気ままに

大船での気ままな生活日誌

ボルドー展

2015-06-30 06:15:01 | Weblog

旅先からの投稿です。二日目は天気にも恵まれ、楽しい山形日和でした。さくらんぼ、紅花、蕎麦街道と。さて、今朝の話題はボルドー展です。

国立西洋美術館でボルドー展が始まったというので、初日は逃したが、二日目に覗いてきた。パリには何度か行っているのに、ボルドーは未踏の地。パリより100年も前に都市整備されたとのことで、18世紀には、世界一エレガントな街だったそうだ。当時の港町、ボルドーの景観をはじめにどうぞ。

ピエール・ラクール(父) ボルドーの港と河岸の眺め

ガロンヌ河の流れに沿って三日月のかたちに発展したことから”月の港”とも呼ばれた。ボルドーの地図。ラトレの地図(版画)して名高いそうだ。精密な描き込み。

さて、展覧会は、プロローグで、25000年前の”角をもつヴィーナス”が迎えてくれる。1911年にローセルの岩陰で発掘された。おっぱいとお尻の大きさで、わが土偶、”縄文のヴィーナス”と張り合えそう(笑)。クロマニョン人骨もこの近くで発見された。

そして第1章 古代のボルドー。BC1世紀にケルト系ガリア人がガロンヌ河畔に建てた商都”ルディガラ”がボルドーの始まり。古代ローマの属州アクィタニアの中心都市として発展する。ワインの生産は、早くもこの頃から。この章では、当時の市民生活が偲ばれる墓碑や装身具などが展示されている。幼くして亡くなった少女のために父親が建てた墓碑が涙を誘う。少女がワンコを抱いて、尻尾は鶏がくわえている(写真なし)。

当時のワインの器。アンフォラ(一世紀半ば)。イタリアやスペインのワインの交易している内に、自らもワインをつくり始め、1世紀末には銘醸地として知られるようになったとのこと。

第2章 中世から近世のボルドー

アリエノール妃が、後の英国国王ヘンリー二世と再婚したのがきっかけで、ボルドーは、12世紀から15世紀まで約300年にわたり英国領となる。一方、スペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の街としても栄えた。また、16世紀に入ると、世は宗教戦争。ボルドーも例外ではない。大思想家モンテーニュがこの時代、この地に生まれている。その頃の市庁舎や教会の断片なども展示されている。

まず、バロックの旗手、ベルニーニの彫刻。”フランソワ・ド・スルディス枢機卿の胸像”。モデルの枢機卿は対抗宗教改革の旗手として活躍し、ボルドーの教会にバロック芸術を花開かせた方だそうだ。

ここで、ベルニーニ作品をみることができたのは嬉しかったが、さらに増して、ぼくを喜ばせてくれたのは、モンテーニュの”エセー(随想録)第5版”がみられたこと。ぼくが近くの女子大の市民講座を受講した最初の科目が”エセー”だった。モンテーニュは死ぬまで、加筆訂正を繰り返していたが、展示本にも自筆のメモが書かれていたのにびっくり。トマ・ド・ルーによる、モンテーニュの肖像画も。ついでながら、モンテーニュの名言の一つ。私たちは死の心配によって生を乱し、 生の心配によって死を乱しているとか、いろいろ、いわゆる知識人をぎゃふんと言わせる言葉がいっぱいエセーには出てきて面白い。

なお、ボルドーには、モンテーニュ(1533-1592)のほか、モンテスキュー(1689-1755、法の精神)、モーリアック(1885-1970、1952年ノーベル文学賞)の3Mの巨人がいて、それぞれの実家がシャトーで、現在もワインをつくっているとのこと。やっぱり、ボルドーはワインの街なのだ。

第3章 月の都 ボルドー

冒頭のボルドーの街の絵と地図にように、18世紀、ボルドーは交易とワイン産業で黄金期を迎え、”月の港”はフランス第一の港となった。パリに100年先立ち、世界で最も美しい街のひとつとなった。ここでは、その繁栄を支えたワイン商や法服貴族たちが飾った絵画や装飾品が展示されている。

ジャック・ユスタン陶器製作所(ボルドー) ”銘々用のワイングラス・クーラー”

