気ままに

大船での気ままな生活日誌

京都のもみじ(1)

2006-11-30 17:56:57 | Weblog
熊本での法事の帰り途に、二泊三日で京都に寄ってきました。紅葉が見頃を迎えたと聞いたからです。これまで、何度か京都の紅葉を見物に行きましたが、ちょっと早すぎたり、すでに終わっていたりしていて、一度、一番のときに見てみたいと思っていました。それが、今回実現しました。

京都駅八条口のホテルに荷物を預け、27日の午後3時半頃に、近場の東福寺を訪れました。境内の臥雲橋を渡り始めると、突然のモミジの紅い大洪水に度肝を抜かれます。ここから、向かい側にみえる通天橋との間が渓谷のようになっているのですが、その谷に2000本近い数のカエデの木が植えてあり、そのすべてが真っ赤に紅葉しているのです。しかし、そこは、まだ無料領域で序の口です。入場料を払って、人だかりの通天橋に辿りつきます。ここからの眺めが最高です。よくみると、モミジ葉は、深紅、紅、オレンジ、黄色、そしてわずかな緑と様々で、まさに錦織なす景観です。雨も上がってきましたので、谷間に降りて、今度は直かに、じっくり観察します。それぞれの木の個性ある輝きに、感心します。まさに旬の、一番きれいなときです。おもわず、きれいだね、1年間ご苦労様、と幹をこつんこつんと、たたいてしまいました。すると、もみじ葉がふたつ三つ、ひとひらと舞い落ちてきました。まるで嬉し涙のようでした。下を見ると、うれし涙の、赤や黄色の落ち葉でいっぱいでした。押し葉絵にでも使うのでしょうか、お年寄りが、落ち葉を拾っていました。・・・こんなに沢山の、それも熟年の大きなモミジの木が集まっているところは、めったにありません。質量ともすごい、日本一といっていいかもしれない、と思いました。

翌日(28日)は嵐山に出かけました。渡月橋からみる嵐山は、きれいに紅葉し、全山、秋色です。何度か訪れていますが、こんな美しい嵐山をみるのは初めてです。渡月橋を渡って、桂川(保津川)沿いを上流方面に歩いてみます。川には紅葉を舟上から楽しもうという人を乗せた、遊覧船が何隻ものんびり進んでいます。途中で、川沿いの平べったい岩に腰掛け、向こう岸の紅葉や、行き交う舟を眺め、ぼーっとして、よく言えば、風流の人になり、静かな時を過ごしました。まだ用事があるといって熊本に残っているワイフにメールを送ったりしていました。

また歩き始めると、「絶景です、大悲閣」の張り紙がありましたので、そこまで行ってみることにしました。入り口まで辿りつきましたら、そこから、さらに山に登らなければいけないようです。どうしようかと迷いましたが、芭蕉や漱石も訪れましたと書いてありましたので、それならばと、昇り始めました。山の中腹に大悲閣(千光寺)がありました。角倉了似が慶長19年に建立したお寺だそうです。そこからの眺めは、確かに絶景です。遠くに比叡山や東山36峰がよく見えます。京都市内も一望できます。わざわざ来たかいがありました。山を下り、渡月橋近くの料亭「花筏」で、温泉入浴つきの豆腐懐石料理を楽しみました。ついでに花筏という地酒もいただきました。昼酒してほろ酔い加減で露天風呂からみる景色は、「絶景です、大喜閣」でしたよ。

その日の夜は、東山の高台寺と清水寺の夜桜ならぬ、夜もみじ見学です。祇園で、ぎょうざの王将で生ビールと餃子に焼きそばで腹ごしらえして(お昼にちょっと高いお料理を食べたので1000円で済ましました)高台寺に向かいました。びっくりです。6時頃でしたが、入場券を買うための長蛇の列です。しかし、意外と早く入場できました。はじめての、夜もみじ、なかなか幻想的な雰囲気で楽しめました。池に写る逆さもみじが、圧巻でした。鏡のように、地上のもみじを見事に写し出していました。みな、見慣れぬ、もみじの妖艶な風景に息を飲んでいました。高台寺には竹林もありますが、イルミネーションによる竹も、なかなかのものでした。目の上に覆い被さる、無数の竹の葉が、さわさわと(?)光輝き、不思議な印象を与えてくれます。

そして、二年坂、三年坂を抜けて、清水寺です。7時過ぎでした。ここも大勢の人が見学に来ていましたが、広い境内ですので、並ばずに入れました。もみじの木が多いので、照明が大変です。全部は照らしきれず、思ったより暗い感じでした。それでも、清水の舞台やその向かい側の展望台からみる景色は、さすがでした。雄大な、夜もみじでした。

