goo blog サービス終了のお知らせ 

気ままに

大船での気ままな生活日誌

三渓園 紅葉と古建築 

2009-11-30 10:29:19 | Weblog

紅葉が、鎌倉、横浜も最高の見ごろになってきました。2日ほど前(28日)、ふたりで根岸の三渓園に行ってきましたが、すばらしかったですよ。何度か、ここには訪ねていますが、こんなピタリの時に訪れたのは初めてでした。

原三渓が実際、ここに住み(旧邸宅も残っています)、庭園としていた内苑(外苑にはほとんどありません)に紅葉が集中しています。紅葉だけではなく、重要文化財等の古建築物が多々あり、それらとのコラボで一層、紅葉が映えます。夢のような光景でした。

晩秋の三羽ガラス、もみじ、いちょう、かれすすき

聴秋閣(重文)ともみじ

月華殿(重文)ともみじ

臨春閣(重文)だったと思う(汗)

旧天瑞寺寿塔覆堂(重文)ともみじ


これは間違いなく臨春閣。紀州徳川家初代が紀の川沿いに建てたもの。数寄屋風書院造り。桂離宮と並ぶ別荘建築の双璧といわれているらしい。

浪華の間。伝狩野永徳の襖絵。

障子の間(笑)。我が家も、そろそろ、和室の障子を貼り替えなければ。


京都まで行かなくても、近くに紅葉の名所はたくさんあります。今日もこれから、高校時代の友人と北鎌倉紅葉見物と飲み会(こちらが中心だけど;汗)。

あ、そうそう、原三渓の蒐集品展覧会も開かれていました。それについては、またのちほど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈む太陽 大相撲九州場所

2009-11-30 07:13:41 | Weblog


大相撲九州場所は、白鵬の全勝優勝、そして、もう誰も破られないと言われていた、朝青龍の84勝を二つも上回る年間最多勝利数のおまけまでつき、幕を閉じました。魁皇の、幕内勝利数のトップにあとひとつというところまで迫る健闘ぶりも光りました。

一方、次代を背負う、♪そうよあなたは太陽なのね♪(伊東ゆかり、恋のしずく)と言われていた、若手有望力士の凋落ぶりにはがっかりしました。まさに”沈む太陽”でした。稀勢の里、豪栄道、豊真将、鶴竜と”見事な”負け越し。ふがいない大関陣とともに、総懺悔してもらいたいと思います。

とほほのほ、ですが、ぼくの九州場所予想星取表は結構、当たりました。朝青龍の連覇はなく、大関陣は相変わらずで、白鵬独走のつまらない場所になるだろう、とゆう予想はぴたりでしたし、以下に示す、各力士の星取り表も結構当たりました。ぼくだけは、”沈まない太陽”でした。

。。。。。

いつものように、ぴたり賞には、ひとつ違いはとして、ここまでをぼくの勝ち星とします。さあ、発表します。

九州場所、ぼくの予想(左)と実際の勝ち負け数(右)

白鵬 13勝2敗    15勝0敗 ●
朝青龍 12勝3敗   11勝4敗
琴欧洲 10勝5敗   10勝5敗
日馬富士 10勝5敗   9勝6敗 
把瑠都  10勝5敗  9勝6敗  
稀勢の里 10勝5敗   6勝9敗 ●
琴光喜 9勝6敗    8勝7敗
豪栄道 8勝7敗    7勝8敗
琴奨菊 8勝7敗    10勝5敗 ● 
魁皇 7勝8敗     8勝7敗 
千代大海 7勝8敗  2勝9敗4休 
安美錦 7勝8敗   5勝10敗 ● 
鶴竜 6勝9敗    7勝8敗  
武州山 6勝9敗   6勝9敗
豪風  5勝10敗  6勝9敗
栃煌山 5勝10敗  5勝10敗     
時天空 4勝11敗  5勝10敗
(以上、前頭3枚目まで)

豊真将 10勝5敗  6勝9敗  ●
。。。。。
途中休場した、千代大海を除くと、12勝5敗でした。朝青龍並みの勝率でした。えへん。

朝青龍、千秋楽よくやりました。それに引きかえ、若手の鶴竜の対稀勢の里戦、みっともなかったです。そんなに飛ぶのが好きなのか、あほんだら。えっ、鶴だからしょうがないって。



