気ままに

大船での気ままな生活日誌

松井冬子さんのトークショー

2014-01-31 20:54:33 | Weblog
理系女子がリケジョなら、美術系女子はビジョ。その代表的ビジョ、松井冬子さんのトークショーがあることを、前々日の東京都美術館での”院展・世紀の日本画展”を観に行ったときに知った。昨日、その聴衆となったのでございます(汗)。トークのお相手は芸大のデザイナー日比野克彦さん。二人が登壇する。ご尊顔を直に拝するのははじめて。おおっ!さすがビジョ。まるで女優さんみたい!ついつい頬がゆるむ(汗)。テーマは、”わたしが芸大生だった頃”。

スクリーンに、”世界中の子と友達になれる”の絵が映し出されている。二年ほど前、ぼくも観に行った、浜美の”松井冬子展”のポスターに採用されたもの。この絵から、お話しは始まった。なんとなんと、この絵は学部の卒業作品なのだそうだ。1年かけて、藤の花やスズメバチなどのデッサンを繰り返し、じっくりと仕上げたそうだ。ここに至るまでの話しも面白かった。学部2、3年生の作品も初公開でみせてもらえた。それらの絵、えっ!ぜんぜん怖くないじゃん、冬子らしくない! 何故か、冬子は言う。自分は一体、何をやりたいのか、それを知るために、まず、今、自分が一番嫌いなものを描こう、そうすれば、消去法で、その何かがわかる。その絵は、サッカーや飛行機、バイク、トラックなどが明るい色調で描かれているものダ。日比野さんがぼくの好きなものばかりじゃない!と言うと、冬子はこういう男性的なものが大嫌いなの!(爆)。そして最終年に、藤の花にスズメバチがいっぱいたかっている中を堕胎した女が何かをさがしているような、男嫌いの(笑)、コワイ絵に辿りついたのだそうだ。



そして、有名な”浄相の持続”は、取手キャンパスで、日本画科博士過程1年のときに描いた作。これも、人体だけでなく、草花などデッサンをとことん重ねた。下絵、大下絵と段階を踏み、本画となる、その過程をパワーポイントでみせてもらえた。卒業後は、王道の院展には入らず、”日本画技術”で現代美術をやろうと切磋琢磨。銀座の画廊などで個展を開き、浜美での大展覧会までやり遂げる。でも、日本画によく使われる絹の掛け軸も好きで、幽霊画も描いたんですよ、と。スクリーンに現れたその絵は、横須賀美だったか、そごう美だったかの幽霊展をみて、ぼくが応挙の幽霊画より怖いとブログで感想を述べたものだった。



ぼくも聞きたかったことだけど、日比野さんが、今朝のトップニュースの万能細胞のように、一度初期化して、これまでの冬子とは違う絵を描いてみたいと思わないですかと、尋ねると、これまで自分自身の心を深く”哲学”し、その心を表現してきているのだから、突然、画風が変わることはないと、応じた。

一方、京都の染織の方と共同で着物の制作をしているそうだ。この春に発表会があるそうだがどんな柄か是非みてみたい。そうそう、寺院の襖絵を何十枚も描く計画もあるらしい。そういう話を聞くと、冬子はやはり、変わってゆくのではないかとぼくは思う。たしか、等伯の松林図屏風をみて感動し、洋画科から日本画科に移ったと言っていたはず。等伯風の襖絵が突如、現れ、みんなをびっくりさせるかもしれない(笑)。

質疑の時間だったかに、日比野さんが、いい作品とは、どれだけ、多くの人々に、それぞれ違った感動を与えられるかだと思う、と言っておられたが、素人のぼくもそう思う。俳句でいえば芭蕉みたいな。