(つづく)








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒いジャガーの運動靴

2006-11-23 09:36:33 | Weblog
明日から1週間ほど、法事を兼ねて、九州に旅行するので、横須賀線で30分ほどのところに住む81才の母を訪ねました。母は花好きで、自宅の小さな庭が植物の鉢でいっぱいです。お友達も多く、おしゃべりやお出かけで毎日楽しく暮らしています。玄関に入って、靴を脱いだときに、ついにっこりしてしまいました。二つの黒いジャガーの運動靴が並んだからです(写真)。小さい方はもちろん母の靴です。今日はこの運動靴の話しをしたいと思います。

11月3日の文化の日に、円覚寺風通しの混雑した日に、下駄箱で、私の買ったばかりの新しい黒いジャガーが、どなたかに間違えられてしまったことを紹介しました(11/3、文化の日に)。その日、私はすぐに大船駅前の靴屋さんに寄りました。ところが、めったにないことだと言うのですが、25.5センチの黒のジャガーが、そのお店になく、そして横浜の統括店にもなく、全国レベルで探さないとだめで、相当時間がかかるというのです。そして、結局半月以上かかり、ようやく数日前に手に入り、今日はじめて履いたというわけなのです。

この靴は、私にとっては思い入れの深い靴なのです。ワイフは結婚前からジャガーの運動靴を履いていて、私と一緒になってからも、もちろん、ずっと今日まで愛用しています。とても軽くて、歩きやすいから、と言って結婚後、奨められ、私も履くようになりました。ですから、このジャガーの運動靴は、私達の結婚と同時に、我が家に住み込んでいることになるのです。

ワイフと同じサイズのジャガーの運動靴を今度は母に奨めました。それは、ずっとあとのことで、父が亡くなり、仕事も辞めた母がよく散歩するようになってからです。それ以来、母もすっかり気に入り、愛用するようになったというわけです。とくに、黒い色のが好きなようです。白ですと、いかにも運動靴という感じですが、黒いのは、普通の靴のようにも見え、どんな所にも履いていけるのがいい、と言います。私は白と黒の2足、持っていて、白は近所の散歩用、黒は遠出用としています。

今年の夏のある日、私ははじめて、ジャガー以外の運動靴を買ってみました。○○ックス製のその靴は、小麦色(の肌)で、ちょっと太めの、ぽちゃりタイプで、見た目がとても魅力的でした。運動靴界のアグネスラムといったところです。その上、長い時間歩くあなたにはぴったり、なんていうキャッチコピーまでついていました。ついふらふらとしてしまったのです。

ところがです、その靴を履き始めて、1週間も経たないうちに、太股の内側の筋肉が痛くなってきました。R靴店の方が、慣れれば大丈夫、ただ、かかとから着くように歩いてください、と言っていましたので、しばらく続けました。しかし、今度は、私のウイークポイントの腰までおかしくなり、1週間ほど散歩もできなくなりました。このとき、歩き方まで靴に命令されて、その上、あちこちが痛くなるような靴とは決別しようと決心しました。その後、またジャガーに戻ったのです。

円覚寺で買ったばかりの黒いジャガーがなくなり、その上、新たに買おうしたら、半月以上も待たされたのは、きっと、ジャガーの私の浮気に対する、おしおきに違いないと思いました。

これから、母の歳ぐらいまでずっと、ジャガーとおつきあいしたいと思います。

ーーーーーーーーー

小麦色のウオーキングシューズは、燃えるゴミに出すのは不憫で、まだ、うちの玄関の丸椅子の下で、ひっそりと日陰者のように暮らしています。ときどき、ワイルドワンズの「想い出の渚」を歌ってやって、なぐさめてやろうかと思っています。

・・・・・

想い出の渚
 
鳥塚繁樹 作詞
加瀬邦彦 作曲


君を見つけた この渚に     (この靴店に)
 一人たたずみ 想い出す
  小麦色した 可愛い頬    (ぴったり)
   忘れはしない いつまでも

水面走る 白い船         (散歩で海辺にも行きました)
 長い黒髪 風になびかせ
  波に向かって叫んでみても
   もう帰らない あの夏の日  (夏の日に買いました)