本当にこのままでは、大相撲は外国人力士に上位を占められ、大相撲そのものが”沈む太陽”になってしまいそうです。情けない九州場所でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本大通りの銀杏並木情報

2009-11-29 11:36:41 | Weblog
紅(黄)葉情報シリーズ、第○弾(笑)。昨日(28日)の、横浜、日本大通りの銀杏並木。見ごろになりました。どうぞお出かけください。今日、お待ちしております(笑)。待ち合わせ場所は、ここにしましょう。

日本大通りの入り口、横浜公園前です。写真中のおじさんのような格好をして、ヤンキースの野球帽をかぶっています。合言葉は、”胃”と”腸”にしましょう。”胃潰瘍”と”慢性腸炎”でもいいのですが。

見事でしょ。いちょうの黄金時代です。

でも、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響有りです。いずれは、みな、濡れ落ち葉となり、最後は骨だけになります 怒ることはありません、当たり前のことです。


こちらは、横浜公園の池の前の紅葉。だいぶ色づきました。
良寛さんの辞世の歌 ”形見とて 何か残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉”


池の端に、魚を狙うニャンちゃん。ノラは生き生きとした目をしている。映画”沈まぬ太陽”で、ケニアから帰り、渡辺謙が日本の動物園のライオンをみて、餌を与えてもらっている動物は、目が死んでいる、と言った言葉を思い出す。
骨になる直前まで、”餌”を探し続け、生き生きとした目をもちたいものですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉浄明寺 紅葉情報

2009-11-28 08:52:43 | Weblog
昨日(27日)は、”平家物語”受講の日で二階堂に出かけました。早めに出て、少し先の浄明寺(地名)辺りの紅葉情報を調査してきました(汗)。

頼朝の伊豆挙兵以来の重臣、足利吉兼が名僧行勇を開山として建立した、お寺、浄妙寺(地名と違うことに注意)の紅葉。見ごろになっていました。






メタセコイヤも晩秋色になってきました。うしろの洋館は移築してきたもので、レストランになっています。お寺と洋風レストランというと、ミスマッチのようですが、なかなかグーですよ。



そこを離れ、竹の寺はみないで、旧華頂宮邸へ。グーな建物です。


紅葉もべりーぐーでした。


平家物語は、”先帝身投”の項。8歳の安徳天皇が、二位殿(清盛の妻時子)に抱かれ、壇ノ浦に身投げをするシーン。 平徳子(のちの建礼門院)は入水するが、助けられる。のち、大原の寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔う。

大原の紅葉も、もう盛りだろうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈まぬ太陽

2009-11-27 11:00:36 | Weblog


藤沢の映画館で、若松節朗監督”沈まぬ太陽”を観てきた。”ゼロの焦点”を観たあと、次はこれと決めていた(汗)。日本映画では珍しい、インターミッション(休憩)が入るとゆう長時間映画だったが、さすが、山崎豊子原作だけあって、飽きさせない。縦糸に特殊法人の航空会社の、どろどろした人事や、経営陣の政治家や官僚との癒着、横糸に、航空史上最悪の、520人の命が奪われた御巣鷹山墜落事故をからめ、人の命とは、組織とは、いろいろなことを考えさせる映画に仕上がっている。

この映画の上映に対し、JALが大分反発したらしい。いくらフィクションだといっても、原作者がJALをモデルにしたと言っているのだから、気になるのは当然だろう。でも、小説家は当然、事実に尾ひれをつけて、面白くするのが商売だし、さらに映画の脚本家は、別の尾ひれを加えることはあたりまえだと、誰でも思っているから、JALはそんなに心配することはない、知らんぷりしていればいいい。 でも話半分として、だいたいは、事実に近いだろう

