気ままに

大船での気ままな生活日誌

清方/美しきおもかげ・物語の女性たち 四番大谷4号!

2022-04-30 08:57:54 | Weblog

おはようございます。

没後50年を迎えた鏑木清方の大々的な展覧会が東京国立近代美術館で開催されている。すでに見に行っているが、本家本元の鎌倉の鏑木清方記念美術館ではどんな展覧会が開れているのだろうか、かまくら花散歩の途中、寄ってきた。

ごめんください。美術館の入り口。鏑木清方旧宅。

ここでは、とくに没後50年と銘打っていなかったが、いつもとはちょっと違う雰囲気を醸し出していた。まず、ロビーの壁には毎回、清方の名作の複製画の掛け軸がかかるが、今回は”築地明石町”だった。これは名作中の名作で、前述の東近美、そしてそのあと予定される京都近美の清方展のポスター絵に採用されている。これは複製画だから写真くらい撮らせてくれてもいいのにと思うが、室内は撮影を許可していない。鎌倉市(立)は、国宝館、歴史文化交流館、文学館、川喜多映画記念館など、どこもかしこもそうで、早く、改めてほしい。忘れっぽい年寄り(汗)には、メモ代わりに撮っておきたい作品があるし、ブログにも写真付きで紹介したいのだ。東博、東近美、科博の常設展では撮影自由だし、いまどき時代遅れだと思う。というわけで、この”気まま美術館”ではマイ所蔵品(笑)を載せることにする。

築地明石町

本展(美しきおもかげ/物語の女性たち)は、とくに没後50年を銘打っていないものの、東近美の鏑木清方展をサポートするというか、意識した展示品がいくつもあった。

まず、この名作、築地明石町に関わる4点の展示があった。こういうとき写真で示せれば一目瞭然なのだが、いちいち展示作品リストを写さねばならない。1)築地明石町の船・祠(紙本墨画)、2)幸田露伴著”天うつ浪”、第4巻の口絵(この女性が築地明石町の下地になったと言われる)、3)江木ませ子スケッチ(これは実際、築地明石町のモデルになった方)。この件は、彼女のポートレートを含め、ここに少し詳しく載せているので参照ください。4)”築地明石町”のためのスケッチ。このスケッチから下絵、本絵へとつづくのだが、(今回は展示されていなかったが)記念館は、この下絵も所蔵していて、見たことがある。

”気まま展覧会”では特別公開します(笑)。

また、東近美の清方展で展示されている名品の下絵がいくつか展示されていた。

野崎村(下絵)大坂の質屋油屋の娘お染と丁稚の久松の禁断の恋。この絵は、二世市川松蔦のお染と六世市川門之助のお常を描いたもの。ここでは国立劇場のロビーに飾ってある本絵を特別展示します。

これとは別に、木原文庫蔵の”野崎村”が展示されている。左に久松、右にお染とお常。

春宵怨(下絵)歌舞伎の”京鹿子娘道成寺”の”山づくし”の場面で、清姫の鞨鼓の舞いを描いている。本絵は横浜美術館蔵(ここは撮影可能です)。気まま美術館では両方、展示致しまする。

以下ほかの、美しきおもかげ/物語の女性たちをどうぞ。

高尾 木原文庫蔵

吉野山 『苦楽』表紙絵原画 木原文庫蔵

戻橋の小百合(芝居十二ケ月の内)『新演藝』口絵原画 木原文庫蔵

鶴八 東京国立近代美術館蔵

女役者粂八 粂八は女団洲(團十郎)の異名をとった芸達者で、三崎座に女芝居の一座を率いてた。清方は、藍地に白く蝙蝠が抜いてある浴衣に羽二重をかけた楽屋姿の粂八を描いた。

(公式サイトより)今年、没後50年を迎える鏑木清方は、戯作者であり新聞人でもある父・條野採菊や、芝居好きな母親、草双紙を読み聞かせてくれた祖母などの影響を受け、幼い頃から、文学と芝居に親しみ育ちました。画家となってからは、挿絵画家として多彩な登場人物を描き分けるほか、浮世絵の研究にも努め、豊かな人物表現を身に付けました。

文章に綴られ、また、舞台上で演じられる物語を深く理解し、登場人物の心情に心を寄せて描いた作品群は、清方芸術の特徴の一つとなっています。本特別展では、文学や芝居に精通した清方が、自らの心の琴線に触れた物語の女性たちを描いた作品を通して、近世から近代にかけての詩情豊かな物語世界をご紹介します

。。。。。

速報です!