長いまつげの 大きな瞳が     (長い靴ひもの 通し穴が)   
 僕を見つめてうるんでた
  このまま二人で 空の果てまで 
   飛んで行きたい 夜だった

波に向かって叫んでみても
 もう帰らない あの夏の日    (ぴったり)
  あの夏の日
   あの夏の日         (心をこめて)











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それぞれの晩秋

2006-11-22 10:13:40 | Weblog
小春日和の午後、大船フラワーセンターに行ってきました。赤や黄色のもみじの始まったもの、色とりどりの実をつけているもの、葉を落とし冬支度を始めたもの、華やかに花を咲かせているもの、新春に向けつぼみを膨らましているもの、などなど、植物たちは、それぞれの晩秋の姿をみせてくれました。

もみじ編:
イチョウが色づいてきました。もう一息でまっ黄色になります。同じ化石植物のメタセコイアは、まだ青々していました。これも、来月には、焦げ茶色のいいもみじになるはずです。寄り切りでイチョウの勝ちー。

ナンキンハゼが半分、赤くなっていました。緑と赤の混ぜごはん・・いや混ざり具合もとてもきれいです。2週間前訪れた奈良公園のナンキンハゼは、もう真っ赤でした。浴びせ倒しで奈良の勝ちー。

大きなけやきもすっっかり秋色。小さな、くろばなろうばいも秋色。判官びいきで、勇み足で小さな植物の勝ちー。

実編:
ハンカチの木に実がついていました。大きい梅ぐらいの大きさで、色はブラウン系です。梅酒につけた梅を取り出して、かるく靴で踏んづけ、2,3回蹴飛ばすと、こういう形になると思いました。みかけは美しいとは言えませんが、涙と汗のハンカチ人生を送ってきたという、いぶし銀みたいな感じを受けます。たぶん、渋い味だろうと、かじってみたかったのですが、残念ながら手の届く範囲にはありませんでした。

カクレンボの木にも実がついていました。本当は、カンレンボクという名前なのですが、自分だけ分かれば良いと思って、いつもそう呼んでいます。とても面白い形をしています。2センチぐらいの長さの細長いナッツみたいな袋が何十も房状に着いていて球形になっています。翼果と言うそうです。日が当たっている木を見上げると、うす緑色の実が、きらきら輝いているようで、私にはとてもきれいにみえます。これも手の届く範囲にないと、あきらめていたのですが、ふと下をみて驚きました。熟して茶色になった実がたくさん落ちていたのです。早速、細長いナッツみたいのを、かじってみました。甘くも、苦くもありませんでした、無味です。湘南ビールのつまみにはなりませんでした。

花編:
つばき園は、早咲きが咲いていました。立寒椿、秋の山、窓の月、千代田錦、あけぼの、とかの品種です。ここは200種くらいの椿があるそうです。これから楽しみです。この春訪問した、茅ヶ崎の氷室椿庭園もすばらしいですよ。ここは250種あります。押し出しで茅ヶ崎の勝ちー。

さざんかは、かなり咲いていました。しゃくやく園の垣根がわりに植えてありました。私の前に住んでいた家もさざんかの生け垣でした。ここには、さざんかと椿の交雑種というのもあり、きれいな花を咲かせていました。12月から翌3月まで花が咲くそうです。名前は、ハルサザンカです。交雑なのに名前に椿のつの字も入っていません。きっとお母さんが、さざんかだったのでしょう。女は強いです。張り倒しでさざんかの勝ちー。

特別編:
朝日新聞でも紹介された、テイオウ(帝王)ダリアが堂々と咲いていました。こんなに脊が高いとは思いませんでした。4~5mの高さです。幹も太く、まるで木です。その先端部に20cmぐらいの薄紫色の8つの花弁の愛らしい花をたくさんつけています。ダリアの仲間ですが、このように木質化するのは、この種だけのようです。確かにダリアの帝王ですね。木の下に掘り出された根っこが展示してありました。巨大な塊根です。比較のために置いてある、普通のダリアの球根がかわいくみえます。うしろで団塊族ぐらいのおじさんが、テーノーダリアと何度も言っていました。私はおかしくなって、上をみましたら、うす紫色の花が、青を出せないので濃紫筋をたてて、そのおじさんをにらみつけているのが分かりました。

フラワーセンターの植物たちの、それぞれの晩秋でした。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年問題

2006-11-20 22:24:39 | Weblog
昨日、高校の同窓会で楽しい一夜を過ごしましたが、我々のすぐうしろに迫ってきているのが、昭和22~24年生まれの、団塊の世代です。私の二人の妹もこの世代です。この世代がいよいよ定年迎える年に入ります。年金制度への影響や多量退職による技術、技能の継承への影響などが懸念され、コンピューターの2000年問題にこじつけて2007年問題と呼ばれています。

