理系女子がリケジョなら、美術系女子はビジョ。その代表的ビジョ、松井冬子さんのトークショーがあることを、前々日の東京都美術館での”院展・世紀の日本画展”を観に行ったときに知った。昨日、その聴衆となったのでございます(汗)。トークのお相手は芸大のデザイナー日比野克彦さん。二人が登壇する。ご尊顔を直に拝するのははじめて。おおっ!さすがビジョ。まるで女優さんみたい!ついつい頬がゆるむ(汗)。テーマは、”わたしが芸大生だった頃”。
スクリーンに、”世界中の子と友達になれる”の絵が映し出されている。二年ほど前、ぼくも観に行った、浜美の”松井冬子展”のポスターに採用されたもの。この絵から、お話しは始まった。なんとなんと、この絵は学部の卒業作品なのだそうだ。1年かけて、藤の花やスズメバチなどのデッサンを繰り返し、じっくりと仕上げたそうだ。ここに至るまでの話しも面白かった。学部2、3年生の作品も初公開でみせてもらえた。それらの絵、えっ!ぜんぜん怖くないじゃん、冬子らしくない! 何故か、冬子は言う。自分は一体、何をやりたいのか、それを知るために、まず、今、自分が一番嫌いなものを描こう、そうすれば、消去法で、その何かがわかる。その絵は、サッカーや飛行機、バイク、トラックなどが明るい色調で描かれているものダ。日比野さんがぼくの好きなものばかりじゃない!と言うと、冬子はこういう男性的なものが大嫌いなの!(爆)。そして最終年に、藤の花にスズメバチがいっぱいたかっている中を堕胎した女が何かをさがしているような、男嫌いの(笑)、コワイ絵に辿りついたのだそうだ。
そして、有名な”浄相の持続”は、取手キャンパスで、日本画科博士過程1年のときに描いた作。これも、人体だけでなく、草花などデッサンをとことん重ねた。下絵、大下絵と段階を踏み、本画となる、その過程をパワーポイントでみせてもらえた。卒業後は、王道の院展には入らず、”日本画技術”で現代美術をやろうと切磋琢磨。銀座の画廊などで個展を開き、浜美での大展覧会までやり遂げる。でも、日本画によく使われる絹の掛け軸も好きで、幽霊画も描いたんですよ、と。スクリーンに現れたその絵は、横須賀美だったか、そごう美だったかの幽霊展をみて、ぼくが応挙の幽霊画より怖いとブログで感想を述べたものだった。
ぼくも聞きたかったことだけど、日比野さんが、今朝のトップニュースの万能細胞のように、一度初期化して、これまでの冬子とは違う絵を描いてみたいと思わないですかと、尋ねると、これまで自分自身の心を深く”哲学”し、その心を表現してきているのだから、突然、画風が変わることはないと、応じた。
一方、京都の染織の方と共同で着物の制作をしているそうだ。この春に発表会があるそうだがどんな柄か是非みてみたい。そうそう、寺院の襖絵を何十枚も描く計画もあるらしい。そういう話を聞くと、冬子はやはり、変わってゆくのではないかとぼくは思う。たしか、等伯の松林図屏風をみて感動し、洋画科から日本画科に移ったと言っていたはず。等伯風の襖絵が突如、現れ、みんなをびっくりさせるかもしれない(笑)。
質疑の時間だったかに、日比野さんが、いい作品とは、どれだけ、多くの人々に、それぞれ違った感動を与えられるかだと思う、と言っておられたが、素人のぼくもそう思う。俳句でいえば芭蕉みたいな。
とても楽しいトークだった。帰りに東京駅で降り、丸ビル6Fのお寿司屋さんで冬子の酒を飲んだのサ(汗)。とてもうまかった。
スクリーンに、”世界中の子と友達になれる”の絵が映し出されている。二年ほど前、ぼくも観に行った、浜美の”松井冬子展”のポスターに採用されたもの。この絵から、お話しは始まった。なんとなんと、この絵は学部の卒業作品なのだそうだ。1年かけて、藤の花やスズメバチなどのデッサンを繰り返し、じっくりと仕上げたそうだ。ここに至るまでの話しも面白かった。学部2、3年生の作品も初公開でみせてもらえた。それらの絵、えっ!ぜんぜん怖くないじゃん、冬子らしくない! 何故か、冬子は言う。自分は一体、何をやりたいのか、それを知るために、まず、今、自分が一番嫌いなものを描こう、そうすれば、消去法で、その何かがわかる。その絵は、サッカーや飛行機、バイク、トラックなどが明るい色調で描かれているものダ。日比野さんがぼくの好きなものばかりじゃない!と言うと、冬子はこういう男性的なものが大嫌いなの!(爆)。そして最終年に、藤の花にスズメバチがいっぱいたかっている中を堕胎した女が何かをさがしているような、男嫌いの(笑)、コワイ絵に辿りついたのだそうだ。
そして、有名な”浄相の持続”は、取手キャンパスで、日本画科博士過程1年のときに描いた作。これも、人体だけでなく、草花などデッサンをとことん重ねた。下絵、大下絵と段階を踏み、本画となる、その過程をパワーポイントでみせてもらえた。卒業後は、王道の院展には入らず、”日本画技術”で現代美術をやろうと切磋琢磨。銀座の画廊などで個展を開き、浜美での大展覧会までやり遂げる。でも、日本画によく使われる絹の掛け軸も好きで、幽霊画も描いたんですよ、と。スクリーンに現れたその絵は、横須賀美だったか、そごう美だったかの幽霊展をみて、ぼくが応挙の幽霊画より怖いとブログで感想を述べたものだった。
ぼくも聞きたかったことだけど、日比野さんが、今朝のトップニュースの万能細胞のように、一度初期化して、これまでの冬子とは違う絵を描いてみたいと思わないですかと、尋ねると、これまで自分自身の心を深く”哲学”し、その心を表現してきているのだから、突然、画風が変わることはないと、応じた。
一方、京都の染織の方と共同で着物の制作をしているそうだ。この春に発表会があるそうだがどんな柄か是非みてみたい。そうそう、寺院の襖絵を何十枚も描く計画もあるらしい。そういう話を聞くと、冬子はやはり、変わってゆくのではないかとぼくは思う。たしか、等伯の松林図屏風をみて感動し、洋画科から日本画科に移ったと言っていたはず。等伯風の襖絵が突如、現れ、みんなをびっくりさせるかもしれない(笑)。
質疑の時間だったかに、日比野さんが、いい作品とは、どれだけ、多くの人々に、それぞれ違った感動を与えられるかだと思う、と言っておられたが、素人のぼくもそう思う。俳句でいえば芭蕉みたいな。
とても楽しいトークだった。帰りに東京駅で降り、丸ビル6Fのお寿司屋さんで冬子の酒を飲んだのサ(汗)。とてもうまかった。