ヴェルトムラー ”エミリー・ネラクの肖像

第4章 フランス革命からロマン主義へ

19世紀、ボルドーは海運業の衰退により、陰りがみえるようになる。しかし、ナポレオンの時代、1801年にボルドー美術館が設立され、美術活動が活発化する。この章で、お待ちかね、ドラクロワ晩年の大作《ライオン狩り》が登場する。を中心に、ボルドーで最期の日々を過ごしたゴヤの版画や、美術館草創期の重要コレクションも交えつつ、革命やブルボン王家に関連する品々から、ロマン主義を中心とするボルドーゆかりの画家たちの作品までをご紹介します。

ドラクロワ ”ライオン狩リ”1854-55年 175×360 cm

ドラクロワは父親がジロンド県知事を務めた関係でボルドーで幼年期を過ごし、街には今も父と兄の墓が残ります。この作品は1855年のパリ万博のために政府の注文で制作され、展覧会終了後、ボルドー美術館へ送られました。不運にも1870年の美術館の火災で大きな損傷を受け、画面の一部を失いましたが、その迫力は決して損なわれていません。人と猛獣の戦いを通じ、ほとばしる自然の生命力に対する畏怖や憧れが画家独自の雄渾な筆遣いで描き出された本作品は、ドラクロワの画業の集大成にふさわしい傑作です(解説より)。


ルドン ライオン狩 ドラクロワ作品に基づく摸写 火災による消失した部分も描かれている貴重な作品。

第5章ボルドーの肖像 都市/芸術家/ワイン

19世紀末から20世紀初頭にかけてボルドーが輩出した芸術家たちの作品を中心に、市民の肖像や、「月の港」の眺め、そしてワインに関連する作品や資料などの展示を通じて、世紀転換期の都市ボルドーの肖像を描き出します。さらに、富裕な美術愛好家ガブリエル・フリゾーが形成した知的サークルにも目を配りつつ、ジャン・デュパやルネ・ビュトーらの作品とともに、20世紀初頭のボルドーで花開いたアール・デコ芸術を紹介します(解説より)

モネ”ボルドーワイン”&ジャン・デュバ”ボルドー/港、歴史建築、ワイン

そして、エピローグはボルドーの現代作家ジョルジュ・ルースの作品が。

ボルドーに行きたくなってしまうような展覧会だった。ボルドー展のおみやげは、もちろん、ボルドーの赤!

 

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美の伝承/清方と弟子たち

2015-06-29 05:12:59 | Weblog

おはようございます。旅先、山形からの投稿です。初日は、市内の街並み見学。山形美術館、最高‼ブリジストン美術館のようです。それと、縄文の女神にも再会、楽しい1日でした。さて、今日の話題は、鎌倉の美術展のことです。

鏑木清方記念美術館で”美の伝承/清方と弟子たち”展が6月28日まで開催されている。清方とその弟子たちの集まりである”郷土会”が発足して、今年がちょうど100年になるという記念の展覧会である。

そして、この特別展の目玉は、弟子たちが清方夫妻の金婚式を祝い、贈った画帖”弟子の寄書、五星連珠”(昭和27年)である。初公開ということである。メンバーは、伊東深水、川瀬巴水、門井掬水、笠松紫浪、寺島紫明、西田青坡など。前後期、半分づつ拡げる。巴水は富士山。下の黒猫は前期出展。

弟子の寄書より、門井掬水画

清方の郷土会第14回出品作品もいくつか出展されている。その一つ、 お稽古(昭和4年、1929) 光ミュージアム所蔵。

今回、光ミュージアム所蔵作品が13点も来ている。どこにある?と調べたら、飛騨高山だって。いい処!博物館・美術館複合型ミュージアムとのこと。是非、そのうち、訪ねてみろう。

以下、光ミュージアム所蔵の清方作品を並べましょう。

今様浅妻舟 昭和13年(1938)



卯月の装 昭和31年(1956)


五月晴 昭和24年(1949)

このほかに以下の作品。権八・小柴なんか、とても良かった。

権八・小紫 (昭和初期)
神田祭 昭和10~15年(1935~1940)頃
紅葉 昭和22年(1947)頃
など。

さらに、おなじみ、鏑木清方館所蔵の作品がずらり。
註文帖 昭和2年(1927)
僧房春蘭(牡丹の寺)  昭和4年(1929)
夏の柳井戸(柳乃井戸) 昭和4年(1929)
菊池幽芳著・『百合子』中編 木版口絵 大正2年(1913)
泉鏡花著・『三枚續』下絵・木版口絵 書籍 明治34年(1901)