最近、図書館である雑誌(月刊の新潮だったと思います)の記事をみて、2007年問題は身近なところにもあることが分かりました。そのライターの方はよく海外旅行のパックツアーに出かけますが、ツアー客の中に団塊族が数名入っていると、そのツアーはめちゃめちゃになってしまうそうです。時間は守らない、バスの中で騒ぐ、座席は良い場所を独占する、自分の行きたいところにコースを変更させる、等、身勝手な行動が多いというのです。退職後、この世代が大量にパックツアーに参加するようになると、大きな問題になるというのです。

その方は、さらに、こう分析します。子供のときから競争社会におかれた団塊族の特徴は、「何も知らないのに何でもしたがる」そうです(笑)。それに対して、我々のプレ団塊族は「何でも知っているのに何もしない」(笑)。ポスト団塊族は、「何も知らないし、何もしない」(爆)。また、団塊族は「ネズミのような頭脳なのに、恐竜のように動きたがる」(爆の二乗)と決めつけます。

それが本当なら、さあ大変です。私達夫婦は最近、個人旅行よりパック旅行の方が多いので、もろに影響を受けそうです。2007年に向けて、対策を練らねばなりません。

たとえば、バスの中で黙らせるために、団塊族の大好きなグループサウンズの曲を流しっぱなしにするというのはどうでしょうか。ワイルドワンズの「思い出の渚」(私の好きな曲でもあります)とか、あるいは同期の星、都はるみや沢田研二の歌、「困るのことよ」や「勝手にしやがれ」もいいかもしれませんね。青春時代を思い出させ、沈黙させるのです。一番前の席に座らせないために、団塊族センサーをつけた蹴たぐり機をその席に設置しましょう。ちょっと卑怯な手ですけれど、昨日、横綱の朝青龍が若手の稀勢の里にその技を使っていますから、文句はいえないでしょう。時間厳守の対策は難しいですね。時間どおりバスを走らすという手がありますが、帰国後に、損害賠償訴訟されそうですね。夏時間とか秋時間とかうそを言って、1時間時計を遅らせて調整するのもいいかもしれませんね。

いい手を思いつきました。そのライターの方が、こう言っていました、団塊族は奥さんには弱いそうです、結婚競争の厳しい中、ようやくお嫁さんにきてくれた奥さんには頭が上がらないそうです。パック旅行でも旦那が理不尽なことをした場合でも奥さんを通じて注意してもらうと、しぶしぶ修正するそうです。そうです、団塊族の男性には奥さん同伴を条件にするのです。そうすれば、被害は最小限に抑えられるでしょう。

・・・・・
団塊族のみなさん、勝手なこと言ってごめんなさいね。でも、新潮のライターの方が、世代の特徴にあげたコピーの中では、一番ダメなのは、私の世代の「何でも知っているのに何もしない」ですよね。それに、「何も知らないし、何もしない」世代も救いようがないですね。まあ、おあいこということで、勘弁してください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仲間たち

2006-11-19 17:24:44 | Weblog
高校の同窓会に行ってきました。最近は2年に1回のペースの、学年会です。今回、楽しみにしていたことがあります。前回は、多くの人がまだ現役で、それぞれの職場の中での重責を背負いながらの参加でしたが、今回はみな重い荷物を下ろしての参加です。どういう顔をしているか、観察するのが楽しみだったのです。

皆さん、とても晴れやかな顔をしていました。それに、とても60代に入ったとは、思えない若々しい顔です。とくに女性陣は、和服で来られた方も何人かいて華やかでした。ばっちり、きまっていて、「黒革の手帖」の銀座のクラブのママ役の米倉涼子さんに負けないぐらいでした。なんだか、前回より、みなさん、若返ったような印象でした。虚脱感がありありという顔も実は期待していた(笑)のですが、約50人の出席者の中には、ひとりもいませんでした。

一次会、二次会と5,6時間にも及ぶ飲み会の中で、いろいろの人と話しました。この中には、初めて話をしたという人もいます。

K君は銀行マンでした。・・・僕はね、高校のとき、美術の先生にほめられたことがあって、本当は美大に行きたかったんだ、でも絵では、なかなか食べていけないなだろうと思って、経済にした、だから定年後は、その夢の続きをと思ってね、カルチャーセンターに通っている、そこの先生から、君の絵は、他の人と違うなにかがあると、誉めてくれたんだぜ、エヘヘ、高校の美術の先生、82才になったが、銀座の画廊で個展を毎年開いている、今年行ってきたよ、君も美術鑑賞が好きなようだから、来年一緒に行こうよ・・・