主役の渡辺謙は組合の委員長、三浦友和が副委員長で、経営陣側と賃金値上げ交渉の場面から、この映画は始まる。ストをちらつかせて、賃金値上げに成功するが、そのあと、報復人事があり、渡辺謙は、パキスタンそしてケニアのナイロビに飛ばされる。一方、三浦はうまく立ち回り、出世街道まっしぐらとなる。これは、別にJALに限らず、どこの会社にでもあることだし、学界だって似たようなものだ。だからJALは知らんぷりしていればいい しかし、割引航空券を現金化し、闇資金を捻出して政治家や官僚に渡すなどは、とんでもないことだ

JAL破綻の原因が、首脳陣の”乱脈経営”にあったのは事実だろうが、組合側にだって、高額な賃金や高率な企業年金など、身勝手な要求もあっただろうし、責任はないといえない。加えて、いらない赤字空港をあちこちにつくった、政治家たちにも責任はある。

再建のために着任した新会長が政治家を怒らして失脚し、この会長のもとで働いていた渡辺謙は、またアフリカに左遷される。ただ、今度は喜んでアフリカに向かう。そこには、ライオンやキリンなどの動物たちが、のびやかに走り回ったり、ねそべっている。人々も、貧乏かもしれないが、些事にこだわらず、明るい、暖かい太陽のもとで、生き生きとして生きている。この沈まぬ太陽のもとで、暮らしたい、と渡辺謙は心から思う。涙が出そうなラストシーンだった。

現役を終えたぼくは、毎日、沈まぬ太陽のもとで生きている(汗)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大船 桜もみじ情報

2009-11-26 20:54:33 | Weblog
今日は、大船の桜もみじ情報です。

砂押川沿いの桜並木。松竹大船撮影所開所記念の桜です。




某●菱電機の桜並木の紅葉もまあまあだった。道路から写真を撮ろうとしたら、守衛さんが、写真はやめてください、と。はあ? 建物を撮らないでください。 はあ?ぼくは、桜もみじを撮ろうとしてるんですよ。・・たとえ建物だっていいじゃないか、建物に企業秘密でもあるのか、あほんだら、それなら建物に青いシートでもかけとけ・・とは言わなかったが、そう思った(笑)。

それにしても、最近、隠しだてばかりが目につく。うちのマンションでも郵便受けに名前も書かない、玄関に表札も出さないのが多い。そんなやつには郵便配達することはない。電話も非表示がときどきある。ぼくはそんな電話には絶対出ない。また、つまらない個人情報を隠すために葉書にシールを貼る、なんでそんなに、なんでもかんでも隠す必要があるのだろうか、不思議でならない。

大船駅を越えて、岡本地区の池の畔の桜もみじもきれいになっただろうと思って行ったら、もう、ほとんど散っていた。でも、ぼくが来たのを歓迎するかのように寄ってきた水鳥と、わずかに残った桜もみじが、なんだかとても、いとおしくなってパチリと撮ってみた。


大船駅に戻ると、桜もみじのような真っ赤な夕陽が沈むところだった。一昨日”沈まぬ太陽”とゆう映画を観てきた。次回にでも、感想文を書いてみたいと思う。


鎌倉女子大の門の前まで来ると、桜もみじとクリスマスツリーが、仲良くしていた。さすが、女子大の守衛さんは、三●電機のような、やぼなことは言わなかった。そういえば、もうすぐ12月なんだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢と追憶の江戸 高橋コレクション後期展 

2009-11-26 13:45:16 | Weblog


三井記念美術館で開催されている、高橋誠一郎浮世絵コレクションの前期展には行った。中期も観るつもりでいたが、うっかり見逃してしまった。後期展も危ういところだった、この日が最終日だったのだ。それにしても、それぞれの展示会が、全とっかえだから、膨大なコレクションである。

高橋さんは小学生のときに、最後の浮世絵師といわれる小林清親の浮世絵を親にプレゼントしてもらい、そして最初のお小遣いで月岡芳年を買ったというから、相当、年期が入っているのだ。経済学者として著名だが、本気でやったら、一流の美術評論家になっていただろう。事実、浮世絵に関する本も書いていて、その原稿が国宝茶室”如庵”(コピー)の中に飾られていた。そして、そのとき初めて知ったのだが、如庵は戦災を逃れるために、大磯の三井別邸に一時、移築されて、さらに犬山に移転することになった。そのときの移築委員長が、大磯に別邸をもっていた高橋さんだったのだそうだ。