とても楽しいトークだった。帰りに東京駅で降り、丸ビル6Fのお寿司屋さんで冬子の酒を飲んだのサ(汗)。とてもうまかった。



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小保方晴子さんの新万能細胞

2014-01-31 10:18:17 | Weblog
小保方晴子さんの新万能細胞作成のニュースにはびっくりした。IPS細胞以上のものは当分、出ないだろうと思っていたら、こんどのは、なんとちょっとした刺激を与えるだけで、体細胞がリセット(初期化)されて、多能性細胞になるというのだから。IPS細胞は4つの遺伝子を組み込まなければならないが、こちらは、30分間ほど酸性(pH5.7)の溶液に漬けるだけでいいのだ。われわれ哺乳類の細胞が、こんな簡単に変わってしまっていいの!と生命科学者はそれこそ天地がひっくり返るような驚きだっただろう。また、再生治療などの応用面でも、このSTAP細胞の作出方法が簡単な上、癌化する可能性も少ないということでその発展が期待されているようだ。

こんな大発見をしたリーダーが30歳のリケジョだったことも驚きだ。一昔前なら、大先生のポスドクでこつこつ研究をしている身分であり、もし今回のような大発見があっても、手柄は大先生のものになっていただろう。今回は、共同研究なので、年長者も金魚の糞(爆)のようにくっついているが、堂々とした代表研究者となっている。念のため、NATURE電子版の論文をみたが、彼女はトップネームでコレスポンディングオーサーにもなっている。コレスポンディングはもう一人いて、ラストネームでハーバード大学の教授。だから、将来、ノーベル賞をもらう場合、彼女をはずすわけにはいかない、と安心したのデアル(笑)。

もうひとつ、びっくりしたのが、晴子さんが美人できさくな感じの、隣りのお姉ちゃんタイプだったこと。そして、実験室では割烹着というのがほほえましいし、かっこいい。まるで”ごちそうさん”の、割烹着姿の、め以子さんみたい。ちゃちゃちゃとお料理して、STAP(stimulus-triggered acquisition of pluripotency) 細胞をつくったんだろうな、という印象。これからは女性研究者は割烹着が主流になるかも。

もうひとつ、びっくりするほどのことではないが、学部では化学を専攻していたが、大学院では生物学に転進。これが成功した。でも人間、ときには初期化して、新たな人生を歩むのも、いいと思うよ。だって、ぼくらはもともと万能細胞だったんだから、なんだってできるんだ!



最初の投稿ではレフリーからこんなコメントでリジェクト。あなたは過去、何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している。それほどの大発見ということ。


可愛いリケジョ


論文
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小津好みの散歩

2014-01-30 09:46:24 | Weblog
長谷の鎌倉文学館で、生誕110年記念”小津安二郎展”をやっていたのは知っていたが、ようやく昨日、訪れることができた。”小津好み”をキーワードに、愛用品、愛蔵品などが二部屋にわたり展示されている。

小津さんといえば、赤が大好き。初めてのカラー映画作品となった”彼岸花”にはふんだんに赤が使われていた。とくに茶の間に”出演する”あの赤いヤカンは有名。場面が変わって、物理的に在るはずのない位置に(目立つように)動いていたという話もあるほど赤にこだわった。

今回の展示品にもこの赤いヤカンがあり、その横に、これもその映画で使われた湯のみもある。これにも赤がぐるりと湯呑の上半身を巻いている。また、撮影所で使われたもので、よく知られているのが、蟹と呼ばれるロケ用の三脚で、小津さんが赤く塗ったので、上から見ると蟹のようにみえる。ピケ帽も赤かと思う人がいるかもしれないが、これは白です。消耗品で、一度に10個、注文していたそうだ。

赤いカーディガンも愛用していたことははじめて知った。エンジではなく、本当の赤。マフラーも赤かと思ったら、チェック模様で赤は入っていなかった。着物やスーツは紺系統の地味な色で、赤は微塵もなかった(笑)。でも、いつも使う文机は、赤。ステキな赤漆のものだった。万年筆はモンブランで、愛煙家だからパイプと灰皿もあったが、こういうのには赤はこだわらなかったみたい。

色とは関係ないけど、グルメ手帳があって、各ページに、そのお店までの道順をきちんと書きこんでいるのにはびっくり。そういえば、小津組の忘年会は、わざわざ南千住まで出掛けて、好物の鰻を食べに行ったと、何かの本に書いてあった。尾花はぼくも数度、行ったことがある。

小津作品の紀子三部作の二本目となる”麦秋”の原節子のスチール写真が展示されていたが、横顔がとてもきれいに撮れていて、これでは小津監督もたまらないなと思った(爆)。