Aさんは、定年まで会社勤めをしました。・・・私、ずっと独身なの、会社停めたあとは、30年間続けてきた華道を生活の中心に据えてるの、今年は、もう5回も家元のある京都に行ってきたのよ、海外旅行も大好き、今年は友達と、10日間のトルコ周遊の旅に行ってきたの、イスタンブール、カッパドキア、良かったわよ、あら奥さんも韓ドラ好きなの、私も大好きよ、冬ソナなんか何度もみたわ、砂時計もいいわよ、奥さんも知っていると思うわよ(みてました)・・・

Bさんも、一流企業のキャリアウーマンとして定年まで勤めました。・・・私、あとは、自由にするの、勤める気はもうないわ、休みもないような激務をずっとしてきたから、結婚してすぐ離婚しちゃたから、ひとりで気楽なの、海外旅行に行ったり、好きな勉強したり、これから、楽しいことばっかり・・・

もちろん再就職した人も多数います。年金を完全にもらえるまではね、とか、子供がまだ学生の身分なので、まだ働かなくちゃね、と笑顔で答えてくれた人もいました。会社の早期退職で55才のときやめて、2年遊んだけど、飽きちゃって、また仕事を始めちゃったよ、という人もいました。お店をやっている人や自由業の人は、仕事を続けていました。

みんな、順調に第二の人生を歩み始めたようです。でも、・・と思います。会の始まる前に亡くなられたクラスメートのために黙祷を捧げました。私のよく知っている人も含まれています。6名もの物故者がでているクラスもありました。また、返信用葉書の通信欄に、ご自身の病気、あるいはご家族の方の介護や病気看護で残念ながら出られない、と記している欠席者も大勢います。来たくても来れなかった仲間のことを思うと胸が痛みます。

同級生のそれぞれの人生を垣間見た秋の一日でした。そして、参加できなかった仲間たちに思いを馳せた一日でもありました。


・・・・・・・・
仲間たち


西沢 爽 作詞
遠藤 実 作曲
舟木一夫 歌唱

歌をうたっていた あいつ
 下駄を鳴らしていた あいつ
  思い出すのは 故郷の道を
   みんな一緒に はなれずに
    ゆこうといった 仲間たち


帽子まるめている あいつ
 リンゴ囓っている あいつ
  記念写真は とぼけていても
   肩をならべた つめえりにゃ
    夢をだいてた 仲間たち


手紙よこせという あいつ
 あばよあばよという あいつ
  口じゃ元気に どなったくせに
   ぼくが故郷を たつ朝は
    涙ぐんでた 仲間たち

・・・・・・



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉山しおさい公園のツワブキ

2006-11-18 09:15:33 | Weblog
晩秋に清楚な黄色い花をつける、ツワブキ(石蕗)は私の好きな花のひとつです。一軒家のときも玄関横のキンモクセイの木の下にいくつかのツワブキを植えていました。この夏に葉山のしおさい公園を訪れたとき、海岸沿いの松林の中に沢山のツワブキが、つややかな葉を茂らせていました。そのとき、花の咲く晩秋には是非、もう一度、訪れたいと思っていました。

しおさい公園は、葉山御用邸の隣りにある公園ですが、もとは、御用邸の付属邸があった所で、昭和62年に公園として開設されたのです。大正天皇がここで崩御され、この地で昭和天皇が皇位継承されたいうことで、昭和発祥の地とも言われています。すごいところなのです。

すぐ、博物館の裏手に当たる、松林を目指しました。林に入るとすぐに、見つけました。あの黄色の花が、あちこちで咲いています、思った通りでした。ツワブキの花の全盛期です、嬉しくなって、しばらく佇み、鑑賞しました。

さらに、黒松林の中の小径を辿り、葉山の海を一望出来る、見晴らし台のところに着きます。前方には相模湾の海が広がり、江ノ島もよく見えます。遠くの茅ヶ崎方面の湘南海岸や真鶴半島も見えます。少し霞があり、富士山や伊豆大島まではみえません。そのテラスの石の腰掛けに座り、しばらく海を眺めます。潮騒が聴こえます。今はもう秋、誰もいない海・・・と、書きたかったのですが、浜辺には、ひとり、釣り人がいました。平日の昼間にのんきな人だなあと思いましたが、それを見ている、自分の方が余程、のんきな人であることに気づきました(汗)。