紫陽花のきれいな雨の日に訪ねました。

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横浜山手 夏の花便り

2015-06-28 07:04:31 | Weblog

おはようございます。たった今、なでしこジャパンのベスト4決定!岩淵の最終盤のゴール!これで気持ち良く、旅立てます(笑)。今度は東北方面です。さて、今朝の話題は。

先日、神奈川近代文学館で”中勘助展”をみたとき、アメリカ広場からはじまり、港のみえる公園、洋館通り、そして最後はイタリヤ山と横浜山手を歩いた。いろんな夏の花々が咲き始めたり、最盛期を迎えたりしていた。そのとき撮った写真を。横浜山手の花便りとしてお送りしたいと思います。

アメリカ公園

ライラック

ピンクと赤の凌霄花(ノーゼンカズラ)


ピンクアナベル

アナベルとアガパンサスの愛

スモークツリー


アカンサス・モリス(キツネノマゴ科)

ルリマツリ

むかしの元町

今のマリンタワー、バラはルージュメイアン。

外人墓地前の小さな花園

バーバスカム

港のみえる丘公園

ライラックとバラ園


アナベルとバラ園

まどろみ

あじさい

アカンサス・モリスとアガパンサスの愛

大仏次郎記念館を望む

ベーリックホール

スモークツリー 再び

イタリヤ山

ユリ

〆はメタセコイヤの並木 新緑から深緑の季節へ

では、行ってきまぁす。旅行中もブログは休みませんので、どうぞお立ち寄りください。

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ゴイサギ&アオサギ&アオダイショウ いたち川

2015-06-27 20:49:45 | Weblog

お昼に家内と、近くのお店で長崎ちゃんぽんを食べてから、いたち川沿いを歩いた。思いがけない、うれしい出会いがあった。それは、ここではじめて、ゴイサギを見たこと。アオサギと近い距離で並んでいたので、もしかしてアオサギの子供かと思った。そのうち、青っぽい蛇がにょろにょろと岸辺に現れ、川を渡りはじめ、アオサギの前まできた。でも、アオサギは平然としている。もし、小さな鷺と親子関係があるならば、当然、威嚇をしてもよさそうなのに。そして、アオサギは、つれなく飛び去った。この時点で、大小二羽の鷺は赤の他人、親子ではないと確信した。

帰ってから、ネットで調べてみると、小さな鷺は、頭部が黒く、嘴も黒、脚が黄色で、ゴイサギに間違いなさそうだ。こちらに越してきてから、10年ほどになるが、今日が初見である。もともと、ゴイサギは薮の中に居ることが多く、人目にはつきにくいらしい。ここで見る鷺類としては、アオサギ、コサギ、そしてチュウサギに次いで4種目となる。なお、アオダイショウの川流れは、柏尾川で最近みているが、いたち川でははじめて。何とも、うれしい日となった。

アオサギとゴイサギが並ぶ

アオサギの向こうにアオダイショウ(←)

ゴイサギ

そうそう、川沿いのお宅のコマクサがそれは、それは見事に咲いていました。

夕焼けも見事だった。

 

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銀の匙の作家・中勘助展

2015-06-27 09:05:29 | Weblog

ぼくの好きな散歩コースのひとつ、横浜山手。みなとみらい線で終点の元町・中華街で降り、長い長いエスカレーターでアメリカ山公園に出て、そこを出発点として、みなとの見える丘公園、そしていくつもの洋館をみながら山手大通りを歩き、イタリヤ山へ。そこから石川町駅に下りていくというコースである。そして、間に神奈川近代文学館を入れることも多い。今回もそこで文学展を楽しんできた。

銀の匙の作家・中勘助展である。ぼくにはほとんど知らない作家であったが、とても面白い展覧会だった。中勘助(1885-1965)の代表作が”銀の匙”で、実際、その小説タイトルのもとになった遺愛の銀の匙が展示されている。幼少の頃、身体が弱く、叔父さんだったかに、特製の薬をその匙で飲まされていたんだそうだ。幼少の頃からの自伝的小説なのだ。