4月の晦日、今季初の四番DHの大谷翔平、初回、4号ホームラン放つ!もう一本、いきそう!

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

今朝の富士山。冠雪の状態がGWの富士山らしくてよい。

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根津美術館で満開の燕子花と燕子花屏風を見る

2022-04-29 11:47:55 | Weblog

おはようございます。

毎年、根津美術館庭園の燕子花が咲き始める頃、館内では尾形光琳の名作、国宝・燕子花屏風が公開される。今年も、美術館ホームページの燕子花開花情報をチェックしながら、訪問日を探っていた。天気予報やGWをはずす等も考慮し、もうこの日しかないと、昨日(4月28日)に決行した。当日は大谷翔平の投手先発の日で外出したくない日だったが、スマホでのABEMA中継動画でがまんした。

大船からの湘南新宿ラインの車中で大谷が1回にいきなりツーランホームランをくらって、今日は涙の敗戦投手かと悪夢がよぎった。渋谷で銀座線に乗り換えて、表参道へ。ここで、家内のお気に入りの台湾料理店でランチ。この間、エンゼルスはトラウトのホームランで同点に追いつき、さらに2回にウォードの勝ち越し満塁本塁打が出て、大量点リードとなる。大谷は2回以降は立ち直り始めていた。

昼食後、根津美術館へ。日時指定券を見せ、館内へ。展覧会よりまず庭園へ。燕子花の池は弘仁亭・無事庵前にある。坂を下りて。藤棚のところまで来ると、燕子花が見え始める。ちらりと見ただけでもすごい咲きっぷり。

満開といって良い!

おっ!築地明石町のご婦人か(笑)。向こうに見えるのが弘仁亭。

今日は茶会があるので、和服姿も多い。

ぐるっと廻って、弘仁亭側から。

シランと一緒に

つつじと一緒に

吹上の井筒の辺りにも燕子花が一列だけ。

庭園内にはエンゼルスカラーの躑躅がいくつも咲いていた。スマホを開くと、大谷は5回まで投げ切り、勝ち投手は間違いないことがわかる。

庭園の燕子花に大満足して、展覧会の燕子花屏風へ。

今回の趣向は、初代根津嘉一郎が、(後世に残る茶会となった)昭和12年(1937)5月の茶会で取り合わされた茶道具の名品と共に国宝「燕子花図屏風」を披露しようというもの。

待合席から始まり、本席(斑鳩庵)で懐石料理をして中立のあと席に戻り濃茶。そして広間に移り、薄茶席。さらに、大書院に移動し、酒宴。ここに三つの名屏風が飾られた。これらが、本展に並べて展示されている。

では、三つの屏風をご覧ください。

国宝・燕子花屏風(光琳)

重文・藤花図屏風(応挙)

吉野図屏風(吉野瀧田図屏風のうち)

公式サイトのご案内↓

根津美術館のコレクションの礎を築いた初代根津嘉一郎(1860〜1940、号青山)が尾形光琳による「燕子花図屏風」を購入したのは大正3年(1914)。以降、嘉一郎は展覧会や茶会で、惜しみなくこの大傑作を披露しました。本展覧会は、そのうち、昭和12年(1937)5月の茶会で取り合わされた茶道具の名品と共に国宝「燕子花図屏風」をご覧いただくものです。 この茶会は5月5日を初日とし、政財界の友人5、6名ずつを招き、約数日間にわたって東京・青山の自邸で催されました。「燕子花図屏風」をはじめ、円山応挙筆「藤花図屏風」、「鼠志野茶碗 銘 山の端」など、名品が次々に披露されました。この会の取り合わせは、数ある嘉一郎の茶会のうち、ひときわ荘厳にして豪華といえるものです。 77歳を目前にした嘉一郎の堂々たる布陣をご堪能ください。