ふと振り返ると、驚きました、先ほど入り口付近でみたツワブキ群より、さらに多くのツワブキの群生が目に入りました。それも、どの株も沢山の黄色い花を咲かせています。こんなに多くのツワブキの群生は、今まで見たことがありません。すごいです。

どの花も、みなこちらを向いています。花をつけている茎も、みな、こちら側に傾いています。こちら側というのは、海側ということです。海が大好き、潮風にあたりたい、波の音をいつまでも聴いていたい、ヨットハーバーの景色が好き(実は、私が好き)、という顔をしています。もともとツワブキは海岸沿いの山野に自生しているようですので、海大好き植物というのは間違いありません。

松林を出るときに、まだ花をつけられない、しかし、一人前につやつやした葉っぱをつけている、幼いツワブキが、山のようにたくさんの数、育っているのに気づきました。4,5年もすると、皆、花をつけ、その時には、この公園は、きっと、ツワブキ公園として全国的に(最小でも、湘南地区で)有名になるかもしれませんね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿御苑の菊花壇

2006-11-17 10:10:58 | Weblog
新宿御苑の菊花壇展に行ってきました。新宿門の案内板に、11月15日まで展示と出ていましたが、花がみられる間は続けています、ということで、ほっとしました。

すばらしい菊花展でした。広い、美しい日本庭園の中に、それぞれのテーマ別の7つの花壇が点々とあり、それらを順路に従って、見学していくのです。なんて贅沢な配置でしょう。私がこれまでみてきた菊花展といえば、一定の場所に所狭しと鉢が並べられていたものばかりでした。ここでは、もともと美しい日本庭園の中に、それを借景に使い、ひとつひとつの花壇をつくっているのです。

・・・・・・・
以下7つの花壇の紹介です。御苑の菊花壇展のパンフを参考にしました。

懸崖作り花壇:1本の小菊を大きな株に仕立てている。(大正4年作り始め)

伊勢菊、丁子菊、嵯峨菊花壇:それぞれ、縮れた花びらが垂れ下がっている、花の中心部が盛り上がっている、細長い花びらが立っている。(昭和30年始め)

大作り花壇:1株から数百輪の花を半円形に仕立てる、御苑独自の様式。(明治17年始め)

江戸菊花壇:江戸で発達した古典菊、花の変化を楽しむ、御苑の菊花壇では最も古い歴史がある。(明治11年始め)

一文字菊、管物(くだもの)菊花壇:それぞれ、一重咲きの大輪、筒状に伸びた花びらが放射状に咲く大輪。 (大正14年始め)

肥後菊花壇:肥後でつくられた一重の古典菊、武士の精神修養として発達。(昭和5年始め)

大菊花壇:代表的な菊の品種、花びらが中央を包み込むように丸く咲く。(明治17年始め)
・・・・・・

さすが、皇室ゆかりの伝統を受け継ぐ菊花壇です。どの菊もみな高貴な、お菊さまにみえました。美しくて、上品で、華やかで、そそとして、そして色とりどり、どの花にも、きらきら個性が光っていました。肥後菊の前で、派手さがないが、しっとりした感じがいいね、と言いましたら、熊本出身のワイフは、私もそうよ、というような顔をして、相づちをうちました。


イギリス風景式庭園の芝生の上に、大船軒のお弁当を広げ、しばらくのんびりしました。そのあと、湯島天神の菊祭りにも行く予定でしたが、もう菊は十分ということで、上野開催が今年で最後となる日展の会場に向かいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湘南麦酒蔵で憩う

2006-11-16 18:54:33 | Weblog
相模線で茅ヶ崎から二つ目の香川駅で下りて6,7分も歩くと、そのお店に着きました。一度行ってみたいと思っていた、湘南ビールのビアレストランです。正確な名前は、MOKITI TRATTORIA (モキチ・トラットリア)で、茂吉(?)さんのイタリアンレストランという意味です。

開店と同時に入りました。中二階奥の、全体が見渡せる二人席に案内されました。天井が思い切り高く、開放感があり、天井にはヘリコプターの羽根のような、扇風機がゆっくり、ぐるりぐるりと回っています。壁は白で、そこに濃い茶色の古い木の板をたて、横にゆったりとした間隔で渡しています。壁の飾りもシンプルなものをさりげなく下げている程度です。床もテーブルも濃いめの茶色で統一され、全体にとても落ち着いた感じになっています。