一高、東大で漱石の講義を受け、漱石とは師弟関係にある。漱石は彼の実力を認め、自分の、朝日新聞の連載小説のあとは彼にするようにと社に推薦した。その頃の往復の手紙、筆名はどうするかとか、与謝野晶子が先になるかもしれない、彼女が妊娠したのでやっぱり君が先になるらしい、無名だから原稿料はあまり期待しないように、誤字が多いので注意するように、とかの内容の手紙が陳列されている。

漱石には師事したが、群れるのが大嫌いで、文壇にはそっぽを向き、せいぜい志賀直哉との多少のつきあいがあった程度。岩波茂雄とは知友で、たくさんの本を出版し、のちに和辻哲郎らの編集で、りっぱな中勘助全集が完成した。この功績で朝日賞を大仏次郎と同時受賞している。

義姉の末子が鏑木清方に師事したことがあり、”銀の匙”の改訂版の表紙絵や装幀に関わった。絵は神田祭の山車、諫鼓鶏(かんこどり)だった。中勘助は神田で生まれていて、小説の舞台も神田とその後の居住地、小石川だ。ついでながら、神奈川とのゆかりは、小田原と平塚。数年ほど住んでいる。

この展覧会の、もうひとつの見所が後半に待っている。中学の国語教育の教材に”銀の匙”を採用し、なんと、それだけを3年間、使い続けたという灘中の橋本武先生のことだ。このことはどこかで読んだりした覚えがある。遠藤周作や黒岩神奈川県知事も教え子であり、その教育を褒めた著述や対談がある。いわゆるスローリーディングの走りだ。その使い古した本や、ガリ版刷りのテキストや、生徒に対する勉強法のレジメなどが展示されている。ただ、お堅いだけではなく、宝塚の大フアンでもあったようだ。源氏物語も好きで、自分で現代語訳している。それらの資料もみることができる。2年ほど前、101歳で亡くなられた。

橋本先生を魅了させた、”銀の匙”を一度、読んでみたいものだ。

港のみえる丘公園の”夏薔薇”が満開になっていた。

 

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カルガモ日誌 2015(9)

2015-06-26 22:58:58 | Weblog

2015年6月26日午前11時

今日も出掛ける時に、いつもの川でカルガモ一家と出会った。それが、ちょっとヒヤリとした場面だったものだから、やっぱり、カルガモ日誌につけておこうと思った。何故なら、天敵のカラスとのにらみ合いがあったのだ。昨日、ぼくがカラスの”七つの子”の替え歌として、カルガモの”六つの子”の歌をつくったのがお気に召さなかったのかもしれないと思った。

かあかあかあと、数羽のカラスが激しく鳴いている。カラス何故なくの?と尋ねたら、”からすはやまに かわいいななつのこがあるからよ かわいいかわいいと からすはなくの かわいい かわいいと なくんだよ”と答えるのかと思ったら、なんと、”カラスの勝手でしょ”だって。そして、ぎらぎらした視線の先には、あのカルガモのお母さんと六つの子たちが!

赤頭巾ちゃん気をつけて!とぼくは心の中で叫んだ。でも、心配はいらなかった。お母さんの視線は、しっかり狼烏に向かっていた。狼なんか恐くない!という強い視線だった。

しばらく、睨み合いがつづき、お母さんは、突如、まるで狼烏を脅かすように、羽をばたばたさせた。狼烏は一瞬、ひるみ、コワイコワイコワイとカラスは鳴いて、立ち去った。ほっ!

ちょっと、ひやりとした場面だった。お母さんはやさしいだけではない、ほんとうに強い、まるで、あの怪傑黒頭巾のようにみえたのだった。

カラスが狙っている

お母さんはカラスを睨み返している。

そして、羽をばたつかせ、カラスを追いはらったあと、子供たちを呼び寄せる。まだ。視線はカラスの後を追っていた。

そういえば、今日の朝焼けは、赤頭巾ちゃん気を付けて風な朝焼けだった。


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早くも七夕飾り 八幡さま

2015-06-26 08:24:35 | Weblog

おはようございます。今朝は朝焼けがきれいでしたよ。でも、こういう日は雨になるとの天気予報のお兄さん。

さて、昨日の午後のこと。鎌倉駅で降り、東改札口に出たら、いきなり、七夕飾りが目に飛び込んできてびっくり。もう、七夕?でも、あと数日で七月だもの、あたりまえだのクラッカーか。八幡さまのお飾りのようだ。そのときまで、ぼくの行先は未定だったが、即、決定!いざ、八幡さまへ。