楽しい展覧会を見終えて、住宅街を鎌倉駅方面に歩き始めた。途中で、そうだ小津好みの散歩で行こう、とうつくしい赤を捜しながら歩いた。井上ひさしさんも住んでいた佐助の住宅街を抜けて、佐助稲荷と銭洗弁天へ向かった。そして、駅に戻り、小町通りなどをぶらつき、目標としている二万歩を達成した。

以下、散歩でみつけた小津好みの風景をご覧いただきます(笑)。

まず、展覧会ポスター。その中に赤いやかんも。


赤い窓の住宅


庭のテーブルの赤いポット


赤いドアのお店


赤い鳥居の佐助稲荷


赤いよだれかけ


そこから歩いて10分。銭洗い弁天。 ここには赤い矢印しかなかった。


でも、この入口にらりと小津好みが。茶屋のお姉さんも小津好みで、赤いエプロンをしていた(写真なし)


そして、鎌倉駅方面へ。途中で小津好みの標識をみつけた。


駅前では小津好みのバスが止まっていた。


おんめさまの椿、氷室雪月花が次々と花を開かせていた、茅ヶ崎の本家はひとつも咲いていないのに。うしろの塀が小津好みだった。


小町通りに小津好みのてんぷら屋さんがある。よく通ったようで、小津丼のメニューがある。小林秀雄丼もあります。どちらもいただきました。
その隣りのお店に小津好みの衣類が置いてあった。


大船に戻ると、撮影所時代からある、小津さんも通ったはずのお店の看板も小津好みだった。






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上野公園は芸術でいっぱいだった

2014-01-29 10:54:28 | Weblog
ひとつ、ブログ記事をあげて、これから出かけようとしたら、スマホが電池切れであることに気付いた。充電している間に、もう一本、昨日の上野公園の出来事を書いておこうと思う。公園内ではいつも、路上演奏会や大道芸が行われている”芸術公園”であるが、その日は、さらに本格的な芸術活動が行われていた。今、東京都美術館で”芸大卒業終了作品展”が開催されているが、その屋外展が上野大仏の山の上で開催されているのだ。ちょっと覗いてみた。作品のひとつである青い小屋の前で女子学生が座っていて、説明もしてくれる。



青い小屋。その前の缶からなどの散らかっているものも作品とのこと。


中はこんなふう。赤い部屋。


これはケーキを表現している。


これはなんじゃもんじゃ。


土の中でちかちかと。よく観ると、映像ではないか。さらによくみると反対側に映写機が埋めてある


モダンアートは面白い!とまで言えるようになりたいもんじゃ。まだまだ、わいの頭が固いんじゃナ。

大仏山のふもとに手袋が。そうか、これもさっきのつづきの作品かな、と、しげしげみるが、ただの手袋のようだ。でも置き方がモダンアート風だ。あなどれないゾ。


そして、数歩先きの、道路上に、もう片方の手袋が。 セットで一作品かな。”手袋の行方”という題がついているかも知れない。もし、どなたかが落としていたとしたら、あまりに不自然な落とし方だしネ。ますます頭が混乱してきた。明日、また行って確かめて来よう。まだあれば、作品とする!


そうそう、もうひとつ、これもアートかもしれないと思った景色。都美で。車はいつもない。それに置き方もしゃれている。


でも帰るときには車はなかった。ただの偶然か(汗)


これはアート。


これもアート。パンダ舎の前。グルスキー風(笑)。


これは、ただの越前水仙です。


上野からの山手線が宝塚歌劇団列車だった。車内のポスターは宝塚一色。さすが、上野。芸術の街!!


ようやく充電がすんだようで。では行ってめーりますダ。




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遠藤彰子展 上野の森美術館

2014-01-29 09:33:38 | Weblog
相撲界に新星、遠藤が出現!美術界にも新星、遠藤現る!といいたいとこだけど、遠藤彰子画伯は新星というわけではない。1947年生まれというから、団塊の世代のベテランさんだ。でも美術界では、平櫛田中の”六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしも これからこれから”の名言があるように、彰子さんはまだ鼻たれお嬢だ。だから、新星現るといっても怒られないだろう。 ” そうよ、私の気持ちはまだ、せいぜいアラフォーよ、これから、これから”と常々思っているはずだから、むしろ喜んでくれるだろう。同世代のぼくがそう、思っているんだから間違いない!まだ、わしの気持ちは40前後ナノだ!!

