
醍醐の桜を観てから、地下鉄で東山まで行き、そこからバスで祇園まで行った。いつもなら歩く距離だが、この日は京都発の新幹線が6時半と決まっているので、しようがない。八坂神社は素通りして、円山公園に入る。あちこちに夜桜見物用のシートが敷かれ、若い人が番をしていた。
有名な祇園枝垂れ桜は、すぐみつかった。丸い垣根に囲われて、いかにも大事にされているという感じだった。もう、八分咲きといったふうだったが、醍醐の桜の残影があるせいか、今ひとつ、ぱっとしない。というか、やはり年々歳々、弱っているような感じがする。初代の祇園枝垂れ桜はすごかったようだ。樹齢200年で、堂々たるものだったらしい。昭和22年に枯死したとのことだ。今の桜は二代目で、昭和の初め、初代の種から育ったもので、戦後、ここに二代目としてデビューした。それでも、もう80歳を過ぎているわけで、これだけ咲かすのはりっぱなものだ。

夕陽になるちょっと前の太陽を入れて、撮ってみた。ふとあの絵を思い出した。お日様がお月さまだったら、と。そうだ、今日はちょうど満月だ。東山魁夷の名画”花明り”も、この祇園桜の上に輝く満月という構図だった。彼はこのスケッチをするために、綿密に計算し(満月と満開の桜)、その宵を待っていたのだ。まさに、この日(3月30日)だ。ぼくはそのことを想い、なんという幸運に恵まれたのだろうと思った。まだ月は昇ってきていないが、このまま帰るのはしのびないと思った。

これが東山魁夷作”花明り”だ。当時の枝垂れ桜は今より、もっと枝ぶりも、花の咲き具合も見事だったことがわかる。

ああ、この風景を観たかった、と、帰途、大船で撮った満月と、祇園の枝垂れ桜を組み合わせてみた




円山公園脇の、この建物も、明治時代、京の迎賓館として華やかに活躍していたそうだ。凋落館





そして、ぼくは、ネコの道


(つづく)