はじめの印象では、どこかの古い民家を移築したのかなと思いました。ウェートレスさんに聞きましたら、ここの、大正時代の土蔵を改造したということでした。なるほどと思いました。向かい側の壁にはU字を逆さにした形の、大きなくりぬき窓があり、そこから外の陽光がふり注そぎ、木々の緑もみえます。とても雰囲気のあるダイニングルームです。

ワイフがテーブルをみて、これ机じゃないかしら、と言うのでよく見ると、引き出しまでついていて、本当に古い机でした、事務机です。隣のテーブルもそうでした。こういう空間で使うと、自然で、違和感が全くありません。嬉しくなって机をなでると、木のぬくもりとなつかしさを感じました。うしろを振り向くと、昔、小学校の音楽室にあったような古いオルガンが飾ってありました。その横には、原節子の映画に出てくるような時代のタイプライターもありました。ついほほえんでしまいます。

たちまち、中二階はお客さんでいっぱいになりました。人気があるのですね。頼んでおいた、湘南ビール、私の「ビター」とワイフの「ルビー」が、つまみの炒ったビール麦と一緒にきました。早速、口に含みます・・・飲み込みます・・・うま~い。本当においしいです。生まれたてのビールは本当にうまいです。札幌のビール園のもおしいですもんね。つい、ぐいぐいと飲んでしまいます。ワイフの方にまで手を出します。ルビーもうまいです。

ペアーセットを頼んだので、二人分きます。まず、サラダがたっぷりきます、嬉しい、私は男のくせにサラダが大好きです、毎朝、ワイフの倍くらいのサラダを食べる人です、今日も2:1の割合で取り皿に分けました。つぎにピザです、あさっりした味でおいしい、いかにも手作りの感じ、それからスパゲテー、トマトソース、カニ風味でおいしい。そして、柔らかいビール煮の豚肉とここ製のパンもおいしい。

食事の合間に、入り口に置いたあった、蔵元通信というパンフを広げてみました。今の経営者は、二代目で、はじめは、古くさいイメージをもっていたので、蔵を継ぐ気はなくアメリカに遊学していたそうです。旅行中に、地ビール醸造所のビアーレストランに入り、その明るい雰囲気に感動したそうです。うちの蔵もこうなれば、いいなとその時思ったそうです。しばらくして、蔵を閉めるとい連絡を受けます。そのとき、むらむらと蔵元の血が騒ぎ始め、再興を決心したそうです。そして新たな湘南ビールを開発し、そして念願のビアーレストランも開業し、現在に至りました。

「夏子の酒」みたいだね、言ったら、ワイフはすぐには思い出しませんでした。私はテレビドラマはあまり見ませんが、10年ぐらい前の、「夏子の酒」は欠かさずみていました。私が酒好きなことあるし、主演の和久井映見さんのフアンでもあったからです。東京に出ていた、造り酒屋の娘、夏子が、急逝した実家の兄のあとを継ぎ、兄の夢であった酒米・龍錦を使った酒造りに奮闘する物語でした。あのとき、萩原聖人も出演していたよ、それが、確か、結婚のきっかっけになったんだと言ったら、ワイフは、つまらないことをよく知っているね、と言った顔をして、デザートのケーキを食べていました。でも離婚してしまいましたね。最近、同じようなタイプの、私もフアンの竹内結子さんもあぶないようですね。

このレストランは、はじめ「湘南麦酒蔵」という名前だったそうです。現在のカタカナの名前より、ダイニングルームの雰囲気がよく出ていると思い、今日の記事のタイトルにも使いました。湘南麦酒蔵のレトロな雰囲気の中で、おいしいビールと食事、そしておしゃべりと、十分楽しませてもらいました。自家製のパンも買って帰りました。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄色い帽子

2006-11-15 09:38:41 | Weblog
風の強い日でした。私は円覚寺の松嶺院の横の道から八雲神社を経て、横須賀線沿いを小坂小学校方面に歩いていました。ふと、右側の壁に黄色い何かが引掛っているのに気づきました。よくみると、小学生用の黄色い帽子でした。

歩いているとき、今日の風で吹き飛ばされたのでしょうか、でも小学生でも簡単にとれる位置に引掛っています。すると、すぐ傍を通る横須賀線の電車の窓から飛んできたのでしょう。