展覧会を見終えてもう一度、庭園へ。この茶会が開かれたという斑鳩庵がまだ場所を変えて残っているというので見学してきた。ここからも、あの燕子花池は見られるが、茶会のあった昭和12年にはどうだったか知らない。

斑鳩庵 

茶室の外からこの風景が観られる。

大谷選手は投手からDHに移行(今シーズンから大谷ルールが採用された)、今季初の3安打の猛打賞と活躍、勝ち投手にもなり、2勝目を上げた。

豪華な展覧会と燕子花満開、加えて、大谷2勝3安打の活躍と喜ばせてもらい素晴らしい一日となった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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空也上人と六波羅蜜寺 

2022-04-28 09:32:13 | Weblog

おはようございます。

東博に空也上人がお越しになっていると聞いて、出掛けたのは4月12日のことだった。もう半月もたつのにまだ報告していなかった。空也上人に怒られるかも。

空也上人に初めてお会いしたのは、ちょうど10年前の冬の京都だった。その年の大河ドラマが”平清盛(松山ケンイチ主演)”だったのだが、京都駅前の定期観光バス(京の冬の旅)も”大河ドラマ・平清盛放映記念/清盛ゆかり人物を訪ねて”コースがあり、それについ乗った。その訪問先に長講寺、長楽寺、平等寺と共に六波羅蜜寺があった。そのお寺に平清盛像があるのだ。もちろん、空也上人像がお寺の主人であるのだが。何故、清盛かというと、六波羅蜜寺の辺りは、京都の葬所の一つ鳥辺野の入口にあり、あの世とこの世の境にある寺として篤い信仰を集めてきたのだが、清盛の祖父が寺院修復の布施をした。そして、父がこの地に居住し、清盛の時代になると六波羅は平氏の邸宅が立ち並んだ。このように清盛と六波羅蜜寺は深い関わりがあるのだ。

六波羅蜜寺

空也上人(903-972)について、知らないことが多かった。空也上人は、平安時代中期に、南無阿弥陀仏と唱えて極楽往生を願う阿弥陀信仰をいちはやく広めた方だそうだ。法然や親鸞より早く、念仏信仰の先駆者といえるようだ。山林で修行をしながら各地を遍歴し、橋梁や道路等の整備や行倒れた人を弔うなど社会事業を行った。これも行基の後継者のように思えるし、踊念仏もやった形跡があり、そうであれば、遊行上人(一遍)に300年も前に先駆けている。大変な方なのだ。

六波羅蜜寺にはこの二像のほかに国の重要文化財の優美な平安・鎌倉彫刻の仏像や肖像がある。ご本尊の国宝十一面観音立像はお寺でも御開帳日にしか拝観できない秘仏で、東京には来られていないが、多くはわざわざ東京にお出で下さっている。

以下、京都からお出ましになられた空也上人立像、仏像らをご紹介しよう。会場は撮影禁止なので、図書館で借りた古寺巡礼京都/六波羅蜜寺(川崎純性・高橋修三著)の写真を使わせてもらった。

空也上人立像(康勝作)運慶の四男である康勝の作。首から鉦を吊るし、たたきながら左手に鹿角杖を持ち歩く遊行僧の姿。頬がこけた痩身の体つきはリアルで、念仏を勧めて市中を巡り歩いた上人の姿を彷彿とさせる。遊行寺の一遍上人像の体つきもこれに似ている。

この上人像のユニークさは、開いた口から飛び出す六体の小さな阿 弥陀立像だ。空也上人が「南無阿弥陀仏」の名号を唱えると、その声が阿弥陀如来の姿に変じたとする伝承を立体化したものとされる。阿 弥陀立像は針金でつながれていて、運ぶにも神経を使ったそうだ。