鎌倉駅の竹飾り

八幡さまの太鼓橋にも吹き流しが

舞殿横 梶の葉色紙に願い事がいっぱい。

本殿

八幡様の源平池にも、蓮の花が咲き始めてきた。源平合戦、どちらが先か。

近代美術館・鎌倉館の”さよなら展覧会”、いよいよパート2に入る。


八幡さま横のおうちでもお祭りがはじまっていた。ルリマツリ!1週間前と余り変わらない。今年はこの程度かも。去年はすごかった。

去年、今頃のルリマツリの家

帰りにおんめさまに寄ってきた。アガパンサスとインドハマユウをみたかったから。

ヒョウタンボクの実は、ほんとに瓢箪。

帰宅途中、カルガモ親子にも出会った。カラスは七つの子だが、カルガモ家族は六つの子。はじめは八つの子だったのに。

ちょっと替え歌がつくれないものかと、川沿いを歩きながら考えた。

七つの子 
からす なぜなくの からすはやまに かわいいななつのこがあるからよ かわいいかわいいと からすはなくの かわいい かわいいと なくんだよ

六つの子
かもよ なぜむっつり かもはかわに かわいいむっつのこがあるからよ かわいいかわいいと かもはなかないの むっつり だまって かわいがるんだよ

巣立ちの日(5月6日) 八つの子だった。

コメント (2)
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ぶらり日比谷 ぶらり上野

2015-06-25 08:56:16 | Weblog

おはようございます。まるで真夏のような一日でした、昨日は。有楽町にちょっとした用事があって、ぶらり日比谷公園。上野にちょっとした用事もなくても、ぶらり上野公園。ぶらりと歩けば、新発見がいっぱい。

日比谷公園の巻

午前10時頃、日比谷公園に入ったら、聞きなれた音楽が流れてくる。小音楽堂からだった。看板に”水曜コンサート”とある。まだ、会場は開けてなく、午後からの本番を控えてのリハーサルだった。演奏は警視庁音楽隊。昭和24年からつづけているとのこと。また、金曜コンサートもあり、これは消防庁音楽隊の演奏とのこと。近くの人がうらやましい。

さすが、都を代表する日比谷公園。こんな木があった。

すずかけの木 現在、都内の街路樹の15%がすずかけの木。この木の枝から、さし穂がとられたとのこと。樹齢100年以上。

いちょう 昭和41年にいちょうが”東京都の木”になった。このほかの候補としては、ソメイヨシノ、ケヤキ、クロマツ、アカマツだったが、都民の投票で決まった。それを記念して植栽されたもの。 

大船フラワーセンターでは、まだ蕾だったが、ここでは開花していたボタンクサギ。

タイサンボク

藤の木漏れ日

上野公園の巻

ここでは中国雑技団の素晴らしい芸を堪能。

面が一瞬のうち、変わる芸。次々と10面くらい。最後に素顔。

フラフープの芸

さあ、100個のフラフープを回す!



雑技団の芸はいつみても素晴らしい!投げ銭もはずみましたよ!

国立西洋美術館の巻

白い花が咲く頃

むくげ



きょうちくとう

八重くちなし

ボルドー展のおみやげは、白でなく赤にしました。


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大船フラワーセンター 梅雨の晴れ間 

2015-06-24 07:54:00 | Weblog

6月23日 (晴れ) 大船フラワーセンター

半月ほど前、訪ねたときは花菖蒲とスカシユリが見頃だったが、どちらも、のんびり余生を暮していた。さて、この日のお目当ては、アガパンサスとクリヌム ポウエリイの青と白のファンタジー 。そして山百合は咲いたかどうか。結論は、青白コンビは最高の見頃、山百合は固い蕾、もちろん紅筋も。思いがけず良かったのは薔薇。二番花が一斉に開花。見事な夏薔薇になっていました。そのほか、夏の花、熱帯の花もいっぱい!

