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株のトレーディングを「仕事」にすることについて

2008-03-08 09:20:29 | 折々の随想
個人で株のトレーディングをして生計を立てている人は、専業トレーダーと呼ばれておりますが、それは一体「仕事」と言えるのかどうか、筆者も以前から少々考えておりました。

今回、数ヶ月前にたまたまこのブログへのリンク元の専業の方が、この先どうしようかと悩んでいるのを知って、少しでもこの問題がまとまらないものかと思って、今日は朝からこのテーマについて考えたいと思います。

とっかかりとして思い出したのは、ジャック・アタリが随分前に定義した仕事のカテゴリーです。

5つに分類されておりますが、この中で1の「いつでも代替え可能な仕事」は専業トレーダーにも該当しそうな気がしますが、これは例えば企業組織から指示されて行う仕事であり、専業トレーダーはそうした組織に属さず、指示もない訳ですから、そもそも代替えが可能という概念にあてはまりません。

では、2の「社会の諸機能をになったり修復に従じる仕事」はどうでしょうか。社会の諸機能を担うというところを、無理やりこじつければ、資本市場の健全な発展のため、等という名目を綺麗事でくっつければ、個人の株の売買もその一翼を担っているでしょうが、この場合は、むしろ、証券業界で働く人々に該当するものだと考えるのが自然でしょう。修復機能は一切専業トレーダーにはありませんが、証券業界で働く人は、そこそここうした修復(その昔の「顧客の損失補填」は論外)する機能はありますね。

後の3、4、5のうち、4の「人々を引き寄せる象徴的な仕事」は、BNFさん(ジェイコム君)のようになれば該当するのでしょうか?専業トレーダーが何をシンボルとするのか、そしてそれが社会や人々にとって意味のあるシンボルなのかが問題です。BNFさんはテレビや雑誌のインタビューを通じて、株の話題を時折提供しておりますが、株好きな人々や株で悩んでいる人に何かを与え、それにより生計を立てている訳ではありません。そう考えると、やはり4も該当しないということになりそうです。

この4に関連して、筆者が時折思い出すのがMM法なるものを考案した増田正美氏です。どこかの大学の先生を退官した後に株を始めて、研究を重ねた末に行き着いた先がMM法だったという増田氏ですが、彼が本を書いたり講演をしている現在は、2の「社会的諸機能」(株式アドバイザーのようなもの)を担い、かつMM法という「必勝技」(?)というシンボルを提供している立派な仕事だと言えます。

これは彼が本やセミナーを通じて、社会の人々とかかわりを持ったために趣味が仕事に変身したとも言えます。自宅でただただMM法に従いトレーディングをしているだけだと、果たして仕事をしていると言えるのかどうか疑問ですね。

う~ん、専業トレーダーを「仕事」と見なすことは、これらの定義からはチョイと難しそうですね。

では、少し視点を変えて見ましょうか。

仕事=金を稼ぐこと でしょうか? 確かに生計を立てるために仕事をする訳ですし、お金を稼ぐために仕事をしていると公言する人々は沢山いらっしゃるでしょう。ところが問題は、専業トレーダーは、仕事=お金を稼ぐ人 には直結しないことです。何故なら、通常の仕事なら仕事をすれば必ずお金にはなりますが、専業トレーダーは仕事(株の売買)をしても、その日によって、お金になったりならなかったりするからです。

何故、専業トレーダーは、お金になったりならなかったりするのでしょうか?

ここでもう一度ジャック・アタリの仕事の定義に戻ればよりよく理解できそうです。5つのカテゴリーのどれも、自分以外の誰かとのかかわりなくしては成り立ちません。つまり、社会との接点を持ち、その中でのその人の役割が、社会から金銭的な価値付けがなされない限り、その人は、金額の多寡は別にして仕事への報酬としての金銭をコンスタントには貰えません。