平清盛坐像(重文・鎌倉時代)僧形の坐像。写実性の迫力ある顔の表現、動きのある衣の表現、慶派仏師の作と推される。

運慶坐像(重文・鎌倉時代)運慶没後に制作された。作者不明ながら優れた写実表現は力量のある仏師の作。

湛慶坐像(重文、鎌倉時代)運慶の長男。自作と伝えれられる力作。

地蔵菩薩立像(重文、平安時代)温和な顔の表情、自然な抑揚なプロポーション、さざなみのように薄くかかる衣の表現など、優美な像。人気があるようだ。

地蔵菩薩坐像(運慶作)重文、鎌倉時代。張りのある端正な容貌。堂々とした体躯、流動感のある衣の表現は運慶の作風。

奪衣婆像(室町時代)三途の川岸で亡者の服を奪い取る鬼婆。亡者の服には生前の業が反映し、服の重さにより罪の軽重が決まるという。怖いが、ユーモラスな像。あの世に行くときは、薄着で行かねば。

参考文献↓

あの日、東博のシンボルツリー、ユリノキは若葉になっていた。

本展は5月8日まで開催。次回は京都でお会いしたい。できれば、ご本尊さま開帳の日に。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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かまくら花散歩

2022-04-27 21:23:40 | Weblog

こんばんわ。

大谷が三打席目にようやくクリーンヒットを打ったので、午後、かまくら花散歩に出た。

段葛のつつじが見頃になっていた。2016年、段葛の桜と一緒に植え替えられた若い躑躅。

大船の桜はまだ残っているが、段葛の桜はもうおわりか!とバカにしたら、ちょっと待て!と上から声が。

何と、まだ残り花が!義経桜が出ている間は散れないと。来週の壇ノ浦までは残るか。

浄妙寺の鎌足桜もまだ残っていてくれた。

鎌足桜の下の牡丹園もノコッタノコッタ。

茶室前の鉢植え牡丹も。

ひとりしずか。今年はここのセツブンソウを見逃してしまった、入院で。

チゴユリも一輪だけ。

この花はいっぱい。タツミソウ。

花塚。この裏に原節子さんが住んでいたので、ぼくは原節子桜塚と名付けている。

向かいの山の山藤が見事だった。

小町通りの脇道の人気のカレー屋さんのつつじ。

小町通りの脇道の鏑木清方記念美術館。ここで、一休み。鎌倉市民は無料なのがうれしい。

物語の女性たち展。東近美の清方展にタイアップした展示が多かった。詳しくはまた後日。

駅前の井上蒲鉾の山査子(さんざし)の盆栽が見事だった。

大谷、今日は一安打だけ。明日は投手先発。”完全”2勝目とニ発、4,5号!と応援プレッシャーをかける。 

では、おやすみなさい。

いい夢を。


吉野山(清方)

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建長寺の牡丹とイペーの花が見頃です

2022-04-26 15:29:24 | Weblog

こんにちわ。

建長寺の境内に咲き乱れる牡丹の花については、近在では知らない人はいないだろうが、ブラジルの国花、イペーの花の存在を知る人は少ないかもしれない。ぼく自身も2年ほど前に知った。この花は、建長寺の開山大覚禅師を祀る塔頭、西來庵の庭園に一本だけあるのだが、ご案内しましょう。

国宝鐘楼の脇に、小さな山門があり、そこから西來庵へ向かう参道の両側に様々な種類の牡丹が植栽されている。植物園のように品種名は書かれていないが、手入れの良さは植物園以上であった。

牡丹の隙間にはシャガの花が咲き乱れている。

西來庵に到着。

庭園内には入れない。覗くことは出来る。夢のような風景。左につつじ、右に黄色い牡丹、奥に黄金色の花、これがイペー。

牡丹とイペー。

遠くて、肉眼では花の形は分からないが、ぼくの小さなカメラでもズームアップすると分かるようになる。まるでノウゼンカズラのよう。色は違うが、ジャカランダにそっくり。

調べてみると、どちらもノウゼンカズラ科に属するようだ。ウッドデッキに用いる”イペ材”として知られているらしい。うつくしい花でブラジルの国花になっている。もともと南米生まれで暖地が好き、日南市ではイペーの林があるようだ。YouTubeがあったので貼り付けておく。

