こんばんわ。
鏑木清方記念美術館は、鎌倉駅前からはじまる小町通りがそろそろ終わろうとする曲がり角を左に入って直ぐのところにある。清方は戦後、四半世紀ほど、93歳で亡くなるまで晩年をここで過ごした。閑静な住宅街である。
その日、ぼくは八幡宮の寒桜を見たり、宝戒寺の梅の咲き具合を観察したりで歩き回り、ちょっと疲れていた。美術館に入り、展示室の前に庭園に面した休憩室があるが、ここでちょっと一休みした。ふとテーブルの上に見慣れぬ本に目が行った。”清方と私”という本で、著者は清方のお孫さんである。この本は私家本でここでしか見られません、という説明書きも添えられていた。そうなると余計、読みたくなるのが心情。
ぱらっと開けたページのタイトルが”焼き芋屋さん”。清方と焼き芋、うん?と興味をもって読み進んだ。鎌倉市雪の下(ここ)に住んでいたときの出来事。しょっちゅう自宅の前を通る焼き芋屋さんがいたので、声をかけた。とてもおいしかったようで、その後、贔屓にした。ある日、寄ってもらい、絵を描いてあげた。焼き芋屋さんは「お爺さん、絵がうまいね」と言いながら受け取った。彼は山形から出稼ぎに来ていた人で、故郷に帰って、有名な先生であることを知ったという。それ以来、親しくなり、葬儀にも駆けつけてくれたようだ。清方の人柄をしのばせるちょっといい話し。
ちょうど焼き芋をほおばったあとのよう、幸せそうな清方(笑)。
清方像(伊東深水)
おおーい、焼き芋屋さぁん、この玄関口から清方の声が。
さて、この日の展覧会、”うつりゆく時代を見つめて”のことを少し。
本展では、明治から昭和を生きた清方が時代とともに大きく変わっていった東京を描いた作品や江戸の風俗を描いた作品を中心に展示されている。写真撮影が禁止されているので、ちらしの写真からいくつかを。
布晒し(大正末、1926)
新大橋の景(明治43年、1910)
《千代田の大奥》『講談世界』口絵 大正2年(1913)
《虎の門》(立見十二姿の内)『新小説』石版口絵 明治43年(1910)頃
雨夜の星スケッチ(昭和44年、1969)
讃春(小下絵)(昭和7年、1932)昭和天皇の即位式を記念して三菱財閥岩崎家は日本画家5名に奉祝品の制作を依頼し、昭和4年から10年にかけて5双の屏風を献上した。そのうちの一つの献上屏風の小下絵。皇居前広場の松と隅田川の清洲橋。
(公式サイトから)鏑木清方は、明治11年(1878)に東京の神田佐久間町に生まれ、江戸の風情の残る京橋木挽町で幼少期を過ごしました。その後、本郷湯島、日本橋浜町、牛込矢来町などへ居を移しますが、東京を離れることはなく、初めて東京を離れたのは、昭和19年(1944)、66歳で茅ケ崎へ疎開した時でした。
江戸の文化に強く惹かれていた清方は、浮世絵師の鈴木春信、勝川春草らに私淑し、彼らが描く女性の美しさと風俗を熱心に研究し、作品へと昇華させました。その江戸情緒あふれる作品は、日本画壇で高く評価され、今日に至るまで多くの人を魅了しています。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
(この日八幡さまで見つけた初タンポポ)