前置きが長くなってしまったが、いくつか印象に残ったものを記しておきたい。はじめに迎えてくれたのが、菱川師宣の”よしはらの躰”で、吉原遊郭の台所風景という珍しいものだった。調理人たちが、蛸、アワビ、タイなどの食材をこれから料理しようという場面だった。色っぽい”衝立のかげ”シリーズを期待していたのだけど(汗)。

写楽は、今回は”市川蝦蔵の竹村定之進”だった。突如現れ、たった10か月で姿を消してしまった浮世絵師として名高いが、また、名前を変えて、別の画風で活躍した誰れかであることは間違いないだろう。こうゆう、謎の浮世絵師は、それだけで、心がうきうきしてしてしまう。役者の、一瞬の表情を見事にとらえている。


ぼくの好きな北斉の風景画もたくさん観られて、良かった。有名な赤富士もあった。さすが、あの神奈川沖の波間にみえる富士の作品(中期に展示されたはず)と並ぶ名画だ。富嶽三十六景といっても、評判が良いので、10図追加され、実際は46図あるらしい。その中でも、唯一、富士山中の作品があり、それも展示されていた。また、はじめの頃の作品は、鉱物顔料であるベロ藍を手に入れ、その濃淡で描いたものが多いそうだ。


広重の”東海道五十三次”もいくつも展示されていた。”庄野/白雨”や”蒲原/ 夜之雪”など。ぼくはやっぱり浮世絵は、風景画の方が好きかな。広重の”夜の雪”なんかしっとりした風情があっていい。たとえていえば、ちあきなおみ、かな(汗)。先日、NHKで、久しぶりに2度ほど、アーカイブの彼女の歌を聞いたけど、天下一品の歌声だった。”喝采”もいいけど、”矢切りの渡し”はもっといい。しっとりした、心に染みる、情感あふれる歌声は、誰にもまねができない。広重(とくに”夜の雪”)は、ちあきなおみの歌声だと思った。そうゆう観点で評価すると(笑)、北斉は美空ひばりだろうか。演歌でも、ジャズでもいいし、しっとりした歌でも、陽気な歌でも、なんでもこなす天才だ。



高橋さんが最初に親に与えられたという、小林清親も良かった。のちの”新版画”への道筋を示しているような風情があった。芳年もよしとしよう(笑)。ただ、大乱歩展で観た芳年の”無残絵”は、ここでは観られなかった。三井では、グロテスクなものは外しているのだろう。

とにかく、系統だった高橋誠一郎さんの浮世絵蒐集には驚いたし、また、今回の展覧会も、同様に系統だった展示で、ぼくのような素人でも十分楽しませてもらえた。またいつの日か、総集編でもやって欲しいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北鎌倉 紅葉情報

2009-11-25 17:03:00 | Weblog
今日(25日)の午後、北鎌倉の紅葉情報、第1報(笑)です。

円覚寺門前 




東慶寺境内






次回をお楽しみに。寒かったり、小春日和だったり、気温の差が激しいですね。紅葉にはこれがいいのですが、ホモサピエンスにはこたえますね。風邪をひかないようにね。 風邪をひいたら、紅葉見物より、まずこれが一番です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

進化論150年目の日

2009-11-25 10:00:32 | Weblog


昨日(24日)の朝日新聞の社説に、”生物学だけではなく、人間観を一変させたチャールズ・ダーウィンの名著「種の起源」が発売されたのが、ちょうど150年前の今日だった”とあり、そして、今年が彼の生誕200年になることも付け加えていた。ぼくは、ダーウィンの進化論は少年の頃から興味があり、今でも、人類がなしえた最高峰の科学的業績のひとつであると思っている。

当時、西洋では、すべての生物は神の創造物であり、人類はその中でも特別なものとゆう常識だった。それが、すべての生物は原始微生物から長い時間をかけて進化してきたものであり、人類も、お猿さんのちょっと先っぽにいる存在にすぎないと、発表したのだから、まさに革命的な学説であったし、さまざまな分野に衝撃的影響を与えた。