イペの花が見頃(宮崎県日南市)

ちょうど、お坊さんが牡丹路を下るところだった。ぼくも一緒に降りてゆく。

山門横の国宝の鐘楼。

牡丹はここだけではなく、三門の前後の桜道、樹齢750年の柏槇の間にも植えられている。

700年の貫禄。

建長寺の素晴らしい牡丹とイペーだった。

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モッコウバラのからむ家

2022-04-25 18:41:11 | Weblog

こんばんわ。

早朝から大谷選手の試合を見ていた。でも、朝食前の朝散歩は欠かさない。モッコウバラのからむ家が見頃になってきたので、今季、本ブログに初登場させたい。

 

駐車場の方までかぶっている。

木香薔薇:和名の木香薔薇の由来は、インド原産のキク科の木香という芳香性のある生薬にも使われる植物に香りが似ていることからつけられたとのこと。

つつじはどこも満開へ。

児童公園にある御衣黄桜。咲き桜と散り桜が半々に。

卯の花(ヒメウツギ)も咲き始めました。夏は来ぬ。

空には消えゆくような有明の月。

大谷翔平選手は、アンダーソックスを膝下まで見せるくクラシックスタイルのユニフォーム姿。これが復調のきっかけとなったか、久しぶりのマルチ安打でチームの連敗をストップさせた。明日こそホームラン!

マドン監督は、このスタイルを見て「似合っていた。実際、彼が少し背が低く見えたと思った。いい感じだよね」と声を弾ませた。さらに、「あまりにいい選手だ。自信が全て。近い将来、火がつく。火傷するほどホットになるよ」と、悩めるMVP男の復活を予言していた。(Full Count)その通り!

では、おやすみなさい。

いい夢を。


建長寺の牡丹

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小田原の”御感の藤”も見頃に 

2022-04-24 15:11:42 | Weblog

こんにちわ。

近所の藤が見頃になってきて、さてどこの藤を見に行こうかと頭にまず浮かんだのが小田原城址公園の御感の藤。あの近くに和食の名店があり、家内はこれをセットにするとひょいひょいついてくる(笑)。というわけで、一緒に出掛けた。

小田原城の東海道沿いの箱根口門の付近にある藤棚。蓮池でもあるお濠端に沿っている。樹齢200年ともいわれる古樹で、小田原市指定天然記念物である。”御感の藤”と呼ばれるが、昔、大正天皇が皇太子の頃、小田原御用邸にご来臨の際、この藤の花の下に召馬が駆け込み、花を散らしたので、皇太子(大正天皇)は 、「見事な花に心なきことよ」と、しばらく馬を止めて感嘆されたため、その名がついたといわれている。 

周囲の躑躅も見頃に入り、藤見に来て、つつじ見も楽しめた。これで富士見が出来れば、藤見と富士見のダブルフジ見となるのだが(笑)、残念ながら小田原は箱根の山々に富士山が隠され、どこからも見られない。

200歳の貫禄!

お堀端。

クスノキの新緑と藤色

お城の石垣と藤。

ツツジと藤の巻。

大満足の小田原の御感の藤でした。
 
さて、和食の名店に入る前に、近くの西海子小路(さいかちこうじ)を散策。西海子小路の名は、この地にサイカチの木が植えられていたためといわれている。現在は桜並木。江戸時代には17軒の中堅藩士の武家屋敷が並んでいた。現代もお屋敷街に。

 
たまたま、この日、一般公開している家があった。旧松本剛吉別邸と茶室”雨香亭”。

 
 
