昨日は、高円寺の阿波踊りにでもと、思っていたが、その日の夜8時からの”総選挙祭り”の速報があることを思い出し、近所の散歩にとどめることにした。高円寺の阿波踊りは、むかし近くに住んでいたこともあり、阿佐谷の七夕祭りとともに、よく出かけたものだった。地元のお祭り見物もいいもんだ。
総選挙祭りのおかげで、わが大船の、地元のお祭りを楽しむことができた。ワイフと、鎌倉芸術館で始まっている”志村立美/美人画展”と三田崇博/世界遺産写真展を観に出かけた途中、近くの公園で、立派な御神輿が車から降ろされるところだった。町内の五社稲荷神社の大神輿で、町内渡御が1時半から始まるということだった。

去年の夏に、北鎌倉の山内八雲神社の御神輿の町内渡御を宮出しから宮入りまで最後までついていったりしているのに(汗)、実は、まだ地元の御神輿渡御をみていないのだ。よし、今日こそはと、ウキウキと機嫌良く、時間まで展覧会を楽しんだあと、ここに戻ってきた。
りっぱな大神輿が待機していた。

担ぎ手も、祭り好きの寅さんと、ひばりさんの前で待機していた。

すでに、神主さん、先導隊の太鼓隊、お囃子の車や子供神輿などもそろっていた。どこをどう回るか、予備知識がなかったので、当面、1回目のお休み処までついてゆくことにした。30分ほど渡御し、休みに入ったところで、隣りの人に聞いたら、5時半頃まで町内を回るというので、全コースついて回るのは、勘弁してもらって、宮入りを観させていただこうと思った。
先導隊が出発。子供神輿も神主さんと一緒に動き始めた。

大神輿も。小雨がぱらついてきたので、ビニール掛けで、ちょっと残念。

そして、休み処。スイカが用意されていた。ぼくは食べる権利がないだろうなと、要望はしなかった。あたりまえだのクラッカー(中高年しか知らない言葉)。

そこから離れ、まず、15分ほど歩いて、このお祭りの主、五社稲荷神社にお参りした。りっぱな御神輿をみせていただいたので、お賽銭は少しはり込んでお札にした。建久年間に源頼朝が常陸国の佐竹氏を滅ぼしたとき捕らえられた、家来の一人が、佐竹氏は源氏の一族なのに、なぜ滅ぼすのかと抗議した。頼朝はその武士の勇気と忠誠心に感心し、岩瀬与一太郎と名乗らせ、御家人として、当地を治めさせたという。五社稲荷神社は、その岩瀬与一太郎の創建である。ついでながら、与一太郎が現常陸大宮市内の岩瀬城主であったことから、最近、ここ鎌倉市岩瀬の人々との相互友好訪問がなされている。なお、隣り町の笠間という地名(横浜市栄区)も、茨城にあり(笠間焼で有名な笠間)、与一太郎が故郷をなつかしく思い、つけた地名だと言われている。ぼくは、25年間、茨城県民だったので、もちろん常陸の岩瀬も笠間も訪れている。ぼくが終の棲家にこの地を選んだのも、なにか縁があるのだろう(笑)。

そして、ぼくはそこから、歩いてすぐの、栄図書館で5時半まで待機することにした。待ちきれなくなって、5時に神社に着いた。2時間ほど前まであったテントも外され、がらんとしている。”祭りのあと”といったふうな静けさであった。念のため、神輿倉をみたが、がらんとしている。どうしてなのか。途方にくれ、ふっと目がいった、横の掲示板をみて驚いた。神輿渡御の順路が示されていて、なんとゴールは、エビガニの故郷(アメリカザリガニの発祥地なのだ、えへん)、岩瀬子供広場だったのだ。
きっと、交通事情のことを考えてのことだろう、宮入り、宮出しのは簡単にすますのだろう。ぼくの足は、昨日の浅草サンバカーニバルで酷使し(汗)、エビガニのようにとろとろしか歩けなくなっていたので、もうここでやめることにした。
でも、良かった、地元の神社の御神輿渡御をみられて。それに、夜は総選挙祭りを楽しめて。
でも、各局ともよく当てるもんですね。ということは、投票後の調査に、みな結構正直に答えるんですね。ぼくなら、聞かれたら、そんなつまらん調査等するなと、でたらめ言ってやるけど(爆)。8時に一瞬で決まる今よりも、むかしの、時間をかけて当確を決めていく選挙速報の方が楽しめましたね。テレビ局の人が望遠鏡で開票室をのぞき、集票の束を数えて参考にしたり、のどかな時代でしたナ
。
それにしてもお祭りは面白い。

。。。
お祭りマンボ
作詞/作曲 原 六朗
歌唱 美空ひばり
私のとなりのおじさんは
神田の生まれで チャキチャキ江戸っ子
お祭りさわぎが大好きで
ねじりはちまき そろいのゆかた
雨が降ろうが ヤリが降ろうが
朝から晩まで おみこしかついで
ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ
景気をつけろ 塩まいておくれ
ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お祭りだ
民主党はこんな気分でしょうね。
・・・
お祭りすんで 日が暮れて
つめたい風の 吹く夜は
家を焼かれた おじさんと
ヘソクリとられた おばさんの
ほんにせつない ためいきばかり
いくら泣いても かえらない
いくら泣いても あとの祭りよ
自民党はこんな気分でしょうね。
総選挙祭りのおかげで、わが大船の、地元のお祭りを楽しむことができた。ワイフと、鎌倉芸術館で始まっている”志村立美/美人画展”と三田崇博/世界遺産写真展を観に出かけた途中、近くの公園で、立派な御神輿が車から降ろされるところだった。町内の五社稲荷神社の大神輿で、町内渡御が1時半から始まるということだった。

去年の夏に、北鎌倉の山内八雲神社の御神輿の町内渡御を宮出しから宮入りまで最後までついていったりしているのに(汗)、実は、まだ地元の御神輿渡御をみていないのだ。よし、今日こそはと、ウキウキと機嫌良く、時間まで展覧会を楽しんだあと、ここに戻ってきた。
りっぱな大神輿が待機していた。

担ぎ手も、祭り好きの寅さんと、ひばりさんの前で待機していた。

すでに、神主さん、先導隊の太鼓隊、お囃子の車や子供神輿などもそろっていた。どこをどう回るか、予備知識がなかったので、当面、1回目のお休み処までついてゆくことにした。30分ほど渡御し、休みに入ったところで、隣りの人に聞いたら、5時半頃まで町内を回るというので、全コースついて回るのは、勘弁してもらって、宮入りを観させていただこうと思った。
先導隊が出発。子供神輿も神主さんと一緒に動き始めた。

大神輿も。小雨がぱらついてきたので、ビニール掛けで、ちょっと残念。

そして、休み処。スイカが用意されていた。ぼくは食べる権利がないだろうなと、要望はしなかった。あたりまえだのクラッカー(中高年しか知らない言葉)。

そこから離れ、まず、15分ほど歩いて、このお祭りの主、五社稲荷神社にお参りした。りっぱな御神輿をみせていただいたので、お賽銭は少しはり込んでお札にした。建久年間に源頼朝が常陸国の佐竹氏を滅ぼしたとき捕らえられた、家来の一人が、佐竹氏は源氏の一族なのに、なぜ滅ぼすのかと抗議した。頼朝はその武士の勇気と忠誠心に感心し、岩瀬与一太郎と名乗らせ、御家人として、当地を治めさせたという。五社稲荷神社は、その岩瀬与一太郎の創建である。ついでながら、与一太郎が現常陸大宮市内の岩瀬城主であったことから、最近、ここ鎌倉市岩瀬の人々との相互友好訪問がなされている。なお、隣り町の笠間という地名(横浜市栄区)も、茨城にあり(笠間焼で有名な笠間)、与一太郎が故郷をなつかしく思い、つけた地名だと言われている。ぼくは、25年間、茨城県民だったので、もちろん常陸の岩瀬も笠間も訪れている。ぼくが終の棲家にこの地を選んだのも、なにか縁があるのだろう(笑)。

そして、ぼくはそこから、歩いてすぐの、栄図書館で5時半まで待機することにした。待ちきれなくなって、5時に神社に着いた。2時間ほど前まであったテントも外され、がらんとしている。”祭りのあと”といったふうな静けさであった。念のため、神輿倉をみたが、がらんとしている。どうしてなのか。途方にくれ、ふっと目がいった、横の掲示板をみて驚いた。神輿渡御の順路が示されていて、なんとゴールは、エビガニの故郷(アメリカザリガニの発祥地なのだ、えへん)、岩瀬子供広場だったのだ。
きっと、交通事情のことを考えてのことだろう、宮入り、宮出しのは簡単にすますのだろう。ぼくの足は、昨日の浅草サンバカーニバルで酷使し(汗)、エビガニのようにとろとろしか歩けなくなっていたので、もうここでやめることにした。
でも、良かった、地元の神社の御神輿渡御をみられて。それに、夜は総選挙祭りを楽しめて。

でも、各局ともよく当てるもんですね。ということは、投票後の調査に、みな結構正直に答えるんですね。ぼくなら、聞かれたら、そんなつまらん調査等するなと、でたらめ言ってやるけど(爆)。8時に一瞬で決まる今よりも、むかしの、時間をかけて当確を決めていく選挙速報の方が楽しめましたね。テレビ局の人が望遠鏡で開票室をのぞき、集票の束を数えて参考にしたり、のどかな時代でしたナ

それにしてもお祭りは面白い。

。。。
お祭りマンボ
作詞/作曲 原 六朗
歌唱 美空ひばり
私のとなりのおじさんは
神田の生まれで チャキチャキ江戸っ子
お祭りさわぎが大好きで
ねじりはちまき そろいのゆかた
雨が降ろうが ヤリが降ろうが
朝から晩まで おみこしかついで
ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ
景気をつけろ 塩まいておくれ
ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お祭りだ
民主党はこんな気分でしょうね。

・・・
お祭りすんで 日が暮れて
つめたい風の 吹く夜は
家を焼かれた おじさんと
ヘソクリとられた おばさんの
ほんにせつない ためいきばかり
いくら泣いても かえらない
いくら泣いても あとの祭りよ
自民党はこんな気分でしょうね。
