おはようございます。涼しい日がつづきますね。こんな日はもちろん散歩。昨日はぶらり小田原。東海道下りで40分ほどかかるが、内田百聞さん同様(笑)、電車に乗るのが好きだから、ちっとも苦でない。お昼どきに到着。ランチはいつもの魚のおいしい居酒屋さんと決めていたが、そうだ、今日はあそこへ行ってみようと出掛けた先は、本通りを10分ほど歩いた先の和食屋さん。伝統のお店。なにせ、建物は登録有形文化財。だるまや料理店本店。一度は行ってみたかった。満席だったが、10分ほどで、落ち着く席に案内してもらえた。もちろん、お酒もいただき1時間ほど、ゆっくりした。

ちらしと鮪角煮。1200円+650円+酒代(?)。のれんの味、おいしかった。でんぷも懐かしい味だった。お酒は沢の鶴しかない。

また来てねと言われたので、今度は家内とコース料理でもね。

ここから、数時間、夕方まで小田原ぶらり散歩。
歩き始めると、すぐ旧東海道(現国道1号)。目の前に”小田原宿・なりわい交流館”。昭和七年に建設された旧網問屋を再整備したもの。小田原の典型的な商家の造りである「出桁(だしげた)造り(柱の上に載せた太い桁を店の前面に何本も突き出し、そこに軒や屋根を載せる)の建築方法が用いられているとのこと。


この辺りは、宿場町だったところで二つの本陣と二つの脇本陣もあった。現在でも老舗が並ぶ通り。
薬屋さん

天使の海老天食べてみたい!小伊勢屋。

ういろう(薬とお菓子のういろう) 。以前くわしく報告していますので、ここをご覧ください。祇園祭好き、歌舞伎好きは必見!ヒント蟷螂山、早口言葉。

旧東海道から海側に入ると、すぐ右に西海子小路(さいかち)が。むかし武家屋敷が並んでいたという。その後、谷崎潤一郎や三好達治ら文学者たちが周辺に居を構えた。桜並木のきれいな通り。

この通りに面して、小田原文学館が。ここで”没後120年記念/北村透谷展が開催されている。そこに入る前に、庭を散策。
文学館。登録有形文化財。田中光顕(みつあき)別邸だった。田中は土佐の生まれ、脱藩し、龍馬、中岡慎太郎と共に薩長同盟に尽力する。維新後は陸軍少将、元老院議員となる。

裏側。屋根はスパニッシュ瓦。

ここに、北村透谷の碑がある。碑文”北村透谷に献ず”は、島崎藤村の筆。昭和4年、市内大久保神社に建てられたが、ここは三度目の”移住”。透谷は小田原で生まれ、27歳で亡くなっている。

隣りに、大船にお住まいだった北条秀司の碑もある。大阪生まれだが、勤務先の系列、箱根登山鉄道の事務責任者となり、長く小田原に住まわれたとのこと。そのあと大船に来られたようだ。北条天皇、強情秀司といわれた、我がまま劇作家(笑)。小田原だから、筆名が北条なんだと、はじめてナットク。

敷地内の”北原白秋童謡館”。別邸を利用している。

部分移築した尾崎一雄の書斎。

”没後120年/北村透谷展”については、詳しい資料も頂いたし、勉強しながら、そのうち報告したいと思います。

文学館を出て、西海子小路を左に進むと、静山荘が。農家を移築し別邸にしたというものだが、現在は非公開。身を乗り出してみたが、門だけで、何も見えず。

そこから、お城に向かう道がある。諸白小路という。いかにも武家屋敷通り。

この通りに、三好達治が住んでいた。


向かいの可愛い教会

もう栗が。栗ご飯食べたい。

そろそろ、出掛ける時間になりましたので、つづきは夕刊で。ごきげんよう、さようなら。