松本剛吉は、明治の元勲・山縣有朋と親交の深かった明治・大正期に活躍した政治家(貴族院議員等を歴任)。建物は、大正12年(1923年)頃に建築されたもので、平成28年(2016年)3月に小田原市の歴史的風致形成建造物に指定された。
 
 
主屋と別棟の茶室「雨香亭」、待合等の建物と、築山や水景を伴う庭園で構成されており、主屋は西側に張り出した主座敷の八畳と六畳の次の間から成る座敷があり、お茶と庭園を楽しむことができる数寄屋風書院造となっている。
 
 
茶室「雨香亭」

 
 
 
 
 
。。。。。
 
今日の二つの楽しみは、はかなく消える。朗希、”完全”継続ならず。初球を打たれ、17イニングでストップ。サイヤングの連続無安打記録24イニングを超えたかった。一方、大谷、4号ならず。打者としては不調か。でも投手としてはサイヤング賞を狙う勢い。次回登板で完全試合を決めたい。
 
。。。。。
 
それにしても、翔平と朗希はすごい。現代の二宮金次郎(尊徳)だ!尊徳は世界に誇れる人物として、内村鑑三の名著、”代表的日本人”の一人に西郷隆盛らと共に選ばれている。世界に誇れる活躍を続ける翔平と朗希も、まさに現代の”代表的日本人”といえるだろう。
 
藤棚の近くに二宮尊徳を祀る報徳二宮神社がある。二宮金次郎、尊徳の銅像もある。
 
 
二宮金次郎像 

 
 
二宮尊徳像
 
 
 
では、良い午後を。
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やっぱりすごい、根津神社のつつじ 

2022-04-23 18:39:22 | Weblog

こんばんわ。今日も夏のような日だったが、昨日、根津神社のつつじを見に行ったときもそうだった。

ちょうど見頃で、根津神社の躑躅はやっぱりすごい、と思った。若い頃からほぼ毎年のように出掛けているが、そのたびにそう思う。境内の小高い山に約100種、3,000株のつつじがびっしり咲いているのだからすごい。この景観は、やっぱり都内随一だと思う。

千代田線の根津駅から歩いて10分ほどで根津神社。鳥居の向こうにつつじ山が輝いている。

鳥居をくぐると、右に楼門、左につつじ苑。

池越しにつつじ苑が丸見え。この景色だけで十分という人は無料です(笑)。

拝観料を払ってつつじ苑に入場。いきなりツツジの大群に襲われる!

いろいろなつつじ。

ハナグルマ

ギンノザイ

つつじ山を登る。

向こうに見える洋館は有形文化財・弥生正録館。

渋沢栄一もしばしば訪れたという。

老いの目覚め(クルメ)

セイガイハ

キレンゲツツジ

カバレンゲ

乙女稲荷神社の”千本鳥居”を臨む。

表参道の鳥居を臨む。

楼門を臨む。

つつじ山もいよいよ終盤。出口に向かう坂道。

出口付近にヤマツツジ!

いよいよ出口。出たくない、もう一回りしたいと思う。

つつじ苑を出ても楽しめる。

植木屋さんの出店。

乙女稲荷の鳥居のトンネル。伏見稲荷を思い出す。

社殿にお参り。今年も無事、根津神社のつつじ苑を拝観させていただき、ありがとうございました。

根津神社:1706年に5代将軍綱吉が今に残る社殿を造営、千駄木の旧地より遷座した。権現造りの本殿、幣殿、拝殿、唐門、楼門、透塀は国の重要文化財に指定されており、江戸の神社建築としては最大規模のものである。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

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牡丹が花盛り 大船フラワーセンター

2022-04-22 21:54:55 | Weblog

こんばんわ。

大船フラワーセンターでは八重桜とつつじとフジが真っ盛りで、それだけで十分だというのに、なんと牡丹苑まで見頃に入ってきた。牡丹といえば、別名を挙げるだけで、どんなにすごい花なのか知ることが出来る。「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」 。要するに花の女王様の位置づけなのだ。

大船フラワーセンターの西端に牡丹園があり、ここに、古典種から新品種まで120種、170株も植栽されている。案内板によると、牡丹は中国の北西部に分布し、初めは薬用として栽培されていたが、唐の時代に鑑賞用として流行した。日本には平安朝の頃に渡来、寺院などに植えられ、江戸時代ない一般に普及し、元禄、宝永時代に多くの品種が作出された、ということだ。

では、牡丹園にご案内致しまする。

そのうち、いくつかの品種を。”女王の女王”はどれか、競い合っていた。

花競(はなきそい)

まりも

太陽

美玉(びぎょく)

麒麟獅子(きりんじし)

紅麒麟(べにきりん)

大内姫(おおうちひめ)

紅輝獅子(こうきりん)

春爛漫(はるらんまん)

社(やしろ)

聖代(せいだい)

島錦(しまにしき)

紫禁城(しきんじょう)

美装(びそう)

紫天門(してんもん)

さて、みなさんが選ぶ女王様はどの牡丹でしょうか? 当選された方には日本画の牡丹をお届けします。

渡辺省亭 牡丹に蝶の図

川端 龍子  牡丹

牡丹のあとは、すぐ芍薬。やがて山百合。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。こんな美人はとんと見かけなくなりましたね。絵の中にしか(笑)。今日、お会いしてきましたよ。

では、おやすみなさい。 明日は建長寺の牡丹を。ブラジルの国花、イペーも咲いてるかな。

いい夢を。

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大谷翔平、完全試合ペースで今季初勝利

2022-04-21 18:15:06 | Weblog

こんばんわ。

今日はうれしい一日となった。大谷翔平が今季三度目の投手先発で、三度目の正直となる快投で初勝利をあげた。

それもただの快投ではない。今朝のブログ記事の中にも割り込ませて書いたが(笑)、5回終了時点で6者連続を含む11三振でノーヒットの完全試合ペースだった。これはいくぞと、緊張したが、6回に元エンゼルス同僚のカストロにヒットを打たれ、完全試合の夢を絶たれた。驚いたのは、このとき敵地の観客席からもがっかりした声があがったこと。もうホームチームの勝利よりも大谷の完全試合の目撃者になりたかったのだ。結局、6回を終え、降板したが、6回1安打無失点、自身最多となる12奪三振の快投だった。リリーフ陣もあとをしっかり抑え、今シーズン、初の勝利投手となった。

打撃の方でも活躍。初回、先頭打者で四球で塁に出て、初得点。さらに、先発投手が1球も投げないうちに2度も打席に立つという史上初の快挙(笑)を生かし、二死満塁であわやホームランかという二塁打をかっ飛ばし、2打点をあげた。これが満塁ホームランであったならば、夢のような記念すべき試合になったのだが・・・

ほんとに良かった。ぼくは今季は投手としての活躍を願っていたので、これで、一安心。この調子で勝ち進めば、サイヤング賞は確実。完全試合だって必ず。そして、佐々木朗希の逃した2試合連続完全試合も夢ではない。

マドン監督の今日の言葉。「今日は85球になっていたから、ノーヒッターが続いていなければそこで交代させようと思っていた」と説明し、仮に完全試合が続いていた場合については「数字は関係ない。完全試合に向けて、投げていただろう。私は選手の偉大さを邪魔することは決してしたくない」と語り、そのまま続投させていたと明かしていた。佐々木朗希も大リーグに来るなら、マドン監督のもとへ!

今日は自らの祝砲は残念ながら出なかったが、次の試合では二発、4号、5号で、ゲレーロに一気に追いつこう。先発の翌日はよくホームランが出るノダ。

今朝は7時半から試合が始まるのでそれに合わせて朝散歩。空にはお月さま。地に花々。大谷の活躍を予告していた。

はなぐるま

はなみずき

ポピー

関山

では、おやすみなさい。

いい夢を。

午後に訪ねた鎌倉文学館へ向かう道沿いの家の豪華なナニワイバラ。隣りが夏目雅子がごひいきだったお寿司屋さん。

これは文学館の薔薇苑でも咲いていた。

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