今では、常識になっている進化論の提唱が、横浜開港(150周年)と同じ頃だったのだと知ると、意外と最近の出来事だったんだと、驚いてしまう。定年後、ぼくは専門書を中心に多くの蔵書を整理したが、これだけはどうしてもというのは残してある。その中に、槇書店刊の”種の起原”(堀伸夫訳)もある。この訳書は、1859年、進化論発表100周年を機に、訳者が以前某書店から刊行したものを、全面的に改定したものである。あれから50年たっているのである。

もうひとつ、チャールズ・ダーウィン自伝(ノラ・バーロウ編・八杉龍一/江上生子訳)とゆうのも、ぼくの本棚に残っていた。ダーウィンが晩年、一日に1、2時間ほど何年間に渡り、自叙伝風な文章を書き続けた。それを孫娘のノラがまとめたものである。

同日の”ひと”欄に、サイエンスライター渡辺政隆さんのことが紹介されていて、”種の起源”150周年を機に、新訳を出したそうである。ぜひ、読んでみたいものだ。100周年の本と比べてみたいものだ。

サイエンスライターといえば、日高敏隆さんの右に出る人はいないだろう。十数か国語に堪能で、動物学を中心とした多数の翻訳本を出版している。ぼくも、ソロモンの指環(ローレンツ)、裸のサル (デズモンド・モリス)なども読んだし、エッセイや対談集もよく目を通した。進化論にも相通じる、人類よ奢るべからず、とゆう主張が随所にみられる。ぼくも、だいぶ前から、ホモサピエンスの地球上での横暴にフンガイしているが、日高さんの著書からの影響も大きいと思う。

その日高さんの訃報が、奇しくも、進化論150年の日に出たのは、ただの偶然ではないだろう。79歳、御苦労さまでした。ご冥福をお祈り致します。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堀文子展 in 成川美術館

2009-11-24 09:23:00 | Weblog


芦の湖畔の成川美術館は、日本画家、堀文子のコレクションでは質量とも日本一なんだそうである。ちょうど、富士山を追って、訪れたとき、彼女の展覧会がここで開かれていた。富士山に連れてきてもらったようなものだ。おかげさまで、ほんとにすばらしい作品の数々をみせてもらい、富士山に感謝したい。

堀文子は大正7年東京の平河町で生まれ、女子美を出てからしばらく東大(当時帝大)の農学部で農作物記録係を務めていたとゆう。なにかの美術賞を受賞してから画家として独立する。まだ、お元気だとゆうから、もう92歳になる。この美術館はノーフラッシュなら写真撮影OKなのがうれしい。いくつか、気にいった作品を紹介してみたい。

まず、有名な”ブルーポピー”。平成13年の作品で、ネパールの奥地の急斜面の山に登って出会ったそうだ。80歳を過ぎてからのことである。こうゆう、厳しい環境に生き抜く花もすごいが、そこまで辿り着く、堀さんもすごい。ポピーは、金色の棘で武装しているが、堀さんもきっと心に金色の鎧をつけているのだろう。もうひとつの”孤独のブルーポピー”はその7年後に描かれている。



まるで、先日、山種で観てきた、速水御舟の”炎舞”のような作品”春炎”。炎の中に飛び込む花、まるで投身自殺。”描きながら、炎に包まれ、自分の性を焼き殺してしまうということをはっきり憶えていると”の添え書き。52歳のとき、大阪万博の年に描いた、”壮絶”な絵。


外国にもずいぶん行かれたようだ。イタリアのトスカーナ地方も気に入られたようだ。畑の中に咲くポピー。”雑草ポピー”を抜かず、そのままにしている怠け者のようなイタリア人。日本人にはない、のびやかさを好ましく思ったようだ。



80歳になってから訪ねた、南米アマゾンの密林やインカ、そんな中から生まれた、楽しい絵。


葉切り蟻の行列

椿


まさに”命というもの”展でした。どうぞ、堀さんも、いつまでもお元気でご活躍ください。

。。。

そのほかの画家たちのすばらしい作品もいっぱい。楽しい展覧会だった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする