こんばんわ。
箱根のポーラ美術館で特別展”フジタ/色彩への旅”を見終えて、次の部屋に入ると”フジタを巡る西洋の画家たち”と”フジタを巡る日本の画家たち”のコーナーがあった。いずれもポーラ美術館所蔵のもので撮影も可能だったので、記録しておこうと思う。
フジタを巡る西洋の画家たち
1913年8月、パリに到着した26歳のフジタは、すぐにピカソのアトリエに向かった。当時のパリ画壇はピカソ(1881-1973)らのキュビスムが席巻していて、フジタもこれを倣った静物画を描いている。また、アンリー・ルソー(1844ー1910)の作品にも衝撃を受け、留学初期の素朴な風景画は、パリ郊外の風景を描きつづけたルソーの影響が色濃く表れている。さらに、エコール・ド・パリの同志であるモディリアーニとは戦禍を避け、南仏旅行にでかけるなど終生、友情を育んだ。フジタが活躍した20世紀初頭は各国から集まった個性豊かな芸術家たちにより、多彩な芸術様式が展開してゆく。
ルソー エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望(1896-1898)
ルソー 飛行船レピュブリック号とライト飛行機のある風景(1909)
ピカソ 裸婦(1909)ピカソが恋人フェルナンド・オリヴィエをモデルに、オルタで約20点制作した油彩画の「フェルナンド・シリーズ」の中の一つで本作品は数少ない全身像を描いた1点。背景はサンタ・バルバラ山。
マリー・ローランサン ヴァランティーヌ・テシエの肖像(1933)女優ヴァランティーヌ・テシエ(1の全身像を描いた肖像画。気品のある薄紫色のドレスと、ローランサンの後期の作品によく見られる真珠のアクセサリーを身に着け、舞台上で演技をしているかのような優美なポーズで描かれている。
キスリング 風景 パリ-ニース間の汽車(1926)
モディリアーニ ルニア・チェホフスカの肖像(1917) ルニアはポーランド出身の女性で、彼女の夫がモディリアーニの画商レオポルト・スボロウスキーの友人だった。そのことがきっかけとなり、モディリアーニは彼女の肖像画を何度も描くことになった。
フジタを巡る日本の画家たち
1920年代にパリで活躍していたフジタを慕って、多くの日本人画家が訪れ、指導を仰いだりした。海老原喜之助は19歳のとき。出会い、生涯の師と仰いだ。スイスでフジタの最期を看取った。エビハラブルーとして知られる。ぼくも何度かエビハラブルーを見ているが、今回のが、一番うつくしかった。
海老原喜之助 行軍 (1933)
岡鹿之助 掘割 (1927)ぼくは、”あやめの衣” が好きだが、今回は展示されていなかった。
猪熊弦一郎 猫を抱く人物(1955)
荻須高徳 ジャンジョレス界隈ジュマップ河岸 (1956)
今日の五輪と大谷
大谷はPCのアベマTVで、五輪はテレビでと、同時中継(笑)で見た。大谷が37号の3ランを放ったとき、伊藤美誠が中国選手と準決勝の第二ゲームで接戦をしていた。でもこれを落とし、結局、負けてしまい残念。悲願の金メタルはお預け。3位決定戦へ。
こんな贅沢はない。大谷と美誠を同時に観戦できるなんて。
大谷、豪快3ラン。ゲレーロに5本差の独走。打点王争いも一差に!
伊藤美誠、3位決定戦で香港の選手破るも、悔し涙。打倒中国、雪辱の機会は、3年後がある。いや、団体戦もまだ残っているゾ。
競泳では、萩野と瀬戸が二百個メで決勝進出へ。萩野、万感の号泣。よかった、よかった。リオの金と銅、再現なるか。
池江璃花子、新種目、混合メドレーリレー予選のアンカーに起用される。松元克央、佐藤翔馬、小西杏奈と豪華メンバー。メタルいくぞと思ったが。惜しくも決勝進出ならず。まだ女子メドレーリレーがあるはず。璃花子の夢はまだつづく。
柔道は男女共、金メタル。6日連続の金メタルはすごい。
ウルフアロン選手が柔道男子100キロ級で金メダルを獲得
女子78キロ級浜田尚里、金メタル!
錦織、ジョコビッチと対戦。五輪連続メタルならずも、健闘。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
今日も元気でしたよ。