上野の森美術館が巨大キャンパスで埋まった。どれだけ大きいかというと、こんなふう。


副題が”魂の深淵”をひらく”まず、ポスターに使われた絵がこれ。画題は。二つのテーブルのご馳走を中心に無数の様々な姿態の人々がどこまでも連なっている。下を流れるのは三途の川か(笑)。不思議な情景。まさに心の深淵を覗いた感じ。


四季シリーズ。夏。織られし白き糸。巨大なクモの巣に人間がからまれ、がんじがらめで身動きできなくなっている。自由なようでいて、ひとつも自由はない、現代人の姿か。


四季シリーズ。春。いくとせの春 いくとせの春を重ねて・・・


人間存在の暗い深淵に差し込む微かな光を頼りに描き上げたかのような作品群は、意識の領域も含む、世界に存在する全ての現象を封じ込めたかのような壮大な物語を築き上げています、との案内。

こういったどちらかというとコワイ風景が続いたあとに、一転、次ぎの部屋には明るい楽園風景の絵がずらりとあったり、また、会場から入ってすぐの”街シリーズ”の絵では不思議な立体空間にぼくらの頭をくらくらさせる。青空を下に覗き込むような絵があったり、螺旋階段がずっと下までつづいていて、まるでバベルの塔をひっくり返したようなものとか。登場人物には子供が多いのも特徴。

ときどきはこいう絵をみて、ふんわり頭にスパイスをかけるのも必要だと思った。刺激的で楽しい展覧会だった。昨日、最終日に観ました。






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お食事パンダ 上野にて

2014-01-28 18:34:03 | Weblog
久しぶりに上野動物園のパンダの、シンシンちゃんとリーリーちゃんに会ってきました。
うまい具合に食事中。グッドタイミング!

シンシンちゃん(メス)うまそうに食べてること!


背中美人ですね。


隣りの部屋でリーリーちゃん(オス)も高いところで、むしゃむしゃむしゃ。


いくらでも食うゾー。


ああ、うめえ。


うめえ、うめえ、おささも飲みてえな。


あたいも。

しゅりんくっプレーリードッグくん。立ち食いはいけませんよ。めっ!


もぐもぐもぐ。


おらあ、夢をくってるだ。ぱくぱくばく。


わてはしらみをたべてんや


ばんざい!とっても楽しい動物園でしたよ。サンクス、パンダちゃん。


なかなかのKAWAII展であった。山種もそろそろ行かねば。
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吾妻山の菜の花と富士 ふたたび

2014-01-27 18:45:39 | Weblog
今朝、とっても富士山がきれいに見えたもんだから、二宮の吾妻山に富士山を観に行った。実はこの冬、二度目である。年末の晴れた日に行って、撮った写真を元旦のあいさつに使ったので、覚えている方もいらっしゃるかもしれない。そのときは一人だったが、今日は家内と一緒に出掛けた。

吾妻山の登り口まで来て、驚いた。年末のときには、登る人はぼく一人だったが(汗)、今日は、列ができるくらいの人々が登っている。あとで聞いた話しだが、ごく最近、読売新聞に紹介記事が出たそうだ。なるへそ合点!。

頂上につくと、菜の花は花盛り、そして、富士山は雲一つない冬晴れの中にくっきりと。水泳教室の予定を変更してまで来た、富士山好きの家内も大喜びの見事な富士山だった。

菜の花と富士山




富士山独り占め




富士山を撮る人々


富士山(右端)と菜の花と青い海(左端)


菜の花と青い海


エノキと青い海


水仙と青い海


水仙も見頃


富士山をもう一度。広重の五十三次の、原の富士のように画面をはみ出すように撮ってみた(汗)


