横浜のそごう美術館で、”福富コレクション/近代日本画にみる女性の美/鏑木清方と東西の美人画展”が始まった。福富コレクションはぜひ一度、観たいと思っていたので、楽しみにしていた。美術館に着いた、ちょうどその時刻にギャラリートークが始まるところだったのでラッキーだった。いろいろなことを知ることができ、とても楽しい美術鑑賞となった。
まずコレクター福富太郎さんの実像紹介から始まった。昭和のキャバレー王のニックネームをもつ方なので、豪快な派手なイメージをもっていたが、実際はだいぶ違っていた。戦前、自宅の二階に鏑木清方の絵が飾ってあったが、戦災で失い、是非また清方の作品をと青年時代、思い続けていたそうだ。酒も煙草もギャンブルもせず、靴は一足、タクシーにも乗らず、給料をこつこつ貯めて、ようやく一点の清方作品を手にいれた。その後、キャバレー事業を開始し、それが当たり、福富さんの蒐集美術品はどんどん増えていったのだ。その100点近くがここに集合しているのだ。
福富さん好みの絵がずらりと並んでいる。ただの美人ではなく、女性の内面からにじみでる美しさをもっていないとだめだそうだ。だから妖艶なものも多く、ぼく好みでもある(汗)。展示構成は、1)鏑木清方、2)東の美人画家、3)西の美人画家、と三つのグループにわけられている。
まず、清方作品。福富さんが最初に購入し、今でも一番好きな絵という”薄雪”(ちらし絵)。近松門左衛門の”冥土の飛脚”の、梅川と忠兵衛の心中(直前)場面だ。死を前にした梅川の顔の妖しいまでの美しさ。実物ははじめて観た。そして”妖魚”、六曲一隻の大作だ。これは有名な絵だから、どこかで観ている。緑の石の上に裸の人魚が休んでいる絵だ。ただ、清方自身、失敗作だと公言している。そのあと、清方のスランプが5,6年間つづいたという。何があったのだろうか。松園さんも恋の悩みでスランプ時代があった。スランプ後の作品として”向島の花”が紹介された。いつもの清方にもどっている。説明がなかったが、ぼくの好きな”刺青の女”もあった。この絵を観てから、福富コレクションが観たくなったのだ。前述の”妖魚”と共に、清方らしくない作品もいいものだ。
東の美人画家としては、池田蕉園が主として紹介された。清方と同様、水野年方の弟子で西の松園に負けないようにと蕉園の名をつけてもらったそうだ。実際活躍され、大阪の島成園と共に”三園”と称された。同門の池田輝方と結婚するが、輝方はすぐ他の女性と共に失踪、年方の葬儀のときに再会する。その後よりを戻したかどうかは説明はなかったが、コラボの作品もあったので、和解したのだろうと思う。こういう絵の背景の人生模様を知ると、一段と、絵の中に作者の心が透けてみえようで面白い。人は生きていれば、いろいろなことがあるし、美人画家も例外ではない。蕉園の、楚々とした”秋苑”と妖艶な”夢の跡”、そして、輝方の”お夏狂乱”が紹介された。このコーナーには伊東深水の大作”戸外は春雨”がある。劇場の舞台裏を描いたもので十数名の様々な姿態の踊り子が描かれている。画集ではみたような気がするが、実物ははじめてだ。
西の美人画家としては、大正美術会を結成、美術院再興に参加し同人になった、北野恒富の作品”道行”がまず紹介された。心中天網島の道行の場面。遊女小春と治兵衛の目が切ない。”浴後”も印象に残った。そして、前述の三園のひとり、島成園。大阪女性画家の火付け役となり、アクの強い女性像を描いた。”春の愁い”、”おんな”など多数の作品が福富コレクションに入っている。たしかに福富さん好みの絵だ。そして、松園は、”よそほい”一枚だけ、最後を飾っていた。
楽しませてもらった。今回は、図録も買ったので、ときどき開いて、また楽しんでいる。