アガパンサスとクリヌム ポウエリイ。クリヌム・ポウエリイ(ひがんばな科)。以前はインドハマユウと言っていたが、途中で変更された。この青と白が川の流れのように、ずっと先まで続いている。写真では、その感じがよく出ていない。



青と白のファンタジーといえば、青白川の畔に咲いていた桔梗も見事なものだった。

こちらは、緑と白のファンタジー。半夏生。夏至から数えて11日目にはまだ早いが、今が最盛期。

自分の顔を白い鏡に映して。

トチノキの向こうにトチノキ科のアエスクルス・パルウィフロラ。あたいの和名をはやくつけて!


たしかにトチノキのような葉と花


薔薇園は、はや夏バラに!

オクラホマ

ダブルデライト

黄薔薇

デイゴの花も真っ盛り


地湧金蓮

温室に入ったら。

ブーゲンビリアが・・・


何やら、怒っていた。怒っているというより、やきもちを焼いているようだ。あまりにうつくしい花は次々と現れるのでネ。

魔女ような花

トーチジンジャー

ヘリコニア ”カメハメハ”

ひねまる子ちゃん

花芽をいっぱいつけてます。七、八月は花盛り!

あわちどりでさようなら

梅雨の晴れ間の、素晴らしいフラワーセンターでした。

さて、今日は東京へ。

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大英博物館展/100のモノが語る世界の歴史

2015-06-23 11:57:11 | Weblog

 もう、終わろうとしている、東京都美術館の”大英博物館展”。もうひと月も前に行っている。何とか記録だけでも残しておかねば(汗)。ロンドンにも何度か行っているが、直近では、2011年11月。そのときは、ブログ記事にもしていて、今回、来日した作品の中では、以下の2点を取り上げている。

一つは、大英博物館の至宝、ロゼッタストーン。大英でも本物のほかに、自由におさわりの出来るレプリカがある。都美にレプリカが来ているというので、そのレプリカかと思ったが、日本で作成したものらしい。レプリカでも、ぼくは、やっぱり、これが一番のお気に入り。1779年、エジプトに遠征していたナポレオン軍の将校がナイル川河口付近のロゼッタ村で偶然発見、フランスに持ち帰る。その後、英国に渡り、フランス人のシャンポリオンにより解読に成功、一躍、有名な石碑となる。BC196年作。写真は大英博物館で撮ったもの。

そして、ウルのスタンダード。メソポタミア南部に発生したシュメール文明のウルの王墓で発見されたモザイク。戦争と平和の場面が裏表に描かれている。このモザイクから、紀元前二千年紀にすでに戦車が使われていたことなどが分かる。

以上の二点が、今回もお気に入り。

6月5日の朝日新聞に、アンケートによる、この展覧会の”わたしのお気に入りベスト10”の記事がある。面白いので紹介しておこう。これで堂々、1位となったのが、このウルのスタンダード(205票)で2位のミトラス神像(79票)に大差をつけている。参考までに、3位・柿右衛門の象、4位・ルイス島のチェス駒、5位・ガンダーラの仏像、6位・インカ文明の黄金のリャマ小像ヘブライ語で書かれたアストラーベ(2点同票)、8位・両面式のカメオ、9位・古代エジプトの棺ロゼッタ・ストーンとなっている。票数からみると、5位以下は僅差で同列とみていい。

ミトラス神像

柿右衛門の象

これは圏外だったけれど、マイベストテン入り(笑) 
デューラー作”犀”

以下は同展の案内です。
「大英博物館展/100のモノが語る世界の歴史」は、約700万点の収蔵品から選び出した100の作品を通じて、200万年前から現代に至る人類の歴史を読み解こうという試みです。選ばれた品々は、一見して何げない日用品から教科書にも登場する芸術的な名品まで多岐にわたります。100の「モノ」たちは、それらを手にした人々の日々の営み、信仰の対象、激動する社会背景など、様々な「歴史の断片」を私たちに語りかけます。中には初めて目にする地域や文化からもたらされた物もあることでしょう。一方、私たちになじみ深い文化が残した物にも、思いがけない発見があることに驚くはずです。本展を通じて、地球をめぐる時空を超えた世界旅行をどうぞお楽しみください。

たしかに、このように、タイムスリップの世界旅行ができるのは楽しい。子供用の図録から(汗)、おさらいマップを。



 思い出の大英博物館

 

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