今朝の散歩で、新たな富士見の場所を見つけて、その関連の記事を書いたばかりですが、また今日の夕方、新たな、それも、じゃまの入らない、うつくしい富士山のみえる場所を見つけたのです。
近くの鎌倉芸術館で、ワイフと”プロバンスの贈り物”という映画をみた帰りのことです。ちょっと遠回りして、すでに確認している富士見の場所を通りながら、富士山を眺めながら、高台にある神社の境内に辿りつきました。そこの長い石段の途中の踊り場からもみえることは確認していたので、そこに向かおうとしたとき、ふと前方を見ると、なななんと、夕映えに浮かぶ富士山がくっきりと。その左には夕陽がちょうど沈むところでした。
これで、7番目の富士見の場所を見つけたことになります。わかってみると、なんでそんなこと、今まで気づかなかったんだろう、大発見をした科学者がよく口にする言葉です。ボクも同感です。たしかに、朝の冨士山より、夕映えの富士山の方がはっきりしていて、見つけやすいと思います。夕方この辺を散歩したことがなかったのです。
ですから、夕方、ここまで導いてくれたのは、映画”プロバンスの贈り物”のおかげといえます。まさに、ボクにとって、何よりもうれしい贈り物でした。メルシー、プロバンス。

近くの鎌倉芸術館で、ワイフと”プロバンスの贈り物”という映画をみた帰りのことです。ちょっと遠回りして、すでに確認している富士見の場所を通りながら、富士山を眺めながら、高台にある神社の境内に辿りつきました。そこの長い石段の途中の踊り場からもみえることは確認していたので、そこに向かおうとしたとき、ふと前方を見ると、なななんと、夕映えに浮かぶ富士山がくっきりと。その左には夕陽がちょうど沈むところでした。
これで、7番目の富士見の場所を見つけたことになります。わかってみると、なんでそんなこと、今まで気づかなかったんだろう、大発見をした科学者がよく口にする言葉です。ボクも同感です。たしかに、朝の冨士山より、夕映えの富士山の方がはっきりしていて、見つけやすいと思います。夕方この辺を散歩したことがなかったのです。
ですから、夕方、ここまで導いてくれたのは、映画”プロバンスの贈り物”のおかげといえます。まさに、ボクにとって、何よりもうれしい贈り物でした。メルシー、プロバンス。

