一昨日、実家に泊まっている夜、小学校時代の友人から悲しい知らせがあった。ぼくらの小学校5,6年時の担任のN先生がお亡くなりになったという。ある程度覚悟はしていたが、さびしさで胸がいっぱいになってしまった。
昨年のクラス会にも、がん治療中で体調不良にも関わらず、かけつけてくれて、1時間ほど、つきあってくださり、出席者の一人ひとりと話しをしてくださった。あの日が、先生との別れの日になってしまった。
ボクも小学校から大学まで、たくさんの先生にご指導を受けたが、教育者として一番、尊敬できる先生は、N先生だった。ぼくらの少年時代はみんな貧乏だったが、ノートも買えない子もいて、その子がノート代わりに、ちらしの裏側をつかっているのを、こうゆうのが本当の勉強なんだよと、みなの前でほめたり、今でいう、登校拒否の子の家まで、毎日迎えにいったり、そして優等生もそうでない子も、本当に平等に、つきあってくださった。むかし”えこひいき”などという言葉があったが、そんなところは微塵もなかった。ボク自身のことで、いうと、夏休みの宿題の”自由研究”をとてもほめてくださり、今、考えると、それがボクの将来を決めたように思う。
あの先生のやさしい笑顔がもう、みられなくなると思うと、たまらなくさみしい。先生は植物がお好きで、退職後は、植林をしたり、巨樹巡礼の旅を楽しみにされておられた。今後いくら努力しても、先生の品格にはとても及びそうもないが、巨樹巡礼のあとつぎぐらいは、したいものだと思っている。
この日、母の再入院もあり、ボクの心はちりじりである。


昨年のクラス会にも、がん治療中で体調不良にも関わらず、かけつけてくれて、1時間ほど、つきあってくださり、出席者の一人ひとりと話しをしてくださった。あの日が、先生との別れの日になってしまった。
ボクも小学校から大学まで、たくさんの先生にご指導を受けたが、教育者として一番、尊敬できる先生は、N先生だった。ぼくらの少年時代はみんな貧乏だったが、ノートも買えない子もいて、その子がノート代わりに、ちらしの裏側をつかっているのを、こうゆうのが本当の勉強なんだよと、みなの前でほめたり、今でいう、登校拒否の子の家まで、毎日迎えにいったり、そして優等生もそうでない子も、本当に平等に、つきあってくださった。むかし”えこひいき”などという言葉があったが、そんなところは微塵もなかった。ボク自身のことで、いうと、夏休みの宿題の”自由研究”をとてもほめてくださり、今、考えると、それがボクの将来を決めたように思う。
あの先生のやさしい笑顔がもう、みられなくなると思うと、たまらなくさみしい。先生は植物がお好きで、退職後は、植林をしたり、巨樹巡礼の旅を楽しみにされておられた。今後いくら努力しても、先生の品格にはとても及びそうもないが、巨樹巡礼のあとつぎぐらいは、したいものだと思っている。
この日、母の再入院もあり、ボクの心はちりじりである。