帽子を亡くした小学生の顔が浮かびます。制帽をかぶってこなかったと、学校の先生に怒られただろうか、廊下にたたされただろうか、いや、今そんな罰を与えたら、自分のお金で買った帽子をなくしてだけで、罰するのはけしからん,とPTAに怒られるからしないだろう、今は、給食費払っているのに、食事前にいただきます、というのはおかしいというくらいだから。

家に帰ってお母さんに怒られただろうか、ヒステリーのお母さんだったらかわいそう、マンションのクロークルームに閉じこめられたろうか、それとも夕飯抜きだっただろうか。子育て上手なお母さんならいいけど、いいのよ、帽子くらい、毎日なくしてもいいわよ、今度は、あなたのすきな色の緑の帽子を買ってあげようね、いいこ、いいこ、って。

その帽子を、北鎌倉駅前の交番に落とし物として届けようと思いましたが、お巡りさんにけげんな顔をされそうなので、止めました。(交番前から抜ける路地もなかなかいいですよ)。帽子の写真だけデジカメで撮って(最近何でも撮っちゃうのです)、その場を立ち去りました。ふと、西条八十の詩を思い出しました。人間の証明で有名になりましたね。母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね、という詩です。その一節しか覚えていませんが、全文を知りたくなり、帰ってから、調べてみました。紹介しますね。いい詩ですね。

・・・・・・・・

「麦藁帽子」     西条八十

母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏碓井から霧積へ行くみちで、(ええ、大船から北鎌倉へ行く電車で、)
渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。(土手の壁へ落としたあの黄色い帽子ですよ)

母さん、あれは好きな帽子でしたよ。 
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。 
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向うから若い薬売が来ましたっけね。 (散歩人です)
紺の脚絆に手甲をした---。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。(写真だけ撮りました)
だけどとうとう駄目だった。
なにしろ深い渓谷で、それに草が
背丈ぐらい伸びていたんてすもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき旁で咲いていた車百合の花は、
もう枯れちゃったでせうね、
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。

母さん、そしてきっといまごろは
今晩あたりは、あの谷間に、
静かに霧が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光ったあの伊太利麦の帽子と
その裏にぼくが書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、
静かに寂しく。

・・・・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柿食えば・・・

2006-11-14 12:02:32 | Weblog
朝の散歩の途中、あちこちでみかける柿の木の実がどれも柿色になってきました。柿の実が色づき始め、それが次第に濃さを増し、それに呼応するように秋が深まります。朱色の実をたわわにつけた柿の木のある景色は、日本の晩秋の代表的な風景といえます。

この時期の柿の木をみると、いつも正岡子規の名句を思い出します。正確には名句に絡んだある出来事を思い出します。それは、もう何十年も前の高校の国語の授業のことです。

突然、先生が、私を指名して、○○君(私の名前)、子規の「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」について、この俳句の意味を述べなさい、と質問してきたのです。そのとき、私は、授業は上の空で、全然別のことを考えていましたので、びっくりしてしまいました。何とか答えなければと、苦し紛れにこう答えました。

「柿を食べていたら、法隆寺の鐘がなっていた」・・・あちこちでクスクス笑う声が聞こえます。あまりにも、単純解釈すぎた、もう少し、子規の心情にも触れなければいけない、と思いましたが、もうあとの祭りです。恐る恐る先生のお顔を見ました。もう定年に近いお年の女の先生でした。でも怒っているお顔ではなく、ふっくらとした眼鏡のお顔が、にっこりしていました。ほっとしました。今、考えると、ボーと授業を聞いていた私に喝を入れるために質問したのではないかと思います。たわいのない出来事が、結構いつまでも記憶に残っているものですね。

昨日のブログで、天授庵の庭園は5感が満足するという趣旨の駄文を書きましたが、ふと、この俳句こそ、5感で感じて出来た俳句ではないかと、思ったのです(笑)。

まず、視覚では、法隆寺をみています。聴覚で鐘の音を聴いています。触覚では柿の実を撫でています。嗅覚では、柿の実の香りをかいでいます。そして味覚では柿の実を味わっています。それぞれの感覚器で、深まりゆく秋をしみじみと感じているのです。さらに、見ている対象が法隆寺です。世界最古の木造建築です、1400年の歴史があります。そこから古代の人々の声も聞こえてきます。5感以上のもうひとつ上の感性(6感かな)が、その声をしっかり捉えているはずです。ゴーン・・・ゴーン・・と鳴る鐘の音に合わせて・・・

先生がまだご健在であれば、思い出話しをしたあと、今なら、こう答えますと、言ってみたいと思います。そのとき、また、(相変わらずばかねと)にっこり笑ってくれそうな気がします。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする