予約。日時もOK、飲み放題付きの値段もぴったしかんかん。

気分よく、おんめさま(大巧寺)の境内を見学。二日前報告した紫式部がさらに紫を濃くして、おまけに白式部まで白さを増して、加えて、花蔓草まで見付けて、何から何まで、とんとんびょうしのおんめさま。

紫式部

シロシキブ

花蔓草

さらに、本覚寺に足を延ばしたら、先日紹介した銘木の百日紅は少し、容色が衰えてきたが、鐘楼前の百日紅は、まだ十九の春のうつくしさ。

妙本寺ではにゃんともびっくり!

いつもいる、本堂はがらんとしていたのに・・

な、なんと向かいのお堂ににゃんこが!

下に降りて、塀の隙間からのぞいてみると・・ 一匹かと思ったのに、そうではなく、二匹仲良く、お昼寝だった。こんな姿はめったにみられない!


にゃんとも、とんとんびょうしの一日だった。
。。。。。

これで、とんとんびょうしの一日が終わったわけはない。

江ノ電で極楽寺へ。百日紅の銘木は、どうか。見事に咲いていた!ここは、たしか撮影禁止と聞いていたが、お掃除をしていたお寺の方に尋ねたら、三脚なしならいいですよ、とのこと。とんとんびょうしの一日は極楽寺までつづいた。極楽、極楽

極楽寺の百日紅



すばらしい一日でした。

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前田青邨と日本美術院/大観・古径・御舟

2015-08-27 09:18:52 | Weblog

山種美術館で開催されていた前田青邨と日本美術院展の最終日(8月23日)に駆け付けた。ホテルオークラのもそうだったけれど、最近、最終日というのが多い(汗)。

青邨の作品が13点も展示されるというし、御舟の名作”炎舞”も、二年振り公開ということで、はずすわけにはいかなかった。青邨といえば歴史画。はじめに迎えてくれた”異装行列の信長”は、いずれ義父となる美濃の斉藤道三との初対面に向かうときの行列を描いたもの。異様な出で立ちだったが、正式の対面時には正装して現れ、道三をうならせたという名場面の一シーン。

”蓮台寺の松陰”は黒船に乗り込もうと下田の蓮台寺で待機する松蔭。大事を前にした松蔭の顔の表情。松蔭の叔父が鎌倉の瑞泉寺の住職で、その前に訪ねている。青邨の筆塚と墓地は東慶寺にある。

蓮台寺の松陰

腑分け”も見学する人々の表情がそれぞれで面白い。

 ”大物浦”は、平家討伐の最大の功労者、義経は頼朝に疎まれ、一転、追討される身となる。西国へ逃れるために郎党を従えて船出するが、大物浦(だいもつのうら)で嵐に会う。”義経記”の名場面。”三浦大介”は三浦半島、衣笠に城をもち、頼朝政権の樹立に多大な貢献をする。享年89才、晩年の姿。

一方、花鳥図も愛らしく、かつ、うつくしい。


鶺鴒

第1章は日本美術院の開拓者たち
雅邦、大観、観山、春草ら。青邨のお師匠さん、梶田半古も4点。

観山 老松白藤

第二章が青邨と日本美術院の第二世代/古径・靫彦と共に
第三章が紅児会の仲間と院展の後進たち

と、つづく。第二展示室に御舟の”炎舞”が燦然と輝いていた。

次回も楽しみだ。これも、はずすわけにはいかない。

 

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タニシ殿 舞岡の小川で

2015-08-26 22:23:19 | Weblog

涼しい一日でしたね。こんな日は久しぶりのロング散歩。戸塚から横浜市営地下鉄で一駅、舞岡駅下車で、舞岡公園までの小川沿いの道のり。10分ほど歩いて、ふと、気付いた。もしかして、もしかして。

タニシ殿では?少年時代、故郷の小川でよくみた、あのタニシ殿では?もしかして、もしかして、京都花背の美山荘でいただいた山椒煮のタニシ殿では?

はじめ黒い小石としか思っていなかった。

引きあげてみると、間違いなくタニシ殿!

一度、見付けたら、どんどんみつかる。そのあと、30分ほど、タニシたにし田螺だらけ。全部で何千匹、何万匹になるだろうか。


のどかな風景の中を久しぶりに、二万歩突破!たにし殿のおかげ。

歩きすぎ!めっ!

たにしな(たのしい)一日だった。

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花背で摘草料理 (京都お盆の旅#10)

2015-08-26 18:26:06 | Weblog

京都お盆の旅シリーズ、最終回は市内からバスで二時間以上もかかる山奥なのに、何故か京都市左京区(笑)、花背の美山荘での摘草料理のこと。花背の地名の由来は、花の都の背中側に位置するからという説があるそうだ。

最近、トンネルができたおかげで、随分、楽になりましたとバスガイドさん。たしか十数年前、訪ねたときは、対向車がきたら、もうおわり、というような細い山道をがたがた揺れながら辿りつき、家内などは、お料理はおいしかったけど、もう行かないと言っていた(笑)。それが、今回はすいすい。でも、コースが違う。前回は鞍馬から花背峠を越えて行ったが、今回は、右京区の高山寺から京北町を経由する、京都北の大回りで花背に入った。

あけびのお茶をいただきながら、美人の若女将のご挨拶があり、まずは一献のお料理がはじまる。冷酒がついているのがうれしい。以下、お献立の順に、ご紹介いたしまする。つい姿勢を正したくなるようなお献立でござりまする。

一献 枝豆房揚、あまざ松の実和え、川海老、おくら、新蓮根、地卵味噌漬け、タニシ山椒煮など

 万願寺よせ白味噌仕立て(写真なし)

向付 鯉あらいなど(写真なし)

進肴 無花果凍りごまよごし(写真なし)

お凌ぎ 鮎すし

煮物椀 水晶鰻と大根餅、針胡瓜など


焼き物 鮎塩焼き

炊合 山科茄子、太胡瓜、鴨ロース(写真なし)

ご飯 鮎ごはん 香の物

水物 美山乳アイス 桃すり流し

菓子 焼よもぎ餅(写真なし)

お献立

めったに頂けないお料理に舌鼓。ごちそうさまでござりまする。思い出に残るお食事でございました。

美山荘

お食事どころ

美山荘の脇を寺谷川が流れる。桂川、保津川となり、嵐山の渡月橋をくぐる

美山荘に隣接して、峰定寺(ぶじょうじ)の山門。美山荘はここに参る山伏たちの宿坊として始まった。

司馬遼太郎もここを訪れている。街道をゆく(4)に、美山荘で一泊し、ご馳走をいただいた感想をこう述べている。あけび茶をいただき、ワラビの海苔巻、むかご、またたびの煮物、蕗の天ぷら、アマゴの天ぷら等、そして、最後に栗ご飯。といえば、東北や信州の山菜料理のようだが、そういう野趣はなく、調理法や食器、盛り付けぐあいなどはまったく京風で、千家の会席といった風趣がある

ぼくが付け加える言葉はいらない。京都のお盆の旅を締めくくる、最高のご馳走だった。 (完)

 

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