菜の花と富士をもう一度。


。。。。。

そのあと、小田原の居酒屋で刺身でいっぱい。家内は金目鯛煮つけでご飯をいっぱい。


お城まで行ってお猿さんに面会。みな寒がっていた。




紅梅、白梅が咲きはじめていた。




格別な一日だった。

。。。

お猿さんで思い出した、高崎山のボス猿のベンツ。人間でいえば100歳。行方不明となり、最近、お別れ会があったようだ。

在りし日のベンツ。(2013年3月撮影)ご冥福を






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”ぼくの大相撲初場所予想” 自己評価

2014-01-27 09:08:12 | Weblog
初日を終えた段階での”ぼくの大相撲初場所予想”の結果をご報告します。結論を先に言いますと、15力士の星取り予想のぼくの成績は、8勝5敗2分けで、勝ち越しました。でも、気持ちは大負けという感じ。

その原因はやっぱり稀勢の里の大敗にある。今場所は13勝以上の優勝で横綱昇進という絶好の場所でありながら、初日につまづき、その後、前半で、早くも脱落してしまった。その後、魂が抜けたようになって、黒星を重ね、終盤は怪我もし、終わってみれば、来場所はカド番という最悪の結果に終わった。

ぼくが稀勢初優勝と予想したとき、相撲部屋が田子の浦に変わったことを、”田子の浦ゆうちいでて見ればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(山部赤人)”の和歌に因んで、こう書いた。田子の浦部屋になり、初場所に望んだならば、雪(白星)の降りつづける日本一の富士山(横綱)が目の前に現れてきた、という意味だ。おまけに、松戸の鳴戸部屋から、偶然、空いていた両国の三保ヶ関部屋に稽古場を移した。三保といえば、三保の松原! 富士山と一緒に世界遺産になったところなんじゃ!これだけ運が揃えば、初優勝!横綱だ!!しか選択肢はない。と、進軍ラッパを鳴らした。

でも、それは表向きのことで、ぼくは内心、一番、心配していたのは、このことだった。相撲に限らず、スポーツはメンタルなもので、心身が充実していないと、最高の力を出せないものだ。稀勢の里が、15歳で入門して以来、可愛がって育ててきたのが前鳴戸親方(隆の里)夫妻だ。今回、公益法人化による年寄名跡証書の授受が不調に終わり、結果的に母代りだった夫人を悲しませることになった。自分のせいではなかったにしろ、稀勢の里の気持ちが落ち込むのは無理はない。おそらくそのメンタル的な影響が大きく出たのであろう。怪我の治療と心のケアーをして、春場所には是非、元気な姿をみせてほしい。

一方、新鋭、遠藤の活躍は稀勢の不調を十分カバーしてくれた。13日目に国技館に行ったが、大声援は稀勢へのと負けず劣らずのものだった。また、鶴竜の復活は頼もしいが、一方豪栄道の伸び悩みはどうしたことだろう。次の大関はこの人だと思っていたのに。栃煌山や松鳳山に先を越されてしまいそう。そうそう、琴欧洲の大関復帰ならずも、大きな出来事だった。

いろいろなことのあった初場所だった。今年は新旧交代で、相撲界が大きく変わるのではないか、そんな予感がする。
。。。。。
初場所予想結果(左が予想、右が実際の星取り;±1勝がぼくの〇星となります。途中休場等は△となります)

稀勢の里13勝2敗/7勝7敗1休●、白鵬13勝2敗/14勝1敗〇、豪栄道11勝4敗/8勝7敗●、鶴竜10勝5敗/14勝1敗●、栃煌山9勝6敗/11勝4敗●、妙義龍8勝7敗/0勝4敗11休△、隠岐の海8勝7敗/7勝8敗〇、琴奨菊8勝7敗/8勝7敗〇、琴欧洲8勝7敗/8勝7敗〇、豊ノ島7勝8敗/8勝7敗〇、千代大龍6勝9敗/4勝11敗●、 勢6勝9敗/6勝9敗〇、 碧山5勝10敗/6勝9敗〇、豊響4勝11敗/5勝10敗〇、 日馬富士 全休/全休△

8勝5敗2分でした。

13日目の国技館風景から




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海老蔵 壽三升景清

2014-01-26 09:30:28 | Weblog
海老蔵が意欲的に歌舞伎十八番の継承と復活に取り組んでいる。そして、今、新橋演舞場で上演されている”壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)”も、その一環。二世團十郎が初演した”関羽””景清”。四世團十郎が初演した”鎌髭””解脱”。これら4演目のすべてに平家の武将“悪七兵衛景清”が登場するが、それらを、通し狂言としたものだ。かねてからの海老蔵の構想を川崎哲男と松岡亮が脚本化した。

海老蔵自身がこの構想をこんなふうに述べている。景清は、心に闇や影があるというか、すべてを持っているのに破れる、力があるのに滅びるという存在。まさにタイミングがぴったりというか、今の時代に合う人物だと思います。景清が死ぬ間際に見る0.00何秒で見る走馬灯を、絵巻物で見せるような数時間にしたい。

たしかに絵巻物でも見るような舞台でしたよ。筋立てはシンプル。関羽の霊が乗り移った平家の景清が不死身の力を得て、源氏方を圧倒する。最後は悟りの境地に達し、解脱するというもの。でも舞台は凝っている。アッといわせる舞台美術の華やかさ。これぞ、歌舞伎といった、海老蔵、獅童、芝雀、左團次らの衣装や隈取などの豪華絢爛さ。華やかな舞台背景の前で見得を切る役者たちの姿は大錦絵のよう。それに、歌舞伎では珍しい、情念の津軽三味線が入り、観客の心を沸き立たせる。大詰では舞台上に客席(三升席)が設けられる趣向にも驚く。大変、満足した歌舞伎見物であった。

今日の筋書(プログラム)から舞台写真が入ってます、のアナウンスを聞き、すぐ購入。その写真の一部をお裾分けしようと思います。

壽三升景清 これは、幕前の緞帳。


関羽

海老蔵


修行者怪鉄実は悪七兵衛景清 (海老蔵)と 鍛冶屋四郎兵衛実は三保谷四郎 (左團次 )


鎌髭

海老蔵と左団次


海老蔵と獅童


景清

海老蔵と獅童


海老蔵


海老蔵


解脱

海老蔵


勢揃い


うっとりするような、別世界に迷い込んだような舞台でやした。えびさま、歌舞伎十八番、もう一丁、待ってます!

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広重の東海道五十三次 MOA&えどはく

2014-01-26 06:20:25 | Weblog
両国に相撲を観に行く日は、必ず、隣りのえどはく(江戸東京博物館)もセットで寄る。”大浮世絵展”を楽しんで、常設でも広重の”東海道五十三次”が特別展示されていたので観てきた。実は、その数日前も熱海桜の見学がてら、MOA美術館で同様な展示を観てきた。それぞれ、感想文を書くのもなんなんで、まとめて一丁にしてみた。

保永堂版の東海道五十三次の揃いは、何度かいろんなところで観ているのでいるが、いつ見ても、素晴らしいと思うのは、”蒲原夜之雪”、次いで、”庄野白雨”。えどはくでは撮影可能だったので、その写真を。

蒲原夜之雪


庄野白雨


いずれも好天でなく荒天の景色というところが面白いですね。では、他の雪景色はと探してみた。あと一つありました。”亀山雪晴”。でも、こちらは荒天でなく、好天の雪景色です。


さて、雨は、というと。あと2点。

土山春の雨


大磯虎ヶ雨 曽我十郎が命を落としたのが陰暦5月28日。愛人大磯の遊女・虎御前が流した涙が雨となった。その頃の雨を虎ヶ雨という。


風もある。一点だけですが。
四日市三重川 傘を追う旅人。


朝霧も一点。三島朝霧


。。。。。

続いて好天の部(笑)。満月が出ているのはこれだけのようです。
沼津黄昏図


さて、お天気がよければ富士山。東海道道中には欠かせない。6点もありました。川崎から始まり、平塚、箱根、原、吉原とつづき由井が最後。

はじめの富士は川崎六郷渡船



原朝之富士 一番大きな富士山。画面をはみだしてしまうほど。


なんて、み方も楽しいですネ。

えどはく


MOA


光琳屋敷の紅梅が咲きはじめていた。




来月は、光琳の国宝・紅白梅図屏風が出てきます。本格的に梅と熱海桜が咲く頃に、また行くつもり。

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