では、BNFさんのように、通算してお金をコンスタントに稼ぐならその人は仕事をしていると言えるでしょうか?(彼は今後とも必ず稼ぎ続けると一応仮定します。)以前に膨大なBNF語録(インタビューに答えている記事全部)に目を通したことがありますが、どうも彼は自分のやっていることを仕事とは捉えていないようです。印象深かった言葉は、「せっかくお金を得るチャンスがそこにあるのに、トレードをしないのはもったいない。だから止められない。」といった趣旨の発言でした。

そろそろ、筆者の意見をあえてまとめて見たいと思います。

専業トレーダーを仕事とするのは少々無理があると思います。証券業界から見ると、専業トレーダーとは言え、単なる一介のお客さんに過ぎません。もっと言うなら、カジノや競馬場にたむろするお客さんです。

筆者は学生時代、当初はアルバイトで学費と生活費を稼いでおりましたが、途中から朝の2時間程度のパチンコで「生計」を立てるようになりました。(当時の学卒の初任給の半分程度の金は絶えず財布に入っていました。)そうなるにはそれなりの苦労があったのですが、毎日勝てるようになっても、その時は決してパチンコが仕事(パチンコのプロ)だとは思いませんでした。それは、パチンコ店に入る時に店から金一封を手渡されなかったからです。本当のプロは、あまりに荒稼ぎするため、店員がお金を渡してお引き取り願うそうです。

ここまでできれば、専業トレーダーもプロと言えそうです。証券会社からネットトレーディングのお引き取りを願う位までにね。ところが、そんなことはないでしょう。むしろ、BNFさんなど、楽天証券の上得意客でしょうね。

専業トレーダーであることが仕事であると、かろうじて言えるとすれば、プロになることしかありません。パチンコ店から金一封を渡されるぐらいのプロです。しかし、過去には是川銀三のような相場師はいても、株のプロがいたとはあまり聞いたことがありません。その是川銀三にしても、住友金属鉱山で一世一代の勝負をかけ勝ったものの、晩年は20数億円の借金を背負ってすっからかんになってしまったようです。プロではなくあくまで相場師だった訳です。

実は、その勝負の前夜の是銀のもの凄く緊張して夜を明かした時の鬼気迫る様子は、その時一緒にいたお店(銀座の寿司屋)の女将さんから直接話を聞きました。こんな勝負を重ねて、よくも精神と身体がもったものです。

アマチュアなら筆者も含めてごろごろといます。デイトレーダーほど証券業界の上得意客です。そしてアマチュアの中にはBNFさんを筆頭にして勝ち続けている方も大勢いるでしょう。しかし、それはプロに近い努力を日々重ねることが大前提となるのは言うまでもありません。

もし仕事と考えるなら、単に才能とか直観に頼るべきではありません。それらが不要と言っている訳ではなく、もし仕事にするならば、勝ち続けることができるようにするため、「才能」でうまくいった日のトレーディングや、「直観」で負けた日のトレーディングから何かを勝ち取り、それを以後のトレーディングに生かすような、絶え間ない「勝ちパターンの構造化」を生み出す過程と実際の成果がなければなりません。そのためには、証券業界に身を置く人以上の、独自の広義の情報処理の蓄積と活用のスキルアップがない限り、これは一介の個人では叶わないことだと思います。MM法の増田氏も、ファンダメンタル分析では機関投資家に勝てる訳がないため、あえてMM法という、個人でも闘える土俵を作ったと言っております。彼も、相当な努力と試行錯誤を重ねたのだと思います。

筆者のように、そうした厳しい営みをしたくない「ぐーたらトレーダー」は、株は老化防止の趣味程度に考えております。虫が大好きな人が昆虫学者になったり、絵が好きな人が画家になったり、趣味が昂じて仕事になればそれはそれで結構なのですが、浮き沈みが激しい相場で、負けても負けてもそこまで株が好きな人がいるとはとても思えません。

筆者の家人だけは例外です。負けても負けても相場を張ることが根っから好きなのです。しかし、彼女はずっと税務署に損失繰り越しの申告を、筆者が代理で行い続けております。全く、無駄な作業だとは思いますが、ひょっとして競馬と同じでいずれ大穴を当てるかも知れませんから。その時には、一時的に「大穴トレーダー」と敬意を込めて呼ぶのかも知